2010-12-30

対談@ライフネット生命&オフ会@丸の内


12月28日に東京へ行き、ライフネット生命副社長の岩瀬大輔(@totodaisuke)さんと対談させて頂いた。
私が経済学に興味を持った理由に書いたような話や、経済学とビジネスの関係、恋愛についてなどいろいろな話ができてとても面白かった。恋愛に関する話はあまり掲載してほしくない気もするが、同級生に見られなければ大丈夫だろう。
この対談は1月前半に現代ビジネスに掲載される予定だ。

対談後には丸の内でオフ会を開催した。
青木理音(@rionaoki)さんがノリのいい酒呑みだったり、@night_in_tunisiさんが超肉食系だったり、事前の噂通りのこともあったが、@ny47thが登場したときに本当に目を丸くしてしまった(@night_in_tunisiさん曰く、「風街(@kazemachiroman)を見たらもっとびっくりする」そうだが…)。
30人程いたので、残念ながら全員と話すことはできなかったが、各人が楽しく(アルコールを飲みながら)会話を楽しんでいたのが良かったと思う。非常に楽しく過ごすことができた。
今度大阪でもオフ会をやろうと思っているので関西在住の方は是非。

今回の東京行きはとてもいい経験になった。関係者各位本当にありがとうございました。


2010-12-23

こんにゃくゼリー規制


あまりにもアホらしいので:
こんにゃくゼリー:大きさなど安全性指標を公表…消費者庁 - 毎日jp(毎日新聞)
こんにゃく入りゼリーによる窒息事故は94年以降、少なくとも54件発生し、22人が死亡している。現行法では食品の形状や硬さなどを規制する法律はない。消費者庁は指標をメーカーに配布して自主改善を求めるとともに、この指標をベースに今後、法規制できるかも検討する方針だ。
54件と言われると多いように思えるが、確率的には極めて小さい。こんにゃくゼリー全体の年間売上は100億円(こんにゃくゼリー製造中止 - マンナンライフ、テレビCMで注意喚起も | マイコミジャーナル)で、マンナンライフのショッピングページを見ると12個入り191円のようだ。これを200円とし、蒟蒻畑の製造が中止以降の2009年と2010年をカウントせずに単純計算すれば100億÷200×12×14=84億で過去16年間に84億個食べられている計算になる。14億個食べられて9件しか窒息事故が起きないとは私にはとても素晴らしく思える。
こんなことを書くと「それでも実際に死者は出ている」という声も聞こえてきそうだが、どんなことにだってリスクは伴う。こんにゃくゼリーを食べることよりもリスクが高いことはたくさんあるし、それでもそんなリスクをとる人がいるのはリスクを上回る便益があるからだ。こんにゃくゼリーで窒息死する14億分の9の確率を超える便益を享受する人(こんにゃくゼリーが好きな人)は食べればいいし、そうでない人は食べなければいいだけの話で、国が規制するのは全くもってナンセンスだとしか言えない

2010-12-18

なぜ学校のトイレは汚いのか


なぜ学校の(男子)トイレというものはこんなにも汚いのだろうか。清潔好きの自分としては嫌でたまらない。
なぜトイレ掃除の担当の生徒は自分も使うトイレだというのにしっかりと掃除をしないのだろうか?
なぜなら、きれいなトイレから得る便益がトイレをきれいに掃除する費用を下回っているからだ。
それは私がトイレが汚いからといってトイレを掃除するわけではない理由でもある。
誰だって汚い掃除道具には触りたくないし異臭のするトイレに長くは居たくない。そうして汚いまま放置されると、トイレを汚す心理的なコストが下がるので(きれいなトイレはできるだけ汚さないように努力するが元から汚いとどうでも良くなる)、ますます汚くなる。
そんなトイレをきれいにするには、トイレ掃除の担当にインセンティブを与えるのが1番だ。例えば、トイレがきれいになるまで掃除をし続けなければいけないのであれば生徒もきちんと掃除をするようになるだろう。
しかし、そうしてトイレをきれいにしても、トイレ掃除の担当以外の生徒にはトイレをきれいに保つインセンティブがないためまた汚くなり、掃除担当の士気が下がるかもしれない。
学校をきれいにするのは並大抵のことではないようだ。

2010-12-14

[書評] その数学が戦略を決める


その数学が戦略を決める イアン・エアーズ著

本書は「ヤバい経済学」のスピンオフともいえる。ヤバい経済学が統計を使って「世の中」を描き出したのに対して、本書はその「統計(絶対計算)」に焦点を当てているからだ。

著者はまず身の回りで使われている絶対計算(Super Crunching)を紹介する。今年収穫されたブドウで作られるワインの品質を知る方程式、いくつかの情報を入力するだけで自分にぴったりの相手を紹介してくれる結婚情報サイト、もっとも安い運賃を提示してくれるサイト――。そのどれもがテラバイト級のデータを解析した結果に基づいているという。
次に、政府と医療現場での絶対計算の活用を紹介し、専門家と絶対計算のどちらが優れているか、絶対計算に対する専門家の抵抗を論じる。
そして、絶対計算を用いて消費者が不利益を被るケースがあるなど絶対計算には功罪両方があることを示す。
最後に絶対計算を使ってみるにはどうするかを書いている。

私が特に興味を惹かれたのは第5章だ。

第5章「専門家VS.絶対計算」では専門家と絶対計算を行うコンピューターが戦えば文句なしで後者が勝つと結論づけている。専門家がコンピューターの計算結果を考慮して判断を下すのではなく、専門家の意見を方程式に取り入れたコンピューターが決定するのだ、と。
では専門家の出番はどこにあるのか?
それは、直感で回帰分析で計算する変数を決めることだと著者は書く。

放射線医師のヤマ勘でしかなかったものが、結果として何十万人をも救うことになった。そう、演繹的な思考にもまだまだ大きな役割が残されているのだ。知に対するアリストテレス的なアプローチは今でも重要だ。物事の本質についてはまだ理論化が必要だし、推測も必要だ。だが昔は理論化それ自体が目的だったけれど、今やアリストテレス的なアプローチは、ますます出発時点の、統計試験の入力として使われるようになりつつある。理論や直感は、この世のフィンクたちにZを引き起こすのはXとYなのでは、と推測させてくれるかもしれない。だが(キャメロンたちによる)絶対計算が決定的な役割を果たし、その影響の有無と大きさを試験してパラメータ化するのだ。
理論の役割として特に重要なのは、可能性のある要因をとりのぞくことだ。理論や直感がなくては、どんな結果にもまさに文字通り無数の原因がありえる。 (P.214, 215)

ついでに、第8章「直感と専門性の未来」で紹介されている2SDルールとベイズ理論は役に立つこと請け合いだ。


2010-12-12

[翻訳] 教育が貧しい人の役に立たない理由


教育が貧しい人の役に立たない理由 by Tim Harford - 道草より転載。

学生たちは先月、学費の法外な値上げに対する抗議をするためにロンドンの路上に繰り出した。

彼らを非難することはとてもできないが、学費の値上げは彼らが主張するような大きな不正義ではない。もちろんそれはある意味で不公平だ: 早めに生まれた学生が払うのは少なくて済む。一部は何も払わなくていい。私のオックスフォード大学の教育は無料だった―私より10年弱早く生まれ同じ大学で同じ授業を受けたデヴィッド・キャメロンも―それに私は感謝している。

しかしその無料の教育は大きな社会の進歩の例だっただろうか? キャメロンの家庭はまったく貧しくはなかった。彼はオックスフォード大学の教育を十分に受けた。彼がその一部だけでも納税者ではなく自分自身で払うべきだったと提案することは本当にひどいことなのだろうか?

大学に通う30代以下のパーセンテージが1960年から2000年の間に5%から35%に―1990年代前半の間の急上昇とともに―上がったとはいえ、それは未だ比較的裕福な家庭の領分だ。経済学者のジョー・ブランデン(サリー大学とLSE)とスティーヴ・マシン(LSEとUCL)によると、この拡大は実際には豊かな子どもと貧しい子どもの参加ギャップを広げたという。(とても簡単に言うと、裕福な家庭の子どもだけが大学に行くが、かつては賢い男の子だけだったのが今は女の子や頭の鈍い男の子も行くようになっているということだ。)

要するに、大学教育は主として裕福な家庭の息子や娘に消費され、その息子や娘に自分たち自身が裕福になることを保証し他の人と結婚するのを助けるという主な役割を演じる役に立つ製品なのだ。これは納税者が提供するべきものを学生が要求するという特典だ。

もちろん、学費を上げることで大学進学をあきらめる学生も少しはいるだろう。私が読んだ、ビジネス・イノベーション・スキル省に委託され、財政学研究所と教育研究所の研究員が指揮した最近の研究は、年間の学費に5000ポンドを追加し安いローンで5000ポンドを調達することは高等教育の参加を約6%減らすというものだ。これは悪いニュースだ(そして高い誤りの余地を仮定している)。しかし退歩だろうか? 違う。

なにが腹をたてる対象が欲しければ、私なら学費なんか見ていなかっただろう。私は教育研究所のレオン・ファインスタインが作った小さなグラフ―生後22ヶ月、42ヶ月、5歳、10歳の子どもほぼ2500人に与えられた認知発達のテストを見せてくれる―を見ていただろう。最も賢い22ヶ月の労働者階級の子どもは専門家や経営者のもっとも頭の鈍い子どもに容赦なく追い抜かれた―7歳頃にははっきりと、10歳になると紛れもなく。

ジョー・ブランデンとブリストル大学のポール・グレッグとリンジー・マクミランによる調査はこれをはっきり示している。私たちは「所得の持続性」がイギリスでは高いことを知っている―平均より裕福な親はより裕福に育つ子どもを持っている。言い換えれば、社会的流動性は低いということだ。私たちは教育がこれに対して大きな役割を果たしているように見えることも知っている: 平等主義的な学校があるデンマークのような国の所得持続性は低い。ブランデン、グレッグ、マクミランは16歳のテストの成績を見るだけでこの所得持続性のほとんどを予測できることを発見している。

イギリスの教育の本当の問題は本当にとても早く始まる。比較的豊かな学生への学費の補助は解決策にはならない。貧しい子どもに16歳以降も学校にとどまるよう補助金を出せば役に立つかもしれない―とはいえ多くの人にとってもう手遅れだ―しかしこれは連立政権に潰されることが決まっている政策だ。過去10年にわたってこの国の教育制度の犠牲になってきたのは貧しい家庭の3歳と4歳なのだ。しかしよちよち歩きの幼児は抗議のために路上に繰り出したりはしない―それらの大義がどれだけ正しいかもしれないかに関わらず。

by Tim Harford

12月10日

(原文: Why education fails the poor)


2010-12-09

[翻訳] ガソリン価格の難解なパターンに対する説明


無いよりは遅いほうがマシ: ガソリン価格の難解なパターンに対する説明 by Steven Levitt - 道草より転載。

2年以上前、このサイトに僕が観察したガソリン価格の不可解なパターンについて投稿した。以下が僕が書いたこと:

U.S.A. Todayの「週末のガソリンゲージ」によると、レギュラーガソリンの今の平均価格は1ガロン当たり4.026ドルだそうだ。1年前は2.945ドルだった。

僕が気づいてなかったのは、レギュラーガソリンとプレミアムガソリンの間のギャップもまた広がっているということ。今、プレミアムガソリンはレギュラーガソリンに比べて1ガロン当たり38.5セント高い。(パーセンテージ法だとギャップは成長していないけど、僕には絶対値の差が―パーセンテージ法よりも―この問題を考える正しい方法に思える。)

なんでプレミアムガソリンは今日比較的高くなるべきなんだろう?

僕が次にこの現象に対しての数少ない可能な経済学的説明を提案するようになったけど、どれも特に説得力のあるものじゃなかった。僕はそれからブログの読者がより良い提案があるかどうか見るためにそれを公開した。

驚くべきことに、僕は先週―元の投稿から30ヶ月後―マシュー・ルイスというオハイオ州の経済学者からEメールを受け取り、彼はついに難問の真実の答えを明らかにした。

以下がマシューが言ったことだ:

研究プロジェクトで働いているうちにあなたの質問に対する答えを見つけたよ。結局それは奇妙な経済現象じゃなくて、全米自動車協会の一部のデータエラーだったんだ!

あなたが価格を知ったアメリカガソリンゲージは実際には全米自動車協会のウェブサイトから引用した価格を使っていた。全米自動車協会のサイトから過去のデータを取得して、彼らがレギュラー級の価格だけを正確に引用していることがわかったんだ。全米自動車協会は明らかにレギュラーに固定の比率をかけて並のとプレミアムの価格を計算していたらしい。過去5年間は10%という比率を(若干の丸め誤差がある)。もちろんこれは価格が上がったとき―あなたがちゃんとコラムで気付いたこと―に人為的に絶対値ベースで1ガロンあたり価格の上昇を招いている。全米自動車協会のサイトは単に並のとプレミアムの価格の悪いデータを提供するだけだ。ほかのソースを見れば、絶対的なガロン当たりセントの値上げは実際にはちょうど価格水準が変動しているときにそんなに変わっていないのがわかるだろう。並のが10セント高くプレミアムがレギュラーより20セント高いほとんどの場所では未だに一般的なルールがあるんだ。

マシューのこの難問への回答は僕を2つの感想に導いた。1つ目は、価格差は価格が変わっても一定であるはずだという基礎的な直感が確認された喜び。僕はおかしいなと思うデータを見るときにぴったりする理由があるとわかるのが好きなんだ。2つ目は、それが「多くの自由度」、例えばはっきりしないけど候補としてのたくさんの異なる説明があるところ、がある経済学のような訓練法の危険性を指摘していることだ。普通それは経済学者が想像可能な結果をだいたい説明するいくつかの理論的根拠示すことができることを意味する。しばしばそれは正しい説明にならないだろうけど、それを反証する方法がなくても、多くの人々はそれが真実だと納得してしまうんだ。

by Steven D. Levitt

12月6日

(原文: Better Late Than Never: The Explanation for a Puzzling Pattern in Gas Prices)


