2010-09-30

食料自給率が低いことは問題なのか


先日、Twitterで「学校で食料自給率が低いことは問題だと生徒に教えるのはおかしい」という主旨の発言をしたところ、「食料自給率が低いことは問題だと教えることのどこが問題かわからない」というような返信を頂いた。
経済学の観点から食料自給率について論じる言説は巷に溢れているが、改めて食料自給率について論じてみる。

Twitterなどを見る限り、食料自給率向上派の論拠として挙げられるものは主に3つだ。1つ目は、地球温暖化による環境の変化で食料の生産量が減少したり、世界人口が増加して全体的に食料が不足したりして、各国が日本への食料の輸出を減らすかやめてしまうかもしれない、というもの。2つ目は、突発的な戦争などによって各国の食料の輸出入が突然ストップする、というもの。そして3つ目は他国に食料というカードを握られていると外交的に弱い立場に立たされる、というものだ。
このうちのどれをとっても国策として食料自給率を向上させる論拠にはならない。1つずつ反論していこう。
地球温暖化や世界人口の増加による食糧不足はイノベーションによって解決されるはずだ。農業の生産性は着々と伸びている。10~20年のうちに農業生産性の伸びが急にストップするかもしれない、という意見も聞くが、それは結局のところ杞憂に終わるだろうと考えている。
突発的な戦争が起きた場合、日本が食料を輸入している全ての国と戦争を行うとは考えにくい。もし主要な食料輸入国が全て敵側に回ってしまうことを考えたとしても、その際に必要なのは食料の輸入先の分散化であって食料自給率の向上ではない。そもそも、戦争の際に食料が自給できてもエネルギーを諸外国に頼っていれば食料の生産地から全国に運ぶことができない。
外交カードの問題にしても食料の輸入先を分散化すれば良いだけのことだ。
その他にも水資源を引き合いに出す人もいるが、これは食料の問題ではなくエネルギーの問題だ。そうにも関わらず、なぜエネルギー自給率向上について声高に叫ぶ人が見当たらないのだろうか?

なぜ私は食料自給率向上政策を頑なに拒絶するのか。
輸入先の分散化の代わりに食料自給率の向上をしても良いように思える。
食料自給率が市場の成り行きによって自然に上がっていくのなら良いだろう。食料の輸入が減れば食料価格が上がって農業に転向するインセンティブが高まり、農業用の土地や農家は増える。
しかし国策として自給率向上を行うのなら話は別だ。
なぜなら、そのようなことをすれば日本を含めて世界中が今より貧しくなるからだ。
国策として食料自給率を向上させるには、既存の農家に補助金を出して不採算な農業に留まってもらい、外国からの食料輸入を減らすことになる。
するとどうなるか。日本の消費者は高い税金を支払って今までと同じかそれ以上の価格で食料を買わなければいけなくなる。日本に食料を輸出していた発展途上国の農家は収入が激減して餓死してしまうかもしれない。

食料自給率を市場に反して無理やり上げることには何の利点も存在しない。
そんなことより、農家への補助金を廃止したり、農地の取引を簡単にしたり、農業への参入障壁を撤廃したりして、農業を自由化する方がよっぽど日本も世界も豊かになることだろう。

追記: 食料自給率についてのツイートまとめ

2010-09-29

相手に自分にとって好ましい行動をとってもらうには


ティム・ハーフォードの相談コラム:
How can I guarantee a good reference?