2010-12-06

マルチタスクかシングルタスクか


マルチタスクとシングルタスク、結局どちらのほうが効率が良いのかという以前から何度も議論されている話題について心理学者と経済学者の研究をティム・ハーフォードが紹介している:
One thing at a time, please
In 2006 Karin Foerde, Barbara J. Knowlton and Russell A. Poldrack, then psychologists at the University of California, Los Angeles, showed 14 people various shapes flashing on a computer screen while playing them low and high tones. In some experimental runs the subjects were asked simply to make predictions based on recognising patterns in the shapes; in other runs they also had to count the number of high tones.
2006年にカリフォルニア大学ロサンゼルス校の3人の心理学者が、14人の被験者に対して、コンピューターのスクリーン上に様々な形のフラッシュを濃いトーンと淡いトーンで映し出すという実験を行った。1つのグループには単純に形のパターンを基に予測してもらい、もう1つのグループにはそれに加えて濃いトーンの数も数えてもらった。
The result was fascinating: on the multitasking runs, people were perfectly good at making predictions on the fly, but couldn’t then explain the underlying patterns, or apply them flexibly in other contexts. The technical term for this is that their “declarative learning” was stunted by the distraction. In short, multitaskers seem competent at the time but may not be taking much away from their experiences.
実験の結果、マルチタスク組はすぐに予測をするのが得意だったが、基礎的なパターンを説明したりそのパターンを他のコンテキストに柔軟に応用することができなかったという。
The psychologists’ lab isn’t well-suited to testing that hypothesis, but there is a new working paper from three economists, Decio Coviello, Andrea Ichino and Nicola Persico. They studied the caseload of 31 judges in a specialised court in Milan, who over five years dealt with over 58,000 cases. Because of the way cases are randomly assigned, and a rule stating that cases must open no later than 60 days after assignment, some judges find themselves with many more cases open at the same time. Coviello and his colleagues find that judges who have been obliged to work on many cases in parallel take longer to complete similar portfolios of cases. One implication is that the 60-day rule probably slows the average case down rather than speeding it up.
次にハーフォードは3人の経済学者の研究を紹介している。
3人はミラノの専門裁判所の31人の5万8000もの案件を扱ってきた裁判官を調べた。案件はランダムに振り分けられ、割り当てられてから60日以内に裁判を開かなければいけないので、裁判官は同時に開かれたたくさんの案件に判決を下すことがある。そして、並行してたくさんの案件を裁かなければならない裁判官は似たような案件の集まりを仕上げるのにより長くかかることを3人は発見した。このため案件の早期処理を目的とした「60日ルール」が逆に遅くしている可能性もあるという。
The message for the rest of us is that Publilius Syrus was right about multitasking. One thing at a time is best. The exception, I suppose, is if you’d rather not remember what you’re supposed to be doing. No wonder so many of us check our BlackBerries in meetings.
最後には皮肉を効かせている。
1度には1つのことしかしないのが1番良いようだ。

2010-12-05

給食費滞納問題の問題


給食費滞納問題の問題 - Togetter

上記の議論では複数の論点が整理されずにそのまま論じられているのですれ違いが生じている。
論点は大きく以下のように分けられる。

  • 給食費の滞納は「悪い」ことなのか
  • 現在の未納率は大騒ぎするほどの「問題」なのか
  • 給食費滞納を減らすにはどうすれば良いか
  • 給食費滞納問題は「モラル」の問題か「経済学的」問題なのか
  • そもそも給食費を徴収する現在のシステムは効率的なのか
1つずつ論じていこう。

給食費の滞納は「悪い」ことなのか

私は給食費の滞納を「悪い」とすることには賛成だ。本当に「悪い」事なのかどうかは置いておくとしても、少なくとも「悪い」としておいたほうが給食費の未納を減らせるであろうことに疑いの余地はない。

現在の未納率は大騒ぎするほどの「問題」なのか

現在の未納率は約1%(給食費 半数超の学校で未払い NHKニュース)だそうだ。これはそれほど多い数値には思えない。滞納がゼロになることはないし、ゼロにするには徴収コストが追加徴収額を上回ってしまう。

給食費滞納を減らすにはどうすれば良いか

「日本人のモラルの低下!」と騒いでも何の問題も解決しない。
給食費の未納を減らしたいのならば、罰則を設けるなどして給食費を支払うインセンティブを調整するべきだろう。罰則を設けることで「モラル」は低くなるかもしれない(罰則があるから仕方なく払うだけになる可能性がある)が、この程度で日本人全体の「モラル」に影響が及ぶとは考えづらい。

給食費滞納問題は「モラル」の問題か「経済学的」問題なのか

上のTogetterでは私が経済学的にこの問題を捉えること自体に嫌悪を示す人もいた。「モラル」からの視点だと、給食費を滞納する親がいること自体を問題とする。対して「経済学」からの視点だと、給食費を滞納する親が一定数いることを当然のことと受け入れた上で、どのようにそれに対処するのかを考える。前者が否応なしに「これは問題」と決めつけるのに対し、後者は「そもそもこれは問題なのかどうか」から考察を始める。後者のほうが建設的な姿勢だと私は思う。

そもそも給食費を徴収する現在のシステムは効率的なのか

これについてはかなり疑わしい。給食費の徴収コストを考えれば、子ども手当を減額するなどしてその分で給食を無償化したほうが良いだろう。

2010-12-01

[翻訳] 貿易は職を「略奪する」のか


貿易は職を「略奪する」のか by Don Boudreaux - 道草より転載。

セスストームはこの最近のブログ記事に批判的にコメントしていて、中国との貿易は「オハイオのような州の職の略奪を可能にした」と書いている。

以下はいくつかの感想とセスストームへの質問だ。

あなたの―セスストームの―意見は、オハイオの労働者は彼ら自身の職を持っているとほのめかしている。もしこれらの職が本当に現在彼ら自身に雇われているオハイオ州民のものだとしたら、これらの職は外国との貿易だけでなく、オハイオの職を減らすかもしれない変化からも守られるべきだ。

例えば、あるカリフォルニアのアルミニウム工場がより少ないコストで強靭かつ軽量なアルミニウムを製造する方法を考案したら、その工場のイノベーションは禁止されるべきだ。なぜなら、そのようなより低い価格で売られるより丈夫なアルミニウムは、自動車製造会社に自動車とトラックの製造で鋼の代わりにアルミニウムを用いさせることになるからだ。よって、そのカリフォルニアのイノベーションは少なくともいくらかのオハイオの鋼を製造している労働者に職を失わせる―それらの労働者のものだとあなたが感じている職を。そして、もしオハイオの職を減らす中国の製造者が窃盗なら、革新的なカリフォルニア州民もそうだろう。

もしくは、アメリカ人がよりコレステロールを意識するようになり、卵の消費を大幅に削減したと仮定してもいい。この消費者の需要の変化はオハイオの卵産業の職を減らすだろう。あなたは、卵の購入を減らした消費者がそれによってオハイオから職を奪ったと思うだろうか? アメリカ政府は消費者が卵の購入を減らすのを防ぐべきだろうか?

もしそうでないとしたら、あなたの主張している、アメリカの貿易が「オハイオのような州の職の略奪を可能に」しているとはどのような状態なのだろうか?

(訳注: 文中の「あなた」はおそらくセスストームのことを指しています)

by Donald J. Boudreaux

11月28日

(原文: Does Trade ‘Loot’ Jobs?)

2010-11-28

[紹介] 経済セミナー 12・1月号


経済セミナー 12・1月号

8月に大阪大学で大竹文雄(@fohtake)氏と安田洋祐(@yagena)氏との対談(鼎談)が掲載された本誌がついに出版された。(対談@阪大)

今回の対談(鼎談)では、私が経済学に興味を持ったきっかけから、中高での経済学教育、大学での経済学教育、経済学とはそもそもなんなのか、機会費用を考慮しての選択、イノベーションと不平等の関係、経済学者の間で論争が起きる理由、実験の重要性、経済学者の「仕事」まで、非常に幅広く論じていて、とても興味深い内容に仕上がっていると思う。

この対談の他にも、経済学の学び方や教え方についてのおもしろい記事が多く掲載されている。
以下に今回の特集の目次を引用しておく。

特集=経済学の学び方・教え方
[対談]経済学って、おもしろい?/大竹文雄×西田成佑 [司会]安田洋祐
[鼎談]実験経済学の教育効果/小田宗兵衛×横山省一×和田良子
 サイエンスとしての経済学に挑戦する高校生たち/松村茂郎
 高等専門学校における経済学教育──広い視野を持つ科学者の育成を/山森哲雄
 基礎ミクロ経済学講義の一事例──ゲーム理論から攻める/尾山大輔
 日本の大学院教育──アメリカとの比較/吉野直行
[学生座談会]経済学、学び方の“コツ”/岡本竜×川田佳寿×井上勇太×鈴木弥香子
 経済学者が薦める教科書、この3冊

2010-11-27

[翻訳] 公正貿易は自由貿易に比べて公正ではない(そして自由でもない)


公正貿易は自由貿易に比べて公正ではない(そして自由でもない) by Don Boudreaux - 道草より転載。


以下はNew York Timesへ宛てた投書だ。

トッド・タッカーは、アメリカ政府に「公正貿易」を選んで自由貿易を拒否してほしいようだ。(11月22日の投書)

全てのまともな人は公正であることを称賛し「不公正」であることを強く非難するとはいえ、「公正性」は政策を左右するにはあまりにも曖昧すぎる。なぜかを見るには、憲法修正第一条に書かれていることが、自由より公正原理にかじをとるよう変更された修正第一条の数語だけのようなものだったと想像してみてほしい。

合衆国議会は、国教を樹立、または宗教上の行為を公正に行なうことを禁止する不公正な法律、言論または出版の公正を制限する法律、ならびに、市民が公正に集会しまた苦情の処理を求めて公正に政府に対し請願する権利を侵害する法律を制定してはならない。

この文脈で「自由」を「公正」に置き換えることが憲法修正第一条を歯抜けにしてしまっただろうということに疑いの余地があるだろうか? 同様に、自由貿易を公正貿易政策に変えてみると、実際問題として、不自由な―ついでに不公平な―政治的に影響力のある国内生産者のための独占特権政策になっただろう。

敬具
ドナルド・J・ブードロー

by Donald J. Boudreaux

11月23日

(原文: Fair Trade Is Less Fair (and Less Free) than Free Trade)

2010-11-22

今年読んだ本ベスト10


今年の本のベストを発表しているブログがちょくちょく出てきたので、私も今年読んだ本のベスト10をを発表しよう。
なお、このランキングは今年「読んだ」本の中から選んでいるもので、今年「出版された」本とは限らないことに注意してほしい。

  1. The Price of Everything by Russell Roberts
  2. インビジブルハート ラッセル・ロバーツ著
  3. 資本主義と自由 ミルトン・フリードマン著
  4. インセンティブ タイラー・コーエン著
  5. ランズバーグ先生の型破りな知恵 スティーヴン・ランズバーグ著
  6. 超ヤバい経済学 スティーヴン・レヴィット、スティーヴン・ダブナー共著
  7. まっとうな経済学者の「お悩み相談室」 ティム・ハーフォード著
  8. 子育ての経済学 ジョシュア・ガンズ著
  9. 知性の限界 高橋昌一郎著
  10. 理性の限界 高橋昌一郎著

2010-11-21

[翻訳] 金融リテラシーを身につけるには


金融リテラシーを身につけるには by Tim Harford - 道草より転載。

少しテストをしてみよう。あなたが1000ポンドの新しいPCを買うが、その金を工面するために借金をする必要があるとする。あなたには2つの選択肢がある: 12回分割払いで1ヶ月に100ポンドずつの支払いを1年間続けるか、20パーセントの金利でお金を借りて年末に1200ポンドを返済するか。どちらが良い選択だろうか? それとも両方とも同じなのだろうか?

時間をとってみてほしい。イタリア人の経済学の教授で現在はアメリカのダートマス大学に軸を持つ、アンナマリア・ルサルディはたくさんの人々にこの質問を訊ねてきた。アメリカ人のたった7%しか正しく回答できていないという。金利とクレジットカードの最少の支払いについてのより単純な複数の選択肢のある質問でさえ多数派の人々を困惑させる。

ルサルディは、金融リテラシーはアメリカとその他の国々(豊かな国も貧しい国も)での主要な問題だと信じている。サブプライム住宅ローンを虚偽販売されるのにうってつけのアメリカ人が多すぎたので、それは信用収縮にも寄与した。それは、給料日ローンや他の種類の短期クレジットに頼る人々や不十分な年金をもらって退職しようとしている年をとった人々に対して、容赦ない毎日のコストをはらんでいる。

ルサルディは特に、貧しい人、高齢者、少数民族、女性の金融能力が低そうなことを心配していて、彼女は何かがなされてほしいと思っている。

しかし何を? ルサルディは学校のカリキュラムに金融教育を導入するのに賛成だ。そして、証拠が少し薄いとはいえ、多分それは機能しただろう。私たちは、金融リテラシー―ルサルディの質問に完璧に答える能力―は人生でのより良い金融的な決定に誘導するという自信を持てる。しかし、学校で授業をとることが金融リテラシーを大きく上達させる役割を果たすのかはあまりはっきりしていない。

それが、ドミニカ共和国で企業家と行われた新しい調査が私の注意を引きつけた理由だ。アレハンドロ・ドレクスラー、グレッグ・フィッシャー、アントワネット・スコアという3人の経済学者が、小企業の社長にどうやって彼らのビジネスのキャッシュフローを管理するのかの講義をするというコントロールされた実験を行った。

400人の社長は短期間だが包括的な企業会計のコースを受け、別の400人は何のトレーニングも受けず、最後の400人は経験則からなるコースを受けた。これらの手っ取り早い手口は、どのように企業のキャッシュと個人のキャッシュを分けて維持し、どのようにビジネスがどのくらいの収益を上げているのかを計算する単純な早見表を使うのかを明らかにすることが意図されていた。

結果は、経験則の勝利だった。それらの単純な格言を教えられた社長は、会計の管理をうまく行えるようになり、困難なときにキャッシュフローをより多く蓄え、そしてよりうまく管理しているように見えた。会計のトレーニングは対照的に何の役にもたたなかった。

だから多分、経験則は金融的な無能さへの答えになるだろう。そのうち1つを挙げよう: 決してコンピューターを分割払いで買ってはいけない。

by Tim Harford

11月15日

(原文: How to be financially literate)

2010-11-20

自動車より自転車の信号無視が多いのはなぜか


先日、自転車で道路を走っていたときのこと。交差点で赤信号になったので停車した。そのとき、通行量の少ない道路だったため、青信号でも車が来る気配がない。そのため、30代くらいの女性が信号無視をして渡ってしまった。このような「車が来ていないから渡る」という光景は全く珍しいものではない。しかし、自動車が「車が来ていないから」と信号無視をして渡っているところはこれまで数回しか見たことがない。
なぜ自転車や歩行者はよく信号無視をするのに、自動車は信号無視をしないのだろう?
それは、自動車のほうが信号無視をするコストがとても高いからだ
自転車や歩行者の場合、少し前に出て左右をしっかりと確認してから信号無視をするかどうか判断することができるし、万が一接触事故を起こしても大事に至る可能性は低い。しかし、自動車だと、停車線から左右をしっかりと確認するのは難しく、もし歩行者にぶつかったり轢いてしまえば、懲役刑になる場合すらある。
これは、刑罰に抑止効果があることを示す好例と言えるだろう。

2010-11-19

[翻訳] 刺激は効いたのか?


刺激は効いたのか? by Steven Landsburg - 道草より転載。


刺激は職を生み出したのだろうか?

サンフランシスコ連邦準備銀行のダニエル・ウィルソンは、初めてのこの問いを解決しようとする証拠に基づく努力かもしれないものを発表した。過去数年の経験から結論を引き出す際の明らかな問題は、見た実験が1つきりということだ。しかしウィルソンは、ある意味、財政支出は州によって実質的に異なるので50の別々の実験をしていると指摘している。50の実験から潜在的にたくさんのことを学ぶことができる。

残念ながら、それらはコントロールされた実験群ではない。景気対策の資金はランダムに割り振られたわけではないからだ。特に弱い経済の州はおそらくより多くのメディケイド資金を得ただろう。肥大していて能率の低い官僚制度のある州は必要なペーパーワークを完成させるのが遅いかもしれず、それゆえに資金を受け取るのが遅いかもしれないからだ。もしそれらの弱い経済や千鳥足の官僚が職の増加に影響を与えたとしたら、実験がクリーンではないということだ。

しかし幸いにも客観的な方式(人口動態、高速道路のマイル数など)に従って分配された資金の構成要素がかなりある。ウィルソンは、それらの構成要素を標準的な計量経済学の手法でうまく使って、効果的にランダムだと考えられるだろう財政支出の一部に的を絞った。今や彼は50の大体コントロールされた実験を得て、週ごとの経済成長にもっともらしく影響を及ぼすことのできるその他の交絡変数もコントロールしているのだ。そのすべてがこれを行う正しい方法だ。

ウィルソンが指摘するように、彼のものはこれらの方向での最初の試みに思える。以前の研究は大きく2つのカテゴリに分けられる。1つ目は、景気対策をした場合としなかった場合両方の雇用を予測する(そのため、彼らは刺激の観測された効果ではなく予測された効果をテストしている)、モデルに基づくアプローチ。2つ目は、守ったり新しく生み出した雇用の数を報告する景気対策の資金の受け取り手を必要とする、調査に基づくアプローチだ。そのような報告の明らかな方法は不正確になりそうだということは別として、それらは第1段階の刺激の効果のみを説明していて、第2段階で生み出された職を無視していて、消費者の支出の効果を無視しているし、神が他のことも知っているということも無視している。

ウィルソンの報告を要約するとこうなる:

  • 財政支出によって生み出されたり守られた職の数は3月の段階では約200万だが、8月にはゼロ近くに落ち込んだ。
  • 効果は業界ごとに異なる。もっとも大きかった影響は建設業界で、刺激されなかった場合と比べて23%の雇用の上昇(2010年8月の段階)が記録されている。
  • どのようにお金が使われたのかがとても重要だ。インフラや他の一般的な用途への支出は大きな正の影響をもたらした。
  • メディケイドを維持するための州政府への援助は実際に州と地方政府の雇用を減少させているかもしれない。これは少し意外だ。それは、非メディケイド地域での支出と雇用を切るよう導かれるというとても大きな負担を州と地方政府に強いる、ひも付きで資金が来るという事実によって引き起こされているのかもしれない。

これはどんなイデオロギーの信奉者に対しても紛れもない援助や快適さを与えたりはしない。そしてそれは決定的なものでもない。1つの研究が決定的になりはしないからだ。しかし、それは過去数年にわたって何が本当に起きたのかの理解への嬉しいスタートだ。

「刺激は職を生み出したのだろうか?」というのは「刺激は良い考えだろうか?」と全くもって同じ質問ではない、ということだけ付け加えておこう。しかしそれは本来重要であり、私は誰かがついに賢明な方法でそれに答えようとしているのを嬉しく思う。

by Steven E. Landsburg

11月16日

(原文: Did the Stimulus Work?)

2010-11-15

[書評] 超ヤバい経済学


超ヤバい経済学 スティーヴン・D・レヴィット、スティーヴン・J・ダブナー著
ヤバい経済学」の続編。
第3章「身勝手と思いやりの信じられない話」はぜひとも読んで欲しい。
この章は、1964年のニューヨークで起きたキティ・ジェノヴェーゼ殺害事件で「38人が警察に通報せずに見守るだけだった」という話から始まる。次に、「人間には生来から思いやりが備わっている」ということを示す行動経済学者の実験を紹介し、この結果に納得できないシカゴ大学の経済学者ジョン・リストの反論実験を紹介している。
「人間は生まれつき思いやりがあるわけでもないし、身勝手なわけでもない。人間に性善説も性悪説もなく、あるのはインセンティブだけだ」というのはジョン・リスト、スティーヴン・レヴィット、ゲイリー・ベッカーの共通見解のようだ。
私はこの3人の見解に同意する。
ジョン・リストの調査が何事かを証明しているとしたら、「にんげんって生まれつき思いやりがあるものなの?」みたいなのは間違った質問だってことだ。にんげんは「よく」もなければ「わるく」もない。にんげんはにんげんで、にんげんってのはインセンティヴに反応する。にんげんはほとんどいつだって、適当なハンドルさえ見つければ―いいほうにもわるいほうにも―操作できる。
それじゃ、気前がよくて献身的で、それこそ英雄みたいな行動が人間にはできるだろうか? もちろん。無関心で心無い行動が人間にはできるだろうか? もちろん。 (P.159)

2010-11-09

[翻訳] 悪のApple帝国


悪のApple帝国 by Russ Roberts - 道草より転載。

ハズレットとの“Google vs Apple”のPodcastの中で、私は人々がAppleを十分にオープンでなく―自社製品の使われ方や売られ方に制限をつけていて、不道徳だとして捉えることに対して驚きを表現した。スティーヴ・ジョブズが制御したいという性格の持ち主で、多分いくつかの理由でFlashを嫌っていて、結果Appleの製品の魅力を減じているとして、怒ったり憤慨したりするのはおかしいと私は主張した。なぜそれが製品を買うことからあなたを遠ざけるのか私にはわかることができたのかもしれない―それはあなたが必要なものを満たすには不十分だ、と。しかし私は道徳的な憤りというのは奇妙な反応に思えてしまう。

ジェリー・ブリトはこう返答している:

続いてラッセルはクローズドな製品を避けるという個人的な信念を、彼のブログにコメントする権利を持っているという感情を持っている数人の彼のブログの読者や、ラッセルの庭のグリルからホットドッグを取る権利を持っていると思っている変人の考えになぞらえている。私はなぜこの喩えが成立しないのか説明しなければならないとは思わない。私が指摘したいのは、道徳的な理由で特定の製品を不買すること(友人に同じことをするよう怒鳴ることさえも)は、全くもっておかしいことではない、ということだ。私たちは、レザーや動物実験された製品を買わない動物愛護主義者や、紛争地域から産出されたダイアモンドを買うことを避ける人々によって、いつもこの光景をみている。ラッセルが道徳的な理由で買おうとしなかった製品だってあると私は確信している。

だから、もしあなたが正直なところ、お高くとまったAppleがインターネットを閉鎖的なものにするのに寄与すると信じ(私はそうではないが)、オープンであることを特に政治的な理由で評価するなら、Appleをボイコットするという完璧に合理的な行動に出ただろう。

もしかしたらジェリーは私の指摘を誤解しているのかもしれない。私は、購買活動に道徳的な役割を持たせることに間違っていることは何も無い、ということには同意する。私が奇妙だと思うのは、製品のオープンさを道徳的な問題として捉えることにある。もしAppleが私がiTunesで購入したものを同期できるデバイスの数を制限しているなら、私のiTunesで曲を購入することに対する関心は薄れる。そう、私は、なぜあなたが自分の音楽でしたいことをするための無料の音楽の世界と全ての自由が欲しいのか理解している。しかし、どのようにジョブズの決定が不道徳なのだろうか? もしくは、ジョブズが全てのiPadアプリ開発者にAppsストアを開放したとしたら、それのどこが不道徳なのだろう? それは悪いビジネス上の決定になるかもしれない。しかしそれは不道徳だろうか? わたしにはわからない。

国が施行している所有権がこれをより複雑にしていることはきちんと理解している。それは一筋縄では行かない。もしかしたら、私たちはよりオープンな所有権制度を持つ消費者として豊かになっていて、創造性とイノベーションを促進する方法として州が現れるよりほかのメカニズムを受け入れていたかもしれない。しかし、多くの人が知的財産を廃止したいかというと、そこまではっきりはしていない。私はそれを実証的な問いとして見ているのであって、道徳的なものとして見ているわけではないのだ。

by Russell Roberts

11月4日

(原文: The evil Apple empire)

2010-11-07

自分が将来を楽観する理由


たいていの経済学者は将来に対して楽観的だ。スティーヴン・レヴィットも、ティム・ハーフォードも、スティーヴン・ランズバーグも、そしてラッセル・ロバーツも。
なぜ将来を楽観できるのだろうか?
それは、今まで人類に立ちはだかってきた困難を「イノベーション」で解決してきた歴史があるからだ。
「世界の終わり」はこれまで何度も訪れている。1900年始めには世界各地の問題で主な交通手段だった馬の糞が増え続け、都市の終わりとしてセンセーショナルに取り上げられた、という話が「超ヤバい経済学」に載っている。
もちろん、全ての問題がイノベーションで解決するわけではない。しかし、イノベーションの威力はたいていの人が思っているよりすさまじい。将来を悲観する理由はどこにも見当たらない。

404 Blog Not Found: それでも私はなるべく後に生まれる方を選ぶたった一つの理由

ここではあえて、若者世代の方の方がいい理由を述べることにする。


理由は、これしかない。

世の中、進歩しているから。

私はこれに全面的に同意する。

2010-11-05

教育レベルを上げるのが貧困をなくす1番の近道である理由


ラッセル・ロバーツも言っているようにだね、貧困をなくす1番の近道は人々のスキルレベルを上げる(=教育レベルを上げる)ことなんだよ。5:11 PM Nov 3rd via Chromed Bird


@GkEc 経済学には疎いので的を外していたらすいません。個人が貧困から脱出するのに教育レベルをあげるのが有効ということはイメージできました。ただ全ての人の教育レベルが同じになれば社会から貧困がなくなるというイメージができなくて。6:16 PM Nov 3rd via Tween


なぜ教育を与えることが貧困をなくす1番の近道なのか。
まず、教育を受けることによって仕事の選択肢が広がる。それは、シグナリングによる(大卒以上しか就けない仕事に高卒であれば就けないが、大学を卒業することによって就けるようになる)ものだったり、教育内容が実践的なものだったり、いろいろな要因による。
今まで途上国のコーヒー農家の息子として朝から晩まで働いていた子供は、教育を受けることによってコーヒー農家を継がずにもっと高賃金で環境の良い仕事に就けるようになる。
問題は、教育を受ける人が増えたらどうなるか、だ。元コーヒー農家が就けるコーヒー栽培よりマシな仕事がなくなってしまうのではないか?
そんなことはない。雇用は「イス取りゲーム(musical chair)」ではないからだ。
経済学者ラッセル・ロバーツの小説The Price of Everythingから、なぜ生産性が向上してより少ない人員でより安く製品が作れるようになると雇用が拡大するのかのルース・リーバーの説明を引用する。
人々が卵により少ないお金しか払わずに済むとき、他のものに費やせるお金は増えるわ。その未使用のお金は使うのに値するのよ。それが起業家や創造的な人々が新しいものを注目されるに値するものにしようとしている理由なの。卵や他の安くなっていく数百万の製品でのコスト削減がないと、新しい何かを手に入れることは古い何かを手放すことを意味するわ。生産性や取引を通じてものをより安くしているとき、それは私たちがケーキを手に入れそれを食べることもできることを意味しているの。私たちは卵や、iPodや、人工のバラの実や、その他の人生をより良いものにしてくれる全てのものをより多く手に入れることができるのよ。
(When people pay less for eggs, they have more money left over to spend on other things. That unspent money is a prize that hands itself out. That’s why entrepreneurs, creative people, are always trying to come up with new things to claim those prizes. Without cost-savings from eggs and millions of other products that have gotten cheaper, getting something new means giving up something old. When we make things more cheaply through either productivity or trade, that means we can have our cake and eat it too. We can have more eggs and more iPod and more artificial hips and everything else that makes life good.) (P.141)
教育を受けると生産性が向上する。つまり、今までと同じ時間でもっとたくさんのものを生み出せる。そうすれば、より多くの雇用を生み出せる。もちろん、教育を受けなくても良い仕事も存在する。(高い技能が必要なほどの高品質ではない)コーヒー豆の栽培もその1つだ。しかし、他のコーヒー農家が教育を受けて別の職に就くようになると、コーヒー豆の栽培業の賃金も自ずと上がる。コーヒー農家が転職することによってコーヒー豆の供給が減り、経済全体の生産性が上がることで実質賃金も増えるからだ。

まとめ: 貧しい人に教育を受けさせることによって生産性が上がり、給与も増える。その際、全体としてのパイも増えるので、ある程度の水準までの教育は貧困を抜け出させ経済全体も豊かになる効率性の高い策だ。

2010-11-04

経済学者か“Economist”か


[書評] まっとうな経済学者の「お悩み相談室」
上の本ではThe Undercover Economistを「覆面経済学者」と訳しているが、この訳には語弊があると思う。ティム・ハーフォードは“Economist”ではあるが「経済学者」ではないからだ。
Oxford English Dictionaryから“economist”の定義を引用しよう:
a person who studies or writes about economics
ティム・ハーフォードはa person who writes about economicsだ。大学教授として研究をしていた経歴はない。(大学講師としてオックスフォード大学で教えていたことはあるそうだが)
広辞苑からは「経済学者」の項目がないので「学者」の定義を引用する:
1. 学問にすぐれた人
2. 学問を研究する人
1の意味ではハーフォードも「学者」と言えるかもしれないが、一般的には学者とは2の意味(特に大学での研究)で使われる。
「覆面経済学者」よりも「覆面エコノミスト」のほうが実態に合うのではないか。
しかしそれほど目くじらを立てるほどのことでもないのだろう。

2010-11-03

[書評] まっとうな経済学者の「お悩み相談室」


まっとうな経済学者の「お悩み相談室」 ティムハーフォード(@TimHarford)著

まっとうな経済学」「人は意外に合理的」の著者であり、本ブログでもたびたび取り上げているティム・ハーフォードの最新作。
本書の原題はDear Undercover Economistで、Financial Times Magazineに連載されていたコラムDear Economistの中からおもしろい質問を厳選したものだという。
正直、経済学の入門書としてはあまり優れていないかもしれない。入門書としては上記の2冊のほうがよっぽど良い。
ではこの本のどこが良いか。
それは、「おいおい、そんなことまで経済学で説明できるのかよ…」というところまで説明してしまっているところだ。
非常にユーモラスで、ウィットに富んでいて、ところどころに皮肉が混じっている。経済学の大学講師について、スパムメールに真面目に返事をして最後に皮肉っていたり。
そして、その量がまたすごい。見開き2ページで1つのQ&Aを終えるという形式で、149ものQ&Aが掲載されている。Financial Times Magazineに週に1度掲載されていたコラムなのでおよそ3年分に及ぶ。これだけあれば誰でも1つは自分のお気に入りのQ&Aを見つけることができるはずだ。

最後に私が気に入った質問を2つ引用しよう。(ハーフォードの回答はぜひ本書を読んで確認して欲しい)

経済学の高等教養課程(Aレベル)を学んでいる17歳の学生です。
まわりには恋人がいる友だちがたくさんいます。私も彼女が欲しいとは思うのですが、勉強がおろそかになるのではないかという不安もあります。費用対効果を分析すると、どのような結果になりますか。(P.52)
息子が経済学中毒になってしまいました。私が息子の経済学の本を没収すると、息子が私の財布からお金をとっていくいたちごっこが続いています。息子にはまっとうな人間になって、ほかのみんなと同じようにパブに通うようになってほしいのです。私はどうするべきでしょうか。(P.84)

2010-11-01

[翻訳] 世界をより良い場所にする


世界をより良い場所にする by Russ Roberts - 道草より転載。

今、子どもが泣いている。目の見えない女性が交差点で助けを求めてニューヨークの路上を歩き回っている。乞食が物乞いをしている。教室に溢れんばかりの大勢の生徒が教師を待っている。心が折れてしまった人がいる。友人の妻は入院していて、彼自身も様々な理由から参っている。

あなたを必要としている人がいる。あなたは助けるだろうか? 見て見ぬふりをするだろうか? 助けるとしたら、どのように助けるだろう? 全身全霊を注いでだろうか? それともあなたはつらかったり、退屈だったり、気が散っているだろうか? あなたの電話は鳴っているだろうか? それとも友人の悩みを聞いている間にEメールをチェックしているだろうか? 簡単なことやあなたにとって最良のことをする理由を見つけられるだろうか? 結局あなたは助けるだろうか?