My old university tutor often complains when he has to write references – they take up a lot of his time, and he doesn’t get paid for them.
相談者の大学の指導教官は膨大な時間を費やして彼の学生の就職のために推薦状を書いていて、それに対して報酬はなく、愚痴をこぼしているらしい。
How can we motivate my tutor to write a fair and accurate reference, and compensate him for his time?
推薦状1通あたりに対して報酬を支払うことにすると、指導教官には学生のことを酷く書くインセンティブが生まれる。酷い推薦状では就職できず、この指導教官にまた推薦状を書いてもらわなければならなくなるからだ。
就職できたら報酬を支払う、ということにしても、今度は指導教官に学生を大げさに褒め称えるインセンティブが生まれてしまう。
どうすれば指導教官にフェアな推薦状を書いてもらえ、そしてその費やされた時間に対して適切な報酬を与えられるのだろうか?
ハーフォードの回答:
Perhaps he could be awarded a commission: 0.1 per cent of your salary, for as long as you have the job. A couple of hundred successful candidates placed and the sums involved start to build up. If he over-eggs the reference and places you in the wrong job, you won’t last long and he’ll miss out on years or decades of future commission.
ハーフォードは、完璧な解決策はまだ存在していないとしながらも、1つの効果的に思える解決策を挙げている。
それは、その推薦状によって得られた職を続けている間は給与の0.1%をその教官に分け与える、というものだ。
もし大げさに書き立てると、その学生が自分に合わない職に就くことになり、離職してしまう確率が上がるため、指導教官の利益にならない。
ある相手に自分にとって好ましい選択をしてほしいのなら、自分と相手の利害を一致させることが重要だ。

ちなみに、このティム・ハーフォードの記事は、Dear Economistの最後のエントリだそうだ。私自身このコラムをとても楽しみにしていた一読者なので、非常に残念だ。
なお、Dear Economistが終わっても、ハーフォードの他のエントリをこのブログでも紹介していくつもりなので楽しみにしていてほしい。

2010-09-27

[書評] 銃・病原菌・鉄


銃・病原菌・鉄〈上巻〉
銃・病原菌・鉄〈下巻〉

最近何かと話題になる感のある本書。本書は、著者が1973年頃に滞在していたニューギニアでフィールドワークを手伝っていたヤリという1人の青年の素朴な問いに答える本となっている。その問いとは、「なぜニューギニアには素晴らしい技術がなく、植民してきたヨーロッパにはあるのか?」というものだ。
著者は、この問いについて明確な答えはまだ出ていないとしながらも、いろいろな側面からこの問いについて考察している。
なぜヨーロッパ人がアフリカや南北アメリカを征服し、その逆にはならなかったのだろうか?

著者によると、それは「偶然」の賜物だという。
1万3000年前、どの大陸の人類も同じような狩猟採集生活を営んでいた。しかし、「偶然」ユーラシア大陸には他の大陸に比べて家畜化可能な動物や生産性の高い作物が多く自生していた。そのため、「偶然」ユーラシア大陸で1番早く農耕が始まった。農耕の開始により食料生産に従事しない人を養う余裕ができ、中央集権のしくみや文字など狩猟採集民族には成しえないものが生まれた。数千年に南北アメリカ大陸でも農耕が始まった。
「偶然」ユーラシア大陸は東西に長かったので、食料生産の技術や作物が伝わるスピードが速かった。気候によって技術をあまり変える必要がなかったからだ。対して南北アメリカやアフリカは南北に長かった。そのため、気候による差が激しく、肥沃地帯と肥沃地帯の間に砂漠があったりして、なかなか食料生産が伝わらなかった。
それは発明の広がりにも影響を及ぼした。ユーラシア大陸では文化が隣接していたので中国の発明がヨーロッパに伝わるのも容易だった。文化圏どうしが競争しあっていたので、新しい発明を取り入れない文化圏は取り入れた文化圏に征服されるか、その圧力に対抗するために発明を取り入れた。対して南北アメリカやアフリカには交流のない文化圏が陸の孤島のように点在していたので発明が伝わらず、周囲からの圧力もないので放棄される発明も多々あった。
そのような偶然が折り重なって、1533年にスペインの征服者ピサロはわずか168名の兵士を引き連れて数万の兵士に守られたインカ帝国の皇帝アタワルパを捕らえ、処刑することができた。タイトルの「銃・病原菌・鉄」は、スペインがインカ帝国を征服できた直接の要因を表している。病原菌でインカ人の人口を激減させ、銃と鉄剣によって石の棍棒で戦うインカ帝国の兵士を打ち破ったのだ。
つまり、1万3000年前の大陸ごとの「偶然の」環境の違いが全ての原因なのだという。