これらは私たちが日々下している決断だ。私たちが何をするか、それをどのようにするかということは私たちの生活と私たちの周りの生活、家族や友人や見知らぬ人の生活の質を形作っている。それは友人や家族や見知らぬ人への哀れみや情熱を越えている。それは私たちがどう仕事をこなすかであり、私たちがする全てのこと―仕事、遊び、そして家族―義務と責任の全体に持ち込んでいる精神なのだ。

これらの毎日の出会いに関するデータは無い。仕事の数は数えられているが、仕事への情熱は数えられていない。どれだけの労働者が顧客のために余分に歩いたのか、どれだけの従業員がたとえ昨夜十分に睡眠を取れなかったとしても辛抱強く迷惑な顧客に付き合っているかを数えられてもいない。どれだけの人々が孤独なホームレスに微笑みかけているか数えられていないし、病気の人や死にゆく人を慰めに病院へ行く人の数も数えられていないのだ。

2010年の方が1910年よりも情熱に満ち溢れているかどうかはわからない。カリフォルニアの方がニューヨークよりも情熱に満ち溢れているのかもわからない。しかしそれらが重要であることは知っている。経済分析局や労働統計局に計測されないからといって、それらがささいなものだったりはかないものだとは決して言わなかっただろう。

数週間前、トーマス・フリードマンがティーパーティー運動についての記事を書いていて、それをティーケトル*運動であるとして嘲っている。

すべての注意、非組織者、政府と赤字の成長への自己生成された抗議を惹きつけているティーパーティーは、「ティーケトル運動」とでも呼べるものだ―すべての活動は蒸気を放出することなのだから。

その背後にあるエネルギーは本物ではない(それははっきりしている)、もしくはそれは選挙的に影響を与えないだろう(それははっきりしているかもしれない)、と言っているのではない。しかし、選挙に影響を与えることとアメリカの未来に影響を与えることは別物だ。この動きで聞いたすべてを基にすると、すべてが蒸気でエンジンが無いように感じる。それはアメリカの偉大さを取り戻すための計画を持っていない。

アメリカの偉大さを取り戻すための計画は無い。トーマス・フリードマンはどこに偉大さがあるのか知らないのだろう。偉大さは私たちの身の回り全てなのだ。それはワシントンから出てくるわけではない。それはあなたやわたしや私たちがどのように人生を過ごすか、から出てくるのだ。私たちは、新しい公営企業を擁護することによってではなく、私たちの周りの人々への情熱や愛や忍耐や優しさを通じて世界をより良い場所にするのだ。私たちは1分毎、1人ずつ世界をより良い場所にしているのだ。

by Russell Roberts

10月29日

(原文: Making the world a better place)


* 訳注: Tea Kettle=やかん

2010-10-31

[書評] The Price of Everything


The Price of Everything: A Parable of Possibility and Prosperity by Russell Roberts (@EconTalker)

以前ブログに取り上げた著者の前作「インビジブルハート」を超える面白さと洞察を備えている。本書は前作と同じ小説形式を取っており、経済学の洞察をところどころに紛れ込ませている。

あらすじ:
ある日、カリフォルニア州のベイエリアで地震が起きた。スタンフォード大学の学生で、天才的テニスプレーヤーのラモン・フェルナンデス(Ramon Fernandez)が地震後に備品を買おうとスーパーマーケットのBig Boxに行くと全ての商品の値段が通常の2倍になっていた。ラモンは値上げのせいで赤ん坊のミルクを変えなかったメキシコ人の女性にお金を差し出し、こんな店に憤る。そしてラモンはヘヴィー・ウェザー(Heavy Weather)とともに学内にあるBig Boxに対してデモを行う。
そんな中、スタンフォード大学の経済学教授で副学長のルース・リーバー(Ruth Lieber)はラモンに対して利益と損失のメカニズムが自分たち全てをより良くしてくれるということを教えていく。
Big BoxのCEOであるボブ・バックマン(Bob Bachman)はスタンフォード大学のOBで、大学に多額の寄付をしていた。寄付を止められないために、学長はルースにラモンの卒業スピーチをバックマンを怒らせないような内容にするよう頼む。
果たして、ラモンの卒業スピーチはボブ・バックマンを怒らせてしまうものになるのだろうか…。

本書の中で印象に残った箇所を数ヶ所引用する。

We could have passed legislation one hundred years ago mandating low prices for eggs, a price ceiling. But that wouldn’t have truly made eggs cheaper. That wouldn’t have changed how many people it took to produce one hundred eggs. In fact, by taking the profit out of egg making, a price ceiling on eggs would have discouraged people from producing eggs. So eggs would be cheap, but very few people would be able to buy them. (Ruth Lieber, P.102)
I always tell my students on the last day of class not to choose their first job on the basis of money. But I don’t tell them to take the job that pays the least. Without money and the motivation it provides, we’d have no idea how to serve our fellows. (Ruth Lieber, P.120)
Without the incentives of prices and profit and loss, you have no way of knowing what’s truly valuable. (Ruth Lieber, P.123, 124)
But economics is not about prices and money. Economics is about how to get the most out of life. That’s why I tell my students not to take the job that pays the most money. You should take the job that is most rewarding, where the rewards are monetary and nonmonetary. And to get the most out of life, you have to pay attention to costs and benefits. When you decided to come to Stanford, you ruled out the University of Miami. When you chose tennis, you gave up baseball. Doing homework with Amy is time you can’t spend doing something else together. Everything has a price. Living life without taking account of the costs of what you do―the financial costs and the human costs, the costs you can measure and the costs you can only guess at―leaving those costs out of the picture is a sure way to live a meaningless life. (Ruth Lieber, P.124)
Profits would be a terrible way to decide where to take a vacation or who to marry or how to spend your life. If you only use profits or money as the guideposts for your life, your soul will shrivel and die. What kind of moron marries the richest girl who’ll take him? But an economy without profits or losses as guideposts will create a lot of suffering. (Ruth Lieber, P.137)
When people pay less for eggs, they have more money left over to spend on other things. That unspent money is a prize that hands itself out. That’s why entrepreneurs, creative people, are always trying to come up with new things to claim those prizes. Without cost-savings from eggs and millions of other products that have gotten cheaper, getting something new means giving up something old. When we make things more cheaply through either productivity or trade, that means we can have our cake and eat it too. We can have more eggs and more iPod and more artificial hips and everything else that makes life good. (Ruth Lieber, P.141)
Tell me, what is it you plan to do with your one wild and precious life? Let us honor our parents by living our lives to the fullest, using our gifts in the service of others to make the world a better place. This is the best way to thank our parents for what we owe them. (Ramon Fernandez, P.172)

高校レベルの文法で十分な平易な英語で書かれていて、なにより小説としておもしろいので次々読み進められる。前作とのつながりも少しだけあり、エイミー(Amy)がラモンの恋人など、前作を読んでいるとさらに楽しめるかもしれない。

早く日本語訳も出版されて欲しいものだ。

2010-10-27

Googleの独占


非常に縦長なインフォグラフィックだが面白かったのでご紹介:
Research by Scores.org
Google検索では、例えば'email'を検索すると、Gmailが1番上に表示され、(アメリカ合衆国で)最も高いシェアを誇るYahoo! Mailはその次、MicrosoftのHotmailは4番目に表示されたり、他にも地図の表示はGoogle Mapsのみでその他の地図サービスは一切表示されなかったり、'video'で検索したときもYouTubeやGoogle Videoが優先されるなど、問題が多いという。
そしてその他のかつて(もしくは現在も)独占企業だったMicrosoft、AT&T、US Steel、Standard Oilの4社の例を紹介している。いずれも反トラスト法に違反したとして制裁が下った企業だ。
それぞれの企業については上の図を見てもらうこととして、企業紹介の最後にあるGoogleに関する質問を引用しておこう。
(Microsoftの紹介の後に):
Googleは地図や動画のように広範なカテゴリーを支配するために首位で彼らの製品を売り込めるべきだろうか?
(AT&Tの紹介の後に):
Googleは公益企業として見られうるのだろうか?
(US Steelの紹介の後に):
Googleはその規模に対して注意を引きつけすぎているのだろうか?
Google社外にもっと革新的な競合はいるのだろうか?
(Standard Oilの紹介の後に):
Googleは独占的な方法で支配的なマーケットシェアを使用しているのだろうか?

2010-10-25

幸福とお金の関係


少し前にTwitterで話題になった気もするが、幸福とお金の関係についてティム・ハーフォードが改めてコラムを書いている:
Happiness rethink
Economists who study the subject have tended to believe that beyond some minimum, absolute income has little effect on happiness. In any given society, the rich tend to be happier than the poor, but citizens of rich countries are not notably happier than citizens of middle-income countries, and while we are richer than our parents were at our age, we are no happier.
幸福について研究している経済学者はお金の絶対的な量と幸福にほとんど相関はないとする傾向がある。親の世代よりも今の世代の方が豊かだが幸福度は増していないというのは一般的な認識に近いかもしれない。
This finding has been called the Easterlin Paradox, after Richard Easterlin, the economist who first observed it back in the 1970s.
これをイースターリンのパラドックスという。
They found that money is correlated with life satisfaction, but beyond an income of about $75,000, it doesn’t improve your mood: so whether or not Easterlin is right depends on what you mean by happiness.
心理学者のダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンによると、7万5000ドルまでは収入と幸福に相関があるという。この結果だと、イースターリンのパラドックスは人が幸福をどう定義するかによって正しいときと正しくないときがあるようだ。
Not only is money correlated with life satisfaction, but this is true whether they compare the happiness of two people in the same country, one 10 per cent richer than another; or the average happiness in two countries, one with 10 per cent higher income per capita; or the increase in happiness after a period of economic growth has made a single country 10 per cent richer than it used to be. It is absolute income, not relative income, which matters for happiness. The attractions of living in a rich man’s world are back on the table.
対してウォートンスクールの経済学者ダニエル・サックス、ベッツィ・スティーヴンソン、ジャスティン・ウォルファースによると、経済が成長している期間(全員が豊かになり、自分の相対的な豊かさは変わらない)はそれだけ幸福度も上がるという。
But not everyone is so quick to dismiss Easterlin’s work, which has survived careful scrutiny over the years. Andrew Oswald of Warwick University points out that the Wharton research may not have successfully disentangled income from unemployment, which has long been known to be one of the most depressing of experiences.
しかしまだ論争は続いている。
そもそもこれらすべての調査での「幸福度」はアンケートに基づくものなので、客観性を求めるのは無理があるのかもしれない。

2010-10-24

企業の道義的責任


先日、こんな話を聞いた。とあるアメリカに本社を置く製薬企業がごくごく少数の難病患者向けの開発し、アメリカでの販売を開始した。日本の厚生労働省はその企業に日本でも許認可申請するよう求めた。その企業は始めは許認可申請に前向きな返事をしたが、利益が出ないことがわかると申請をとりやめた。そして厚生労働省はその企業を「道義的責任」に欠けるとして非難したという。

この企業は慈善事業としてこの薬を開発したわけではない。利益があるからこそ開発したのだ。
利益を求めて企業が新薬を開発し、今まで治らなかった病に罹っていた患者が治るようになれば、企業も患者も全員が利益を得る。
そんな社会を豊かにしてくれる企業に道義的責任を求めるのはどうなのか。
もし件の企業に日本の難病患者のために許認可申請をしてもらいたいのなら、道義的責任に欠けるとして非難するより、申請にかかる費用の一部を補助するなどしたほうがよっぽど双方の利益に適うだろう。

2010-10-23

[翻訳] 大波を感じる


大波を感じる by Steven Landsburg - 道草より転載。

ポール・クルーグマンは政府支出の急上昇は今までどこにも無いと言う。私はそれは既に起きていると言う。ポールは証拠としてグラフを提示した。私は同じグラフに4年間の急上昇を見て取った。

数人がコメントで私がポールのポイントを無視していると主張した―そのポイントとは、ブッシュ時代を基準線にすれば、基準線と比べて急上昇は存在しない、というものだ。本当だろうか? 以下のグラフはブッシュ時代に始まって今までつづいている連邦政府の支出額だ。青い線はブッシュ政権下での平均年間支出の増加の延長を表している。縦線はオバマ時代の到来を表している。

(このグラフはセントルイス連邦準備銀行のとても便利なFREDデータベースを基に作成した。)

さて、個人的には、このグラフで私が見て取れる主なことは10年間の連邦政府支出の急上昇だ。しかしブッシュ時代を基準線とすると主張すれば―そうだ、あなたに見えるのは、2009年に始まったオバマの大波だ。急上昇が経済状況によって正当化(もしくは強要)されていると論じたいのならわかるが、私はどうやって存在しているものを否定するのかわからない。

覚えておいてほしいのは、全ての合衆国政府の支出(連邦政府だけではなく)を合わせても、グラフはほとんど同じ(ほんの少しだけ劇的でなくなるけれども)だということだ。

以上、そういうことだ。

by Steven Landsburg

10月13日

(原文: Feeling the Surge)

2010-10-22

[翻訳] 思考実験


思考実験 by Russ Roberts - 道草より転載。

第二次世界大戦について先と同じの頭の良い私の友人* に話しているとき、彼はこう言った。「第二次世界大戦は確かに繁栄をもたらしたよ。働いていなかった人々が戦車工場で職を得て使えるお金を得ることができたんだからね。失業はゼロだった。第二次世界大戦の軍事拡大が経済を改善しなかっただなんて言わないでおくれよ!」と。

以下が私の答えだ。

第二次世界大戦時の連邦政府が戦争をやめるという決定をしたとしよう。完全孤立主義だ。しかしとにかく政府は戦車や航空機や爆弾を作ることを決めた。それらの兵器をヨーロッパや太平洋諸国に投入する代わりに、秘密裏に夜にそれらを爆破し、破壊する。工場で働く人々がそれを知ることはない。政府は絶対にそんなことを告げないのだから。代わりに彼らは戦争の努力に貢献していると考える。戦争で戦っている兵士は制服をもらう(そしてもちろんすべての種類の工場が制服を作り、労働者で溢れている)。彼らは訓練をする。しかし彼らが戦うことは決して無い。政府は単に、他の兵士は前線にいて彼らの番はすぐに来ると言うのみだ。だから全ての兵士に職があり、戦車工場や爆弾工場は、以前は失業していた人で溢れている。

完全雇用だ。雇用率は100%なのだ。それだけではない。この思考実験では、連邦政府は戦車工場の賃金を待機者リストができるくらい高く設定している。他にも、以前は失業していていまは働いている全ての人々だけでなく、多くの人々、例えば女性は、やりがいのある仕事ができる。多くの人々が今までよりも多くの使えるお金を得ている。

では、経済の民間部門では何が起こるのだろう? 成長するのだろうか、それとも縮小するのだろうか? これらの全ての女性は今までは働いていなかった。だから多くが共働き家庭になった。完全雇用なのだから!

しかし繁栄はしないだろう。そして1940年代も繁栄していなかった。ノルマンディーの海辺で実際に戦車が使われたという事実は何の影響も及ぼさない。もしくはそれらの人々はナチスと戦って死んでしまった。本物かみせかけかに関わらず、ものを破壊することが繁栄をもたらしはしないのだ。

もっと良いのは、戦車工場と呼ばれてはいるが戦車を作っていない工場のことを想像してみることだ。工場は人々に戦車を作るふりをすることに対してお金を支払うだけだ。しかし工場は労働者に多額のお金を支払っている。失業はゼロであり、労働力は拡大し、人々は多額のお金を得る。そんな経済が繁栄するのだろうか? 全てが支出であり所得なのだ。確かにそれは繁栄するだろう! しかしそうはならないだろう。戦車を作るふりをする工場に十分な数の人々を配置すれば、経済の残りの部分で買い取れる材料は少なくなる。そしてみんなで貧しくなることだろう。実際に戦車を作るときほどではない。実際の戦闘で死ぬほどでもない。しかし、見せかけの工場でたくさんの人々が働き続ける限り、あなたは貧しいままだろう。

支出は繁栄をもたらしはしないのだ。

by Russell Roberts

10月8日

(原文: A thought experiment)


* [翻訳] 政府支出は職を作り出すのかを参照のこと。

2010-10-21

[翻訳] 政府支出は職を作り出すのか


政府支出は職を作り出すのか - 道草より転載。

先日、私はとても頭の良い友人に政府支出とケインズについて話をしていた。彼は、もちろんインフラへの支出は仕事を作り出すし、生み出さなければならない、というようなことを言った。彼には良い仲間がいる。これはスティーヴン・パールスタインがワシントン・ポストに書いたものだ:

1番最近に教科書をチェックしたとき、彼らはいまだに政府の赤字支出は雇用を増加させ経済を活性化させると書いてあった。それ以外のところを信じることは、1000億ドルの減税と財政支出がともかく見取り図なしに経済から消えたと信じることに等しい。

この見方だと、政府支出による雇用創出の影響は単純に算数的なものということになる。パールスタインの見方―彼は正しく、それは本流の教科書の分析だ―だと、お金を使えば仕事が作り出されることになる。私の友人は正しいのだろうか? 特にインフラにお金を費やしたとき、仕事が作り出されると約束されないのだろうか?

もし政府が大量の橋を造れば、そこには橋を建設する労働者が必要になる、ということに関して彼は正しい。だから、その意味で支出は仕事を作り出す。以前私が指摘したところ、刺激策のごくごく少数パーセントしかインフラと呼ばれるものに費やされていなかった。ジョン・テイラーによると、2010年9月に書いている時点で景気対策のたった24億ドルしかインフラに使われなかったという。しかし、本当に道路や橋を建設するのに使われたドルに焦点を当ててみよう。私の友人は正しいのだろうか? そうだ、そこには雇用された人々の給与支払い名簿がある。しかし、支出は仕事を作り出したのだろうか? 普通、その質問の意味は、新しい仕事、もしくは全体として今まであったよりも多くの仕事だとする。

その質問に答えるためには労働者がどこから来るのかを見る必要がある。彼らは、橋を建設するために雇われる前は失業していたのだろうか? もし彼らが離職することが彼らのいた会社での求人を生み出すのだとすれば、それは失業している労働者のための求人なのだろうか? もし橋を建設する技術がやや専門的なものであれば、新しい橋に支出することの効果は、それらの技術を持つ労働者への需要を喚起することだ。それは次々に同様の技術を持つ労働者の賃金を上昇させ、それらの魅力を減少させ、橋の建設に従事する労働者の増加をやや相殺するだろう。そしてそこには橋を造るのに使われる原材料がある。それらの材料への需要の増加は、それらの材料の価格も同時に上昇させ、それらの材料の使用を控えさせ、よそでは雇用が減少するかもしれず、新しい橋を建設するのに雇われた労働者を部分的に相殺するだろう。だから仕事の純数に与える全ての影響はどうなのか言うことは難しい。そして答えは橋を建設する資金がどこからやってくるのかによる。税金か? 借入か? お金を刷るか? これらの全てが経済のどこかで何かしらの影響がある。しかし私は、その質問に答えるより深遠な方法は、新しい仕事 vs 全体としての仕事の数に焦点を合わせることではなく、仕事のことを考えることにほかならないと思う。

政府が人々を穴を掘ってそれを埋めさせるために雇うことを想像してみてほしい。私は2つの理由でこの例を選んだ。1つ目は、ケインズがこの論拠を2回「一般理論」において用いているからだ。*1

いま、大蔵省が古瓶に紙幣をいっぱい詰めて廃坑の適当な適当な深さのところに埋め、その穴を町のごみ屑で地表まで塞いでおくとする。そして百戦錬磨の自由放任の原理にのっとる民間企業に紙幣をふたたび掘り起こさせるものとしよう(もちろん採掘権は紙幣産出区域の賃借権を入札に掛けることによって獲得される)。そうすればこれ以上の失業は起こらなくてすむし、またそのおかげで、社会の実質所得と、そしてまたその資本という富は、おそらくいまよりかなり大きくなっているだろう。なるほど、住宅等を建設するほうがもっと理にかなっている。しかしこのような手段に政治的、現実的に困難があるならば、上述したことは何もしないよりはまだましである。

そして16章にも再度:

貯蓄を用いて「地中に穴を掘ること」にお金を費やすなら、雇用を増加させるばかりか、有用な財・サーヴィスからなる実質国民分配分をも増加させるであろう。だが、ひとたび有効需要を左右する要因をわがものとした日には、分別ある社会が場当たり的でしばしば浪費的でさえあるこのような緩和策に甘んじて依存し続ける理由はない。

2つ目の理由は、ジョセフ・スティグリッツが国会議員に訊ねられたとき真面目な顔でこれに同意していると聞いたからだ。(動画はここにある。もし誰かが辛抱強く質疑応答を印をつけて書き写してくれれば、多大な感謝をする。) ケインズとスティグリッツのどちらともがそれが生産的な何かをするのにより良くなるだろうと言っていたが、それどころか非生産的な労働は財政支出の結果なのだ。

私は違う意見を持っただろう。もし政府が人々に愚かで非生産的なことをすることにお金を支払うのなら、それらは本当の仕事ではない。「給与」を受け取る「労働者」は、失業補償や福祉が化粧直しをしたというだけだ。穴掘りは税金であり、罰であり、政府から小切手をもらうためにくぐり抜けなければならない輪に過ぎない。それをすることに対して誰もお金を払わないだろう。そこに充分に生産的なものは無い。その業務は政府のプログラムが終わるとすぐに終わるだろう。だから、政府が仕事を作り出すことにどんな意味があるのだろうか。失業手当をもらった人全員をとたんに「労働者」と呼び、そのように失業をなくすことは簡単だろう。

私は非常に単純なポイントを本当に用意しているだけだ。連邦政府の給与支払い名簿が―橋の建設や穴掘りやそれなら戦争で戦ったりしてもいい―膨張していけば、全体としての仕事は作られるかもしれないし作られないかもしれない。そして、あなたがそれらの従業員を経済に吸収もしくは何か生産的なものに使ったと考える理由はどこにもない。それは彼らに何をさせたかによる。彼らに何もさせないこと―仕事が非生産的なものかただ単に無条件に小切手を与えるかのどちらかだ―は、それ自身の中で、およびそれ自身で、小切手を受け取っている人以外の人のための繁栄をもたらすことはない。しかしケインズ乗数はどうだろう? これらの人々が次々に彼らのもらった小切手を使って他のものを買いに行く支出はどうなのだろうか。それは次々に新しい雇用を生み出さないのだろうか? ありえただろう。もしくは無かったかもしれない。以前私がこのことについて書いたとき、生産物の増加なしに価格が上昇することはありえただろう。もしくは生産物がより多くの人々が働く代わりに生産性の向上―人々がより懸命に働けば―により増えることもありえただろう。

これは本当に筋が通っているのだろうか? より多くの仕事を得ることなしにすべての種類の貨幣を経済に注入することは本当に可能なのだろうか? 私たちは、より多くの支出なしにすべての種類の仕事を作り出せることを知っているのと同じようにそのことを知っている。もっとも単純な言い方をすると、経済が健康なときに職を作り出すために外部からお金を支出する必要はない。そして経済が不健康なときには、世界のすべての支出は職を増やさないだろう。後者の場合、ジンバブエ、紙幣を刷りすぎてしまった国を考えてみるといい。もしくは私が以前書いた*2 、貧困緩和のために設計された対外援助についてでもいいだろう。お金は経済の外側からやって来る。しかし、貧困を終わらせるよう設計された対外援助を受け取っている国々は豊かになっていない。それらの国々は貧しいままだ。それらの国々の人々に金を恵むことは仕事を作り出さない。そこでは必要な制度や文化がただ単にうまく機能しない。そして裏を返せば、政府支出が崩壊しかけている時代に第二次世界大戦から帰ってきた兵士のことを想像してみてほしい。彼らはどうやって職を何とか見つけ出したのだろうか? それは簡単だった。経済が健康だったのだから。 ケインジアンは破滅を予言し、それは間違っていた。過去50年以上にわたって増え続けている働く女性を見てみてもいい。彼女らはどうやって職を見つけ出したのだろうか。彼女らの仕事は経済のどこからか現れた。硬直的な賃金と需要創出を心配する必要はなかった。経済は健康だったのだ。

今日、経済は健康ではない。何かが壊れている。全てではない。失業率は25%ではない。9.6%だ。しかし回復の夏は過ぎ去ってしまった。そんなに回復はしなかった、少なくとも職の面では。ケインジアンは、刺激は効いたが十分に行っていなかっただけだ、と言うだろう。私の見立ては、景気対策が壊れたものを直すなんてことはほとんどない、というものだ。

そして、何がまさに壊れているものなのだろうか? 何が不健康なのだろうか? 消費者は記録的な水準でまた消費をし始めているというのに。もっとも簡単な答えは、ビジネスは投資ではない、というものだ。投資はいまだに非常に低い水準だ。どうやって多くの借金である政府支出がビジネスの投資を促しているのかという事実を聞いてきてほしい。そのような事実を作るのは難しいだろう。借金での政府支出、特に非生産的な材料では、ビジネスの投資を妨げているように私には見える。しかし、これがそれについて考える正しい方法なのか私にはわからない。ビジネスの投資における用心や自制が労働市場がこんなにも平凡な理由なのかははっきりしない。アーノルド・クリングは再計算と「専門化と取引の持続可能なパターン」について話してくれる。彼は私が何が起きているのかについて考えるのを手伝ってくれた。しかしそこにはそれより多くのことがある。第二次世界大戦後やいままでより多くの女性が労働市場に参入してきたほとんどの時代など、取引と専門化の新しいパターンを再計算したり創ったりするのが時に簡単なのはなぜだろう。それは私たちが完全には理解出来ない謎だ。しかし、自分がきちんと理解していると思っていることは、政府支出と仕事の間の関係は多くの人が考えているよりも必然的なものではない、ということなのだ。

by Russell Roberts

10月21日

(原文: Does government spending create jobs?)


*1 ここでは「雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉」(間宮陽介訳, 岩波文庫, 2008年)より引用した。
*2
[翻訳] 財政支出は繁栄をもたらすのか
を参照のこと。

2010-10-18

[翻訳] 緊縮財政か繁栄か


緊縮財政か繁栄か by Russ Roberts - 道草より転載。

ケインジアンにどうやって政府の財政支出が繁栄をもたらすのかの実証的な証拠を求めたとき、彼らの1番良くて頻繁に返される答えは、どうやって第二次世界大戦が恐慌を終わらせたのか、というものだ―そう、大規模な赤字財政の政府支出の増加が終わらせたのだ、と。しかし、ロバート・ヒッグズが指摘しているように、失業の激減はケインズ乗数の魔法によるものというよりむしろ徴兵制によるものだ―アメリカ人は軍隊に入れさせられたのだから。ヒッグズは、GDPの上昇は政府の生産性の価値を測るという問題(請け負っている政府の下で依頼された戦車の価格は車の価格を意味するものなのだろうか?)と価格統制(いくつかのものは安かったが自由には買えなかった)によって歪められていると主張する。

私はより逸話に富んでいるが多分より説得力のある論拠を用いる。戦時中、アメリカにもイギリスにもドイツにも繁栄は存在しなかった。その時代を駆け巡った人でその時代を経済活動が急成長していた時代として回想する人はどこにもいない。その時代は、あなたが戦車や爆弾や銃弾を作ることに従事していない限り、苦難と困窮の時代だった。そこにケインズ乗数は無かった。戦車に費やした1ドルは、民間経済を「刺激」などしなかった。1ドルの政府支出は1.52ドルの経済生産性を生み出しはしなかった。より多くの戦車は、鉄や労働者がより高価になるため、より少ない自動車を意味した。そして民間が使える資源はより少なかった。

私がこのことについて私の協力者であるジョン・パポラに話したとき、彼は私の主張を軽くいなしているポール・クルーグマンのこの記事を指し示した。先の記事でクルーグマンは、第二次世界大戦でのGDPの上昇はざっと財政支出額と同じ程度だという私と似た見解を展開している、ボブ・ホールとスーザン・ウッドワードのこの記事に反応していた。そこに刺激的な効果は無かった。ホールとウッドワードはマイナスの効果があると主張しているわけではない―測定に関するヒッグズの主張との関連もある。しかし、彼らは、経済の残りの部分にプラスの効果など決して無かったと主張しているのだ。

それでもクルーグマンはケインズ乗数はまだまだ健在だと主張したいようだ。彼はホールとウッドワード(そして恐らく私の主張にも同様に)に2語(原文)で返答している:

ふむ、配給かい?
それからアメリカの歴史のウェブサイトから引用している:
第二次世界大戦が始まると、おびただしい数の挑戦がアメリカの人々の前に立ちはだかった。政府は戦時の間、食料、ガソリン、服までも配給する必要性を見出した。アメリカ人は全てのものを大切にするよう要請された。戦争の影響を受けないものは誰一人としておらず、配給は全てを犠牲にすることを意味した。

ここにいるみんなを助けてやってくれ。私や他の2人は第二次世界大戦での政府支出―債務によって賄われた政府支出の巨大なスパイク波形だ―は繁栄や景気回復をもたらしはしなかったと主張している。爆弾は食べられないし、戦車は着れないし、銃弾でコーヒーを甘くすることもできないので、それは苦難をもたらすだけだった。そしてクルーグマン、ノーベル賞をもらい、しっかりと訓練された経済学者が、私たちは間違っていると主張する。それはケインズ乗数の失敗では無かった、と。私たちが間違っている理由は、アメリカ政府が配給という政府のプログラムによって人々に少ないけれども十分な量を手に入れるよう強制したとしていることにあるという。クルーグマンは、それがもし配給のためでなかったとしたらそのすべての栄光の中にケインズ乗数を見ることができただろうという主張をしているように見える。一体彼は何について話しているというんだ? 彼は配給が欠乏への反応というより欠乏を生み出したと考えているのだろうか?