本書はとにかく長い。上下合わせて600ページ、そして1ページに文字が詰まっている。
長いと思う人は6章から9章までは読み飛ばしてもいいかもしれない。
個人的には、エピローグの中国とヨーロッパの違いに関しての話が非常に興味深かった。
なぜヨーロッパが南北アメリカやアフリカを征服し、中国はそうしなかったのか。中国は早くに統一されてしまったために、上層部の1つの判断で中国全土の進歩が止まってしまうことが多々あった。対してヨーロッパは今日に至るまで統一されたことが1度も無いので、1人の国王が進歩を止めてしまっても、必ず進歩を進めようとする国王がいた。そのため結果的にはヨーロッパは中国を追い越したという。
自分のあまり知らない分野であるためあまりツッコミやコメントはできないが、素晴らしい1冊だ。

2010-09-26

[翻訳] 教養教育の価値


教養教育の価値 by Tyler Cowen - 道草より転載。

セス・ロバーツはこう書いている:

「教養教育」は誰も首尾一貫した擁護ができないくらい擁護するのが難しいのではないだろうか?

ブライアン・カプランがみずから教養教育を攻撃したかは記憶にないが、彼もまた懐疑的なようだ。

教養教育は、たとえ次の標準テストの点数を上げないとしても、私たちにより緻密な思考を与えてくれる。ここ州立大学のより少ない学生にさえも影響があることはわかっている。それは、大したことのない高校ばかりのアメリカにたくさんの傑出した大学院が存在するのかということを説明するのにも役に立つ。他のどれくらいの国が学部の間の教養教育を重視しているのだろうか?

教養教育は私たちが暗号システムを解読しなければならないよう仕向ける。私たちは、暗号システムがどれだけ複雑になりうるのか、それらを解読するのに必要なのは何か、なぜそれが楽しい過程になりうるのか、ということを学ぶ。そのスキルは将来のたくさんのキャリアパスで役立つだろう。あなたがテレビ番組をもっと楽しむのにも役立つだろう。

似たような理由だが、私は大人として第2言語を学ぶ人々は特に、他の人々がどのように物事を見ているのかということを理解するのが得意だと信じている。

私は食べ物だからというだけでなく、(いろいろなトピックの中での)食べ物に関心がある。私は暗号の意味、卓越した文化的慣例、アイディアの伝達、どうやって分野の細部が互いに密着して全体を形成するのか、ということを理解する上での投資対象としても食べ物を捉えている。私はこの知識が私をより賢くしてくれると信じているが、大量生産された形式ばったテストでその効果を測れるかどうかはわからない。私はこの趣味を、独学でも私の教養教育を続けているのだとして見ている。

すぐ近くで4年間の教養教育を受けているヤナを見て、彼女の学校はとても良い学校だと信じている。私は彼女が重要なことを何も学んでいないとまじめに考えてみたことは1度も無い。

by Tyler Cowen

9月21日

(原文: The value of a liberal arts education)

2010-09-24

経済学と経営学の違い


磯崎哲也(@isologue)さんのツイート:

経営学はどうしたら企業が超過利潤を得られるかを考え、経済学はどうしたら企業が超過利潤を得られないようにできるかを考える。
これについてもう少し詳しく説明しよう。
企業が利益を出すにはどうすれば良いだろうか? いろいろな回答があるだろうが、そのうちの1つは、競争を避けることだ。
経済学の想定する「完全競争市場」では、どのような製品でも一社だけではなく、大量の他社が同一もしくは同じような製品を販売しているので、それぞれの企業は価格を少しでも上げると消費者が他社の製品に流れてしまう。そのような状況ではそれぞれの企業は利益が出るか出ないかのギリギリのラインに価格を設定せざるを得ない。正確に言うと、完全競争市場では企業に自由に価格を設定する余地は無い。
しかし、実際には完全競争市場は存在しない。市場ごとに競争の度合いがかなり違うこともある。そのため、競争のより少ない市場で製品を展開することによって高い利益を得ることができる。マーケティングなどは競争を避けるための1つの手段だ。
これが先のツイートで磯崎さんが定義した「経営学」だ。
対して経済学はどうか。
経済学は、全員が最も幸福になれるような制度設計を目指す学問だ。ここでは、競争的でない市場をできるだけ完全競争市場に近づける制度設計を行う学問、ということになる。