ケインズ乗数のもっとも愚かな面の1つは1.52のように不変なものとして扱うことにある。それは不変ではありえないし、意味のある方法でもない。もし政府がアメリカの人口の半分を1日中穴を掘らせることに従事させ、もう半分にそれを埋めさせ、全員それぞれに日給として10億ドルを支払い、掘って埋めた穴を1兆ドルと評価すれば、GDPは非常に、非常に高くなり、失業はゼロになるだろう。しかしそこに刺激的な効果は無く、私たちはすぐに餓死するだろう。(人々を働かせる際の配置についてはここでは無視する。)

第二次世界大戦が民間部門を刺激しなかったという事実は、ケインズ主義がいつも失敗するということを証明するものではない。もしかしたらより小さい軍隊とより少ない戦車なら違ったかもしれない。しかしそれは間違いなくケインズ主義の成功を証明するものでもない。ケインズ主義は成功しなかった。ケインズ主義は民間部門を刺激しなかった。ケインズ乗数は、政府の契約の受け取り手として、元々の支出に50セントや2ドルを上乗せしたり、労働者が使えるお金を増やすことはなかった。ケインズ乗数は民間部門を餓死させた。それはケインズ刺激の例としては失敗だったのだ。

by Russell Roberts

10月7日

(原文: Austerity or prosperity?)

2010-10-14

学校の掃除とケインジアン


私のクラスでは、教室掃除のときに担任がシュレッダーのゴミを撒く。そうすると生徒がよく掃除をするようになるかららしい。当然生徒は毎回文句を言っている。
これはポール・クルーグマンを始めとするケインジアンとラッセル・ロバーツを始めとするハイエキアン(というより反ケインジアン?)の論争に似ているのではないかと思う。
この論争はマクロ経済学(の政府の市場介入)に関するものだが、これを教室での掃除に例えてみよう。
「ゴミを撒けばしっかり掃除をするようになり教室はきれいになる」というのがケインジアンの言い分だ。それに対して「そんなことはありえない」とするのがハイエキアンだ。
ケインジアンは「きれいになっている証拠にしっかりととれるゴミの量が増えているじゃないか」と主張する。ハイエキアンは「そのほとんどはシュレッダーのごみでその他のゴミはむしろ減っている」と反論する。

この「ケインジアン vs ハイエキアン(反ケインジアン)」論争に興味を持たれた読者の方は、night_in_tunisia(@night_in_tunisi)さんの主催するブログ「道草」を読んでみて欲しい。これは英米の経済学者のブログや論文を翻訳しているブログで、私も参加している(私の翻訳一覧)。
どちらが本当に正しいのだろうか。(ちなみに私はラッセル・ロバーツ(ハイエキアン)寄りの立場だ)

2010-10-11

「教育」を論じるときには論点を絞ろう


うめけん(@umeken)氏のTogetter:
【まとめ】教育こそが日本を変える。真の次世代投資・育成を。byうめけん
うめけん氏が言いたいのは要するに、「このままでは世界の流れに取り残されるからもっとすばやく時代の流れに合わせて教育内容を変更していこう」ということらしい。
これ自体はとてもまっとうな主張だろう。
しかし、予算も限られている中では学校教育で行えることにも限界がある。現在の制度に不備や不満があるのは当然のことだ。
「現在の教育を変えなければいけない」という主張にほとんど意味は無い。どんな教育制度を持つ国でも教育改革の必要性は叫ばれていることだろう。
「変える必要性があるかどうか」よりも重要なのは「どう変えるのか」ということだ。

その場合には論点を絞って個別に議論するべきだ。
教育についてまとめて論じようとすると「このような教育がベスト」というある種の固定観念を主張するだけになってしまいがちだ。個別に論じることによって「これを導入(この制度をこう変更)することは生徒の効用を高めるか」という観点からデータを交えて冷静に論じることができるだろう。

まとめ: 教育について議論するときには、イデオロギーを主張しあうのではなく、個別の案件について「生徒の効用を高めるか」という視点でデータで検証しながら論じよう。

おまけ: 65歳以上の人はすでに定年していることが多く、教育について真剣に考えるインセンティブがほとんど無いので、もし教育制度を変えたいのなら65歳以上には教育に対して口出しできないような制度作りが必要かもしれない。(それより下の世代はどうかというと、学生は自分の競争力、経営者は自社の競争力がかかっているので教育に対して高い意識を持っていると考えられる。採用権を持たない労働者はここでは無視する。)

※細かいことを言うと、上に挙げたTogetterは「教育」ではなく「学校教育」について論じている。

今朝 @umeken さんが教育についての議論をしてたみたいだけど、教育は広いテーマだから論点絞らないとイデオロギーを主張しあうだけになっちゃうよね…。4:37 PM Oct 8th via HootSuite

2010-10-07

[翻訳] 成長のモデル


成長のモデル by Tim Harford - 道草より転載。

世界はPlay-Doh*1のようなものなのだろうか? それともレゴのようなものなのだろうか? こんなことを経済学者に訊ねるのはおかしいかもしれないが、最近、オックスフォード大学、LSE*2 、英国国際開発省の間で設立された新しいジョイントベンチャーによってLSEで開催された「Growth Week」に刺激的な人物が出席していた。

Growth Weekは開発経済学者と開発途上国の政策立案者を集めていて、私の注意はポール・ローマー、リカード・ハウスマン、ジョン・サットンに奪われていた。3人とも、経済学の改革者なのだ。

ローマーは内生的成長理論を生み出した―そしてマイケル・ヘーゼルタインにアイディアが「ブラウンのものではない―ボールズだ!」*3 と言ったことで印象深い。彼は学界の一線を退き、成功しているオンライン教育企業を設立し、今は現代版香港とも言える「自治都市」の創設を推進するために世界中を飛び回っている。彼については今後のコラムでもっと言及する。

Play-Dohとレゴについて訊ねたのは、かつてはベネズエラの大臣で今はハーバード大学の教授であるハウスマンだった。ハウスマンは、物理学者シーザー・ヒダルゴと共同で(彼らの業績については以前書いている*4 )、国内経済の複雑化とそれが作り出す生産物の種類の間の関係を解き明かそうとしている。

経済学者は経済をPlay-Dohのようなものとして見る傾向があった。生産物は、資本と労働と呼ばれる、数種類の未分化な「材料」の投入によって生産されている。もっと洗練された計算だと、土地、教育(「人的資本」)、制度(「社会資本」)も計算に入れるかもしれない。それでも、これらはたかだか5種類の材料に過ぎず、経済成長とはより多くの材料を集めてそれをより効率的に使うというだけのことだ。

ハウスマンは、これは洗練された生産物やサービスを生み出すのに必要な能力について考えるには役に立たない方法だと説得力たっぷりに論じている。例えばAmazonは、インターネットへの広範囲なアクセス、クレジットカード、物理的な住所、信用できる郵便局を必要とするサービスを提供している。ランの花のビジネスは、正しい種類の土地、水、電気と共に輸送するための適切な不文律が必要だ。いくつかの国ではインターネットショッピングが許可されているという前提条件が必要かもしれないし、他はランの生産のための肥沃な地域かもしれない。必要とされているものは「より多くの人的資本」では無く、むしろそれよりも明確で時には緻密な必要条件だ。それは違う形をしたレゴブロックであってPlay-Dohの塊ではない。

ハウスマンのレゴの比喩はおそらく楽観的すぎる。むしろ、これらのつかみどころのない経済的性質はおそらくコンピューターの部品(キーボード、マウス、スクリーン、インターネットへの接続、CPU)に近いものだろう。あなたは様々な方法でそれらを組み立てることができるが、数個の部品を取り外しただけで使い物にならなくなってしまうし、CPUなどのいくつかの部品は必要不可欠だ。ハウスマンは、国が能力の臨界点を持つに至るまで、より多くを得る必要がなくなる地点があるのではないかと心配している。ソフトウェアがなければキーボードをわざわざ手に入れる必要はない。

LSEのジョン・サットンは、企業がどうやってその能力を得ているのかということを解き明かそうとしている。彼の調査で、例えばエチオピアで主要な製造業の企業の多くが小規模製造業者としてではなく商業者として始まっている、ということが明らかになっている。彼らは50人の組織を動かすノウハウや市場についての本当の専門知識を持っている。ある不幸なマッチ箱の製造業者は輸送費を含めて5分の1の価格の中国からの輸入品によって競争に負けてしまった。あるしたたかな貿易業者は、中国のサプライチェーンを理解していてどうやって競争したらいいのか知っていたので、鉄線の製造に参入した。

サットンとハウスマンは全く異なる戦略を持っているが、共有している問いがある。「能力」が経済成長のレゴブロックだとしたら、それらはどこから湧き起こり、どうしたらもっと作ることができるのだろうか?

by Tim Harford

10月1日

(原文: Models for growth)


*1 アメリカ生まれの子供用造形粘土。
*2 London School of Economicsの略。ロンドン政治経済大学。
*3 1994年から1999年の間、エド・ボールズは経済学のアドバイザーとしてゴードン・ブラウンの下で働き、その間大臣のシャドウ・ライターとして「ポスト新古典派の内生的成長理論」というフレーズを使って大臣のスピーチを書いていた。これは保守党の高官であるマイケル・ヘーゼルタインを怒らせ、彼は「それはブラウンのものではない。ボールズだ。」と言い返した。
*4 Why getting complicated increases the wealth of nations

2010-10-06

病院食が栄養に乏しい理由


Why is hospital food so nutritionally bad?

Why is hospital cafeteria food so poor from a nutritional point of view? Fried chicken, preservative-filled cold cuts, cheese everywhere, etc. Keep in mind I am not talking about the food served patients who may have appetite problems. It is food they serve everyone else including doctors and nurses, many of whom know better.
日本ではどうなのかわからないが、医師や看護師を含む病院関係者が利用する病院内の食堂では不健康な食事が出されているそうだ。それはなぜなのか。
Few people choose a hospital on the basis of the food or on the basis of the food their visitors can enjoy. Furthermore the median American has bad taste in food and the elderly are less likely to enjoy ethnic food or trendy food. You can't serve sushi. They are likely to use the same food service contract for the patients and the visitors.
1つ目は、病院食で病院を選ぶような人がほとんどおらず、お年寄りがエスニックフードや流行りの食べ物を好まないということ。
For the patients, some of the food is designed for the rapid injection of protein and carbohydrates. For a terminally ill patient who is losing weight and wasting away, this may have some benefits. Since healthier people tend to have very brief hospital stays, they can undo the effects of the fried chicken once they get out. Many of the sicker patients in for longer stays have trouble tasting food properly at all.
2つ目は、末期患者は既に大きく健康を損なっているので、不健康だけれどもおいしい食べ物を食べるほうが良いかもしれず、健康な短期患者はすぐに退院するので影響がほとんどない。
Taxing hospital visitors is one way of capturing back some of the rents reaped by patients on third-party payment schemes.
3つ目は、不健康な食事を出すことで病院にまた来るように仕向けて収益を上げる方法になる、というもの。
I would be interested to know more about the insurance reimbursement rates for hospital food, but at the very least I suspect there is no higher reimbursement allowed for higher quality. Combine third party payment with a flat price for rising quality and see what you get. Furthermore, low quality food is another way the hospital raises its prices to inelastic demanders, again circumventing relatively sticky reimbursement rates from the third party financiers. It's one sign that the net pressures are still in inflationary directions.
4つ目は、質の高い病院食を出しても病院側に金銭的なメリットがなく、質を下げても病院に来る患者がそう減るわけではないため、実質的な値上げの方法に使われるということ。
You can take the quality of the food as one indicator of the quality of other, harder-to-evaluate processes in the hospital.
5つ目は、病院の場合、食の質で病院全体の質を推し量ることが難しいということだ。

病院食の質を上げるには病院のサービスと病院食を切り離すことが必要かもしれない。

追記: @kmiyazawaさんの指摘によると、5つ目は「病院食で病院全体の質を推し量れる」と結ばれている模様です。

2010-10-04

[翻訳] マクロ教


マクロ教 by Tyler Cowen - 道草より転載。

総需要・総供給のほとんど全てのフレームワークは、労働供給は名目賃金に対して大きく弾力的で、労働需要は実質賃金に対してある程度弾力的であるという仮説に基づいている。企業のとる行動に不思議な点は何1つとしてない―企業がうまく労働者達により低い実質賃金を受け入れさせることが出来れば雇用は増加するのだ。

これはアーノルド・クリングの文章で、ここで全文を見られる。多くのケインジアンは、リアルビジネスサイクル理論や合理的期待仮説の不況による失業を「自発的な休暇」をとっているとして、揶揄するのが好きだ。しかしケインズ理論も負けず劣らず深刻な問題、すなわち労働者は不況の間「間抜けな自発的休暇」をとっていて、それは彼らの名目賃金カットに対する頑固さのせいだとする問題を抱えている。リフレは(もし行われたらの話だが)、労働者にとって、最初にアメリカ政府に泣きついて賃金カットを受け入れるのと変わらない。

失業のコストについてあなたが語る物語が悲惨であればあるほど、問題は実証的な側面でより難しくなる。

総需要のマクロ経済学は多くのケースに紛れ込んでいるし、マクロ指標が破滅的な方向へと向かっているとき、マクロ経済学はほとんど「機能している」(うまく予言している)。なぜそれが少しでも機能するのか私たちにはさっぱりわからないし、それがいつも機能するのかもわからないが、それでも私たちはそれへの確信の大きな熱狂と懐疑派の悪魔化がわかっている。

by Tyler Cowen

9月29日

(原文: Macroeconomic faith)

2010-09-30

食料自給率が低いことは問題なのか


先日、Twitterで「学校で食料自給率が低いことは問題だと生徒に教えるのはおかしい」という主旨の発言をしたところ、「食料自給率が低いことは問題だと教えることのどこが問題かわからない」というような返信を頂いた。
経済学の観点から食料自給率について論じる言説は巷に溢れているが、改めて食料自給率について論じてみる。

Twitterなどを見る限り、食料自給率向上派の論拠として挙げられるものは主に3つだ。1つ目は、地球温暖化による環境の変化で食料の生産量が減少したり、世界人口が増加して全体的に食料が不足したりして、各国が日本への食料の輸出を減らすかやめてしまうかもしれない、というもの。2つ目は、突発的な戦争などによって各国の食料の輸出入が突然ストップする、というもの。そして3つ目は他国に食料というカードを握られていると外交的に弱い立場に立たされる、というものだ。
このうちのどれをとっても国策として食料自給率を向上させる論拠にはならない。1つずつ反論していこう。
地球温暖化や世界人口の増加による食糧不足はイノベーションによって解決されるはずだ。農業の生産性は着々と伸びている。10~20年のうちに農業生産性の伸びが急にストップするかもしれない、という意見も聞くが、それは結局のところ杞憂に終わるだろうと考えている。
突発的な戦争が起きた場合、日本が食料を輸入している全ての国と戦争を行うとは考えにくい。もし主要な食料輸入国が全て敵側に回ってしまうことを考えたとしても、その際に必要なのは食料の輸入先の分散化であって食料自給率の向上ではない。そもそも、戦争の際に食料が自給できてもエネルギーを諸外国に頼っていれば食料の生産地から全国に運ぶことができない。
外交カードの問題にしても食料の輸入先を分散化すれば良いだけのことだ。
その他にも水資源を引き合いに出す人もいるが、これは食料の問題ではなくエネルギーの問題だ。そうにも関わらず、なぜエネルギー自給率向上について声高に叫ぶ人が見当たらないのだろうか?

なぜ私は食料自給率向上政策を頑なに拒絶するのか。
輸入先の分散化の代わりに食料自給率の向上をしても良いように思える。
食料自給率が市場の成り行きによって自然に上がっていくのなら良いだろう。食料の輸入が減れば食料価格が上がって農業に転向するインセンティブが高まり、農業用の土地や農家は増える。
しかし国策として自給率向上を行うのなら話は別だ。
なぜなら、そのようなことをすれば日本を含めて世界中が今より貧しくなるからだ。
国策として食料自給率を向上させるには、既存の農家に補助金を出して不採算な農業に留まってもらい、外国からの食料輸入を減らすことになる。
するとどうなるか。日本の消費者は高い税金を支払って今までと同じかそれ以上の価格で食料を買わなければいけなくなる。日本に食料を輸出していた発展途上国の農家は収入が激減して餓死してしまうかもしれない。

食料自給率を市場に反して無理やり上げることには何の利点も存在しない。
そんなことより、農家への補助金を廃止したり、農地の取引を簡単にしたり、農業への参入障壁を撤廃したりして、農業を自由化する方がよっぽど日本も世界も豊かになることだろう。

追記: 食料自給率についてのツイートまとめ

2010-09-29

相手に自分にとって好ましい行動をとってもらうには


ティム・ハーフォードの相談コラム:
How can I guarantee a good reference?

My old university tutor often complains when he has to write references – they take up a lot of his time, and he doesn’t get paid for them.
相談者の大学の指導教官は膨大な時間を費やして彼の学生の就職のために推薦状を書いていて、それに対して報酬はなく、愚痴をこぼしているらしい。
How can we motivate my tutor to write a fair and accurate reference, and compensate him for his time?
推薦状1通あたりに対して報酬を支払うことにすると、指導教官には学生のことを酷く書くインセンティブが生まれる。酷い推薦状では就職できず、この指導教官にまた推薦状を書いてもらわなければならなくなるからだ。
就職できたら報酬を支払う、ということにしても、今度は指導教官に学生を大げさに褒め称えるインセンティブが生まれてしまう。
どうすれば指導教官にフェアな推薦状を書いてもらえ、そしてその費やされた時間に対して適切な報酬を与えられるのだろうか?
ハーフォードの回答:
Perhaps he could be awarded a commission: 0.1 per cent of your salary, for as long as you have the job. A couple of hundred successful candidates placed and the sums involved start to build up. If he over-eggs the reference and places you in the wrong job, you won’t last long and he’ll miss out on years or decades of future commission.
ハーフォードは、完璧な解決策はまだ存在していないとしながらも、1つの効果的に思える解決策を挙げている。
それは、その推薦状によって得られた職を続けている間は給与の0.1%をその教官に分け与える、というものだ。
もし大げさに書き立てると、その学生が自分に合わない職に就くことになり、離職してしまう確率が上がるため、指導教官の利益にならない。
ある相手に自分にとって好ましい選択をしてほしいのなら、自分と相手の利害を一致させることが重要だ。

ちなみに、このティム・ハーフォードの記事は、Dear Economistの最後のエントリだそうだ。私自身このコラムをとても楽しみにしていた一読者なので、非常に残念だ。
なお、Dear Economistが終わっても、ハーフォードの他のエントリをこのブログでも紹介していくつもりなので楽しみにしていてほしい。

2010-09-27

[書評] 銃・病原菌・鉄


銃・病原菌・鉄〈上巻〉
銃・病原菌・鉄〈下巻〉

最近何かと話題になる感のある本書。本書は、著者が1973年頃に滞在していたニューギニアでフィールドワークを手伝っていたヤリという1人の青年の素朴な問いに答える本となっている。その問いとは、「なぜニューギニアには素晴らしい技術がなく、植民してきたヨーロッパにはあるのか?」というものだ。
著者は、この問いについて明確な答えはまだ出ていないとしながらも、いろいろな側面からこの問いについて考察している。
なぜヨーロッパ人がアフリカや南北アメリカを征服し、その逆にはならなかったのだろうか?

著者によると、それは「偶然」の賜物だという。
1万3000年前、どの大陸の人類も同じような狩猟採集生活を営んでいた。しかし、「偶然」ユーラシア大陸には他の大陸に比べて家畜化可能な動物や生産性の高い作物が多く自生していた。そのため、「偶然」ユーラシア大陸で1番早く農耕が始まった。農耕の開始により食料生産に従事しない人を養う余裕ができ、中央集権のしくみや文字など狩猟採集民族には成しえないものが生まれた。数千年に南北アメリカ大陸でも農耕が始まった。
「偶然」ユーラシア大陸は東西に長かったので、食料生産の技術や作物が伝わるスピードが速かった。気候によって技術をあまり変える必要がなかったからだ。対して南北アメリカやアフリカは南北に長かった。そのため、気候による差が激しく、肥沃地帯と肥沃地帯の間に砂漠があったりして、なかなか食料生産が伝わらなかった。
それは発明の広がりにも影響を及ぼした。ユーラシア大陸では文化が隣接していたので中国の発明がヨーロッパに伝わるのも容易だった。文化圏どうしが競争しあっていたので、新しい発明を取り入れない文化圏は取り入れた文化圏に征服されるか、その圧力に対抗するために発明を取り入れた。対して南北アメリカやアフリカには交流のない文化圏が陸の孤島のように点在していたので発明が伝わらず、周囲からの圧力もないので放棄される発明も多々あった。
そのような偶然が折り重なって、1533年にスペインの征服者ピサロはわずか168名の兵士を引き連れて数万の兵士に守られたインカ帝国の皇帝アタワルパを捕らえ、処刑することができた。タイトルの「銃・病原菌・鉄」は、スペインがインカ帝国を征服できた直接の要因を表している。病原菌でインカ人の人口を激減させ、銃と鉄剣によって石の棍棒で戦うインカ帝国の兵士を打ち破ったのだ。
つまり、1万3000年前の大陸ごとの「偶然の」環境の違いが全ての原因なのだという。

本書はとにかく長い。上下合わせて600ページ、そして1ページに文字が詰まっている。
長いと思う人は6章から9章までは読み飛ばしてもいいかもしれない。
個人的には、エピローグの中国とヨーロッパの違いに関しての話が非常に興味深かった。
なぜヨーロッパが南北アメリカやアフリカを征服し、中国はそうしなかったのか。中国は早くに統一されてしまったために、上層部の1つの判断で中国全土の進歩が止まってしまうことが多々あった。対してヨーロッパは今日に至るまで統一されたことが1度も無いので、1人の国王が進歩を止めてしまっても、必ず進歩を進めようとする国王がいた。そのため結果的にはヨーロッパは中国を追い越したという。
自分のあまり知らない分野であるためあまりツッコミやコメントはできないが、素晴らしい1冊だ。

2010-09-26

[翻訳] 教養教育の価値


教養教育の価値 by Tyler Cowen - 道草より転載。

セス・ロバーツはこう書いている:

「教養教育」は誰も首尾一貫した擁護ができないくらい擁護するのが難しいのではないだろうか?

ブライアン・カプランがみずから教養教育を攻撃したかは記憶にないが、彼もまた懐疑的なようだ。

教養教育は、たとえ次の標準テストの点数を上げないとしても、私たちにより緻密な思考を与えてくれる。ここ州立大学のより少ない学生にさえも影響があることはわかっている。それは、大したことのない高校ばかりのアメリカにたくさんの傑出した大学院が存在するのかということを説明するのにも役に立つ。他のどれくらいの国が学部の間の教養教育を重視しているのだろうか?

教養教育は私たちが暗号システムを解読しなければならないよう仕向ける。私たちは、暗号システムがどれだけ複雑になりうるのか、それらを解読するのに必要なのは何か、なぜそれが楽しい過程になりうるのか、ということを学ぶ。そのスキルは将来のたくさんのキャリアパスで役立つだろう。あなたがテレビ番組をもっと楽しむのにも役立つだろう。

似たような理由だが、私は大人として第2言語を学ぶ人々は特に、他の人々がどのように物事を見ているのかということを理解するのが得意だと信じている。

私は食べ物だからというだけでなく、(いろいろなトピックの中での)食べ物に関心がある。私は暗号の意味、卓越した文化的慣例、アイディアの伝達、どうやって分野の細部が互いに密着して全体を形成するのか、ということを理解する上での投資対象としても食べ物を捉えている。私はこの知識が私をより賢くしてくれると信じているが、大量生産された形式ばったテストでその効果を測れるかどうかはわからない。私はこの趣味を、独学でも私の教養教育を続けているのだとして見ている。

すぐ近くで4年間の教養教育を受けているヤナを見て、彼女の学校はとても良い学校だと信じている。私は彼女が重要なことを何も学んでいないとまじめに考えてみたことは1度も無い。

by Tyler Cowen

9月21日

(原文: The value of a liberal arts education)

2010-09-24

経済学と経営学の違い


磯崎哲也(@isologue)さんのツイート:

経営学はどうしたら企業が超過利潤を得られるかを考え、経済学はどうしたら企業が超過利潤を得られないようにできるかを考える。
これについてもう少し詳しく説明しよう。
企業が利益を出すにはどうすれば良いだろうか? いろいろな回答があるだろうが、そのうちの1つは、競争を避けることだ。
経済学の想定する「完全競争市場」では、どのような製品でも一社だけではなく、大量の他社が同一もしくは同じような製品を販売しているので、それぞれの企業は価格を少しでも上げると消費者が他社の製品に流れてしまう。そのような状況ではそれぞれの企業は利益が出るか出ないかのギリギリのラインに価格を設定せざるを得ない。正確に言うと、完全競争市場では企業に自由に価格を設定する余地は無い。
しかし、実際には完全競争市場は存在しない。市場ごとに競争の度合いがかなり違うこともある。そのため、競争のより少ない市場で製品を展開することによって高い利益を得ることができる。マーケティングなどは競争を避けるための1つの手段だ。
これが先のツイートで磯崎さんが定義した「経営学」だ。
対して経済学はどうか。
経済学は、全員が最も幸福になれるような制度設計を目指す学問だ。ここでは、競争的でない市場をできるだけ完全競争市場に近づける制度設計を行う学問、ということになる。

まとめ: 経済学と経営学の大きな違いは、経営学は一企業の視点からできるだけ競争を避ける方法を研究し、経済学は全体の視点から最も利益を得られるよう競争的でない市場をできるだけ完全競争市場に近づける制度設計を研究する、ということにある。

経済学→みんなが幸せになれるようにルールを変えよう! 経営学→既存のルールの中でうまく立ち回ろう! といういい加減な理解…11:50 AM Sep 23rd via HootSuite

2010-09-21

[翻訳] なぜ誰かがわざわざWikipediaに投稿するのか?


かつて「Dear Economist」へ、なぜ人々は彼らに何も良いことは無いように見えるのにYouTubeに古典的コメディのビデオクリップを投稿したりわざわざオンラインレビューを書いたりするのか、という投稿が寄せられた。教科書に載っている経済モデルなら、人々はそんなことをするはずがないと言うだろうが、実際にはオンラインレビューを投稿したりYouTubeに投稿したりしている。私の答えは、要するに人々はそんなことはしていない、というものだった。はるかに多くの人々が、レビューを書くよりも多くの本を読み、YouTubeに投稿するよりも多くのビデオを見ている。合理的経済人への明らかな擁護としては、私の答えはそう悪いものではないだろう。しかし、オンラインのボランティアを理解する方法としては役に立たない。

経済理論もまた、全く助けにならない。「公共財供給」とは、地球のためにソーラー・ホット・ウォーター・システム(太陽光のエネルギーを使うテクノロジー)を導入したり図書館に寄付したりWikpediaで1パラグラフの文章を書いたりすることに対して経済学者が付けた名称だ。問題点は、このような貢献に対して経済学が何の説明も持たないことではなく、ありすぎることなのだ。おそらく人々は純粋な利他主義者で、他人の楽しみによって動機づけられているのだろう。おそらく彼らは貢献の過程を楽しんでいて、実際に価値があるかどうかは二の次なのだろう。もしくは、おそらく彼らは善い行いをしていると認められることで得られる良い評判に喜んでいるのだろう。

今まで、この問いへの私たちの理解のほとんどは実験室での実験に根差すものだった。与えられた社会的コンテキストの重要性では、これらの実験は誤った問いに対して的確な答えを与えることがある。

しかし、2人の経済学者、Xiaoquan ZhangとFeng Zhuによる新しい研究はこの問題に光を落としている。ZhangとZhuは中国語版Wikipediaを見た。Wikipediaは、編集がなされたとき、すべての登録ユーザーがサイトに施した変更と彼らがしたことを全て記録している。Wikipeidiaはまた、ユーザーページを提供していて、個々のユーザーがそれぞれに話しかけ合ったり彼らが行った変更について議論できる。

中国政府はWikipediaへのアクセスをしばしばブロックしている。ZhangとZhuは中国本土の投稿者がサイトにアクセスできなかったがその外からの投稿者ならアクセスできた2005年10月の特殊な事例を研究している。

研究員は、苦労しながらWikipediaが中国本土でブロックされていた間にアクセスした1707人の投稿者を抽出した。ほとんどの場合、それらの投稿者がブロックされていなかったという証拠は彼らが本土のユーザーがアクセス出来ない間に最低1度はサイトに変更を加えていた、というものだ。彼ら2人は、ブロックが施行されている間、それらのブロックされていなかったユーザーからの投稿が40%以上も急減したということを発見した。

この発見は、いくつかの公共財供給の経済モデルを対比し、個々の投稿は多くの人々に広がっているため、より大きな集団はより大きなタダ乗り問題だということを教えてくれる。(不正確な喩えは以下のようなものだ。少なくともグラスを手にできるならあなたはディナーパーティーに高いワインを持って行くかもしれない。あなたはそれを一口も飲めそうにないホームパーティーには持って行かないだろう。)

中国語版Wikipediaの投稿者は他方では、誰も見ていないときにはやけに無口になる。たくさんのいつもアクセスしている読者がサイトから断たれたときには、投稿を続けることができたたくさんの投稿者がわざわざ投稿するのをやめてしまった。最も社交的な編集者らはこれらの活発なユーザーページでほとんどの場合意気消沈した。

だから今はDear Economistへの投稿に対して少しだけ良い答えがある。人々がビデオをYouTubeに投稿するのは、彼らが本当にあなたにビデオを見てもらいたいからなのだ。

by Tim Harford

9月17日

(原文: Why does anyone bother contributing to Wikipedia?)

2010-09-20

飛行機のマイルは経済に打撃を与えるか


毎週恒例ティム・ハーフォードのお悩み相談コラム:
Do loyalty schemes damage the economy?
Frequent-flyer programmes are very popular here in Australia, where people often travel long distances for work and can subsequently be rewarded with large perks by selecting their preferred airline ahead of cheaper offers from other carriers – and to the detriment of their employers.
オーストラリア(に限らずアメリカその他の国でも)ではFrequent Flyer Programという搭乗した距離に応じた ポイントを集めることで無料航空券がプレゼントされる*、日本での航空マイル制と同じような制度があるそうだ。そして、従業員が出張で航空機を利用するときに自分がポイントを集めている航空会社をもっと安い航空会社より優先するために雇い主に損害を与えているのではないかとのこと。
Are we encouraging an inefficient market by signing up to loyalty programmes?
果たして忠節なプログラム(loyalty program)に加入することで効率的市場を促進しているのだろうか?
ハーフォードの回答:
Frequent flyer programmes also artfully create what economists call “switching costs”, by offering employees an incentive to stick with an individual airline. This is a serious problem, because if Kickback Airways has bribed its customers to stay loyal, then AirBribe has little incentive to compete on price. AirBribe may even raise prices; and this makes it easy for Kickback Airways, too, to raise prices. Even if you have nothing to do with the whole business, you’ll still pay more for your flight. It makes you wonder how airlines ever contrive to lose money.
Frequent Flyer Programはスイッチング・コスト(別会社の製品・サービスに乗り換える際にかかるコスト)を発生させる。そのため、競合他社は価格競争をするインセンティブが薄れ、loyalty programによる顧客の囲い込みに走り、結局のところツケは価格の上昇という形でこのプログラムに加入していない顧客に回ってくるのだ。

*Frequent Flyer Program

[翻訳] 財政支出は繁栄をもたらすのか


財政支出は繁栄をもたらすのか by Russ Roberts - 道草より転載。

財政支出は繁栄をもたらすのだろうか。それについて考えたとき、それは風変わりな考えだということがわかるだろう。財政支出は消費だ。消費は資源を使い果たす。これがどうやって繁栄をもたらすのだろうか? それどころか、因果関係は逆になっている―繁栄が財政支出をもたらすのだ。

ケインジアンのロジックはかなり魅力的だ。高失業率の時は、財政支出は需要を生み出すはずだ。どんな種類の財政支出であっても、だ。だから、もし消費者が支出することを望まなければ、政府が経済を刺激することができる。需要がどこから湧き起こるかに関係なく、需要は職を生み出すはずだろう? その後、これら全てが、普通「定常循環(circular flow)」と呼ばれるものもしくはケインズ乗数としても知られているものを通して経済全体に拡大される。彼らの財政支出は、もっと多くの雇用を生み出す需要をもっと多く生み出す。新たに雇用された労働者は使えるお金をよりたくさん持っている。彼らの支出がもっと多くの雇用を生み出す需要を生み出す。そしてすぐにまた景気が良くなる、と。

この話に反対する標準的な反論は、政府支出の財源はどこかからやってこなければならない、というものだ。(私は既にこの主張の自分なりの解釈を提出している) しかし、本質的には、資源はどこかからやってこなければならない、というものなのだ。そして、資源が(10%付近の失業率が物語るように)高い割合で十分に利用されていないとき、この反論は、豊かな時代に比べると説得力がないかもしれない。

しかし、ケインズ体制かつ高失業率の時でさえも、総需要主張はまだ疑わしい―製品の需要の高まりに直面した現実世界でのビジネスは単に現在働いている従業員をもっと働かせてもっと多く生産するか生産を増やすかわりに価格を上げることを決めるかもしれないからだ。失業率が10%であなたも従業員も将来を心配している時なら、両方とも理に適っていて実行可能だ。雇い主はそのような状況で新たに人を雇うことをためらう。従業員は、あまりきつくない仕事を探すよりも少しだけ熱心に働くことを熱望する。

しかし、ケインジアンのポジションに対するもっと良い主張はもっと全体的なものだと思う。経済がめちゃくちゃになっているとき、なぜあなたは支出を増やせば経済が動き出すと思うのだろう? 当面の短期の効果がお金の受け取り手に制限していることを別としても、なぜそれに効果があるのだろうか? なぜそれですべての経済がまた動き出すのだろう?

たくさんの湿った木材があって、火をつけた新聞でそれに火をつけようとするところを想像してほしい。新聞が燃えている間は火があるだろう。しかし1度新聞を使ってしまうと、木材に火は付かないままだ。もっと多くの新聞を燃やしたとしても(もっと大きな刺激策でも)、火が付くほど乾かすには至らない。

そして私たちは経験上の疑問とともに残された。ケインジアンの全ての現代的で数学的な支えとともに語られるケインジアンの説話はただの物語以上の何かなのだろうか? 政府の1ドルの支出は経済活動の1ドルの支出より多くを生み出すのだろうか? つまり、その火は消えそうになっていて、そしてなにより将来についてのより多くの悲観主義を生み出しているのではないだろうか?

どちらのイデオロギーの側から来るかによって経済学者が持ってくるこの質問への答えは随分異なったものになる。彼らがこの質問に答えるためにするのは、さまざまな計量経済学的手法を用いて、政府の持っている他の全てを一定の分使ったときの独立した効果を引き出すことだ。推計結果は全て地図の上にある。

だから、自然の実験を見守るのが当然だろう。ケインジアンにはそれがある。第二次世界大戦だ。以前私が議論したとき、政府の軍事費が軍事部門を刺激するよりも多くのことをしたと考える理由は何もなかった。ケインジアンは当時の上昇したGDPと低い失業率を強調する。しかし、もし全ての男性・女性・子供を政府が購入しその後より多くの徴用労働者で埋めるためのロープを作り巨大な結び目を結ぶために徴用したとすれば、失業率はゼロになり、政府が結び目に高値をつければGDPは上昇し、そして私たちは餓死するだろう。これは繁栄ではない。繁栄の逆だ。

ロバート・ヒッグズが指摘したように、人々に軍で働くよう強制するとGDP(戦車や爆弾、軍の給与すべてを含む)が成長することは、繁栄について何も教えてくれない。あなたは当時人々が消費できたものを見る必要がある。戦車・銃・爆弾の製造の後に残されたものは多くはなかった。時代は、あなたが軍事部門にいれば話は別だが、ひどいものだった。

しかし、1兆ドルが投じられている別の自然実験がある。

対外援助だ。

西側諸国は貧しい国に1兆ドルを送っている。国内刺激ではないこの類のことは資源はどこかからやってこなければならないという批判にさらされない。対外援助では、資源は制度の外側からやってくる。だからこれはケインズ刺激の理想的なテストになるだろう。対外援助の受け取り手の国のほとんどは高失業率だ。だからそこには行動に移されるのを待って寝転がっている多くの余分の資源がある。

対外援助によって資金提供された全てのダム・橋・道路・その他の形態のインフラを想像してほしい。

しかし対外援助支出によってそれらの国に繁栄はもたらされたのだろうか? 一般にはそうではない。もしかしたら決してない。金は使われ無くなってしまう。ケインズ乗数は決して実現しない。そしてそれはケインジアンの経済学がおかしいからだ。私たちにあるのはひどい政府だ。彼らには堕落した風習がある。私たちにあるのは停滞した労働市場だ。だから貨幣の流入は繁栄をもたらさない。それは単に政治的支持のためのレントシーキングをもたらす。

オバマ刺激策がお金の無駄だったのか、さらに大きな不況から経済を救ったのか、それとも経済の自然回復を遅らせたのか、人々は永遠に議論し続けるだろう。それがさらに大きな不況から経済を救ったという証拠はどこにもない。それは本当に経済を救ったかもしれないが、証拠はないのだ。壊れた経済への大規模な注射を受けている証拠は、それらが経済全体でほとんど効果が無かったことだ。それらはお金を受け取る人々の役には立ったが壊れたものを直しはしないのだ。

by Russell Roberts

9月13日

(原文: Does spending create prosperity?)

2010-09-19

ベーシック・インカムの賛否


こんにちは、GkEcさんのTweetいつも楽しく拝見しています。
ベーシック・インカム(BI)について質問です。
近年BIについての議論を多方面で見かけるようになりましたが、
GkEcさんはBIに賛成/反対、どちらでしょうか?
また、その理由についてご意見をお聞かせください。

上原達也

こんにちは。
結論から言うと、私はBIに賛成です。
BIの主な利点は、公平性が上がることと行政コストが下がることにあります。
生活保護の受給基準に関するいざこざも無くなりますし、社会保障給付がBIに一元化されることで年金問題ともおさらばです。一元化により面倒な行政手続が要らなくなり、このような業務に携わっていた公務員も他の業務に振り分けることが出来ます。
最大の問題は、よく言われるように、財源です。1人につき1ヶ月5万円配るとすれば年間で5万円×12ヶ月×1億2000万=72兆円必要になってしまいます。
しかし、私はそれについてもあまり心配していません。Wikipediaによると、2006年度の社会保障財源のうち40兆円が公庫負担・資産収入なので、これをそのまま使えば必要なのは残り32兆円です。これは国民1人当たり27万円です。これなら所得税を5~10%上げればなんとかなるでしょう。

日常の疑問・質問はq@gkec.infoに送ってください。私自身についての質問は極力控えていただけるようお願いします。

2010-09-17

部分と全体の混同―中学の体育大会の練習より―


私の通っている中学でも体育大会(運動会、体育祭などとも呼ばれる)の練習の季節になった。
今日は全校生徒での全体練習があり、最後に、生徒指導担当の教師から「今日の練習では、全体がとても良い雰囲気で、ダルそうな雰囲気が無い。でも、照明のスイッチ盤がどんどん壊されている。昨日、壊れてた10個のスイッチ盤を〇〇先生が直したのに、また今日壊されてる。故意にやったとしか思えない。こんなに良い雰囲気で練習できているうちの生徒がスイッチ盤を壊すようなことをストレスのハケ口にしているかと思うと信じられない。」という話をしていた。
これは別に驚くべきことではない。
我が校の生徒は900人以上いる。このうち890人がしっかりしていて、10人がその限りではなかったとしても、全体としての雰囲気は良いものとなるだろう。ここで重要なのは、良い雰囲気を作る生徒とそこから外れる行動をする生徒は別だということだ。「良い雰囲気を作る」生徒がスイッチ盤を壊すわけではない。

まとめ: 全体の雰囲気と一部のその雰囲気から外れる行動は全く別のものだ。全体の傾向に反する一部の行動があったとしても驚くべきことではなく、2つを結びつけてもあまり意味は無い。

2010-09-16

[翻訳] 政府の幻想 vs 現実


政府の幻想 vs 現実 by Russ Roberts - 道草より転載。

デヴィッド・ブルックスはこう書いている:

社会組織はボロボロだ。人的資本は浪費されている。社会はセグメント化している。労働市場は病気だ。賃金は沈滞している。不平等は進んでいる。国家は消費しすぎていて、イノベーションは進んでいない。中国とインドが波のように押し寄せている。これらの挑戦が全て市場の自然治癒力によって対処できるわけではない。

ブルックスは、政府の力を使うことを受け入れる共和党を望んでいるようだ。そこにはただ1つ問題がある。ブルックスがリストしているそれらの挑戦のうち、どれがワシントンの政治家のトップダウンの治癒力で対処できるのだろう? ワシントンが得意なのは、社会組織をボロボロにして労働市場をふいにしてしまうことだ。彼は、(ワシントンのおかげで!)住宅市場がめちゃくちゃになっていて、ワシントンが損益計算を外して損失を出したことがあるので資本市場が最も価値があるものに資本を配分できていないということを忘れている。めちゃくちゃにされた資本市場と壊れた住宅市場は、人的資本が浪費されていて賃金が沈滞している大きな理由となっている。公立学校もそれぞれの問題に寄与している。

ブルックスは、私たちが隷従への道を降りた後の政府の役割は何かという見通しを持つために共和党を望んでいる。ここにそれが1つある。今より小さい政府の世界では、現在政府によって直接的に規制されているか間接的に締め出されている創造的な方法で、お互いのために品物やサービスを作るために協力したり、お互いに面倒をみあったりすることががさらに自由になる。政府を小さくすれば、私たちは、自分たちや他の人に必要とされている自分たちの知識を使うことを選んだ、もっと私的で自発的な対話が持てる。

隷従への道の反対はわがままへの道ではない―自由への道だ。自分たちや他人を助けるために自由になろう。ナンシー・ペロシやジョン・ボナーやハリー・リードやバラク・オバマやミット・ロムニーやサラ・ペイリンが処方したような偽の治癒ではなく、これが本当の治癒なのだ。彼らには私たちを治すことはできない。決してできないし、決してしないだろう。

大きな政府の支持者はいつも、「私たち」が一緒に何ができるかについて語る。しかしそれは幻想に過ぎない。政府は「私たち」ではない。政府はたくさんの政治家と自分たちの職を守ろうとする官僚の塊だ。そう、彼らは人々の声を聞いてはいる。しかし、いくつかの声が他よりも大きいのだ。

政府を小さくすれば、私たちは私たちが本当に一緒にできることをたくさん得るだろう。それはもっとたくさんのもの、もっとたくさんのガジェット、もっとたくさんの物質的な幸福だけではない。確かに私たちはもっとたくさんのものを得て楽しいだろうが、それは人生に深遠な意味を与えてくれるものではない。深遠な意味と真の満足は、私達自身よりも大きい何かで他人と働くことでもたらされる。それは家族を築くことでもたらされる。それは私たちの理解を超える何かに到達しようと努力することでもたらされる。それが、政府が小さくなったときに私たちがもっとたくさん得るものなのだ。

by Russell Roberts

9月14日

(原文: The romance of government vs. the reality)