まとめ: 経済学と経営学の大きな違いは、経営学は一企業の視点からできるだけ競争を避ける方法を研究し、経済学は全体の視点から最も利益を得られるよう競争的でない市場をできるだけ完全競争市場に近づける制度設計を研究する、ということにある。

経済学→みんなが幸せになれるようにルールを変えよう! 経営学→既存のルールの中でうまく立ち回ろう! といういい加減な理解…11:50 AM Sep 23rd via HootSuite

2010-09-21

[翻訳] なぜ誰かがわざわざWikipediaに投稿するのか?


かつて「Dear Economist」へ、なぜ人々は彼らに何も良いことは無いように見えるのにYouTubeに古典的コメディのビデオクリップを投稿したりわざわざオンラインレビューを書いたりするのか、という投稿が寄せられた。教科書に載っている経済モデルなら、人々はそんなことをするはずがないと言うだろうが、実際にはオンラインレビューを投稿したりYouTubeに投稿したりしている。私の答えは、要するに人々はそんなことはしていない、というものだった。はるかに多くの人々が、レビューを書くよりも多くの本を読み、YouTubeに投稿するよりも多くのビデオを見ている。合理的経済人への明らかな擁護としては、私の答えはそう悪いものではないだろう。しかし、オンラインのボランティアを理解する方法としては役に立たない。

経済理論もまた、全く助けにならない。「公共財供給」とは、地球のためにソーラー・ホット・ウォーター・システム(太陽光のエネルギーを使うテクノロジー)を導入したり図書館に寄付したりWikpediaで1パラグラフの文章を書いたりすることに対して経済学者が付けた名称だ。問題点は、このような貢献に対して経済学が何の説明も持たないことではなく、ありすぎることなのだ。おそらく人々は純粋な利他主義者で、他人の楽しみによって動機づけられているのだろう。おそらく彼らは貢献の過程を楽しんでいて、実際に価値があるかどうかは二の次なのだろう。もしくは、おそらく彼らは善い行いをしていると認められることで得られる良い評判に喜んでいるのだろう。

今まで、この問いへの私たちの理解のほとんどは実験室での実験に根差すものだった。与えられた社会的コンテキストの重要性では、これらの実験は誤った問いに対して的確な答えを与えることがある。

しかし、2人の経済学者、Xiaoquan ZhangとFeng Zhuによる新しい研究はこの問題に光を落としている。ZhangとZhuは中国語版Wikipediaを見た。Wikipediaは、編集がなされたとき、すべての登録ユーザーがサイトに施した変更と彼らがしたことを全て記録している。Wikipeidiaはまた、ユーザーページを提供していて、個々のユーザーがそれぞれに話しかけ合ったり彼らが行った変更について議論できる。

中国政府はWikipediaへのアクセスをしばしばブロックしている。ZhangとZhuは中国本土の投稿者がサイトにアクセスできなかったがその外からの投稿者ならアクセスできた2005年10月の特殊な事例を研究している。

研究員は、苦労しながらWikipediaが中国本土でブロックされていた間にアクセスした1707人の投稿者を抽出した。ほとんどの場合、それらの投稿者がブロックされていなかったという証拠は彼らが本土のユーザーがアクセス出来ない間に最低1度はサイトに変更を加えていた、というものだ。彼ら2人は、ブロックが施行されている間、それらのブロックされていなかったユーザーからの投稿が40%以上も急減したということを発見した。

この発見は、いくつかの公共財供給の経済モデルを対比し、個々の投稿は多くの人々に広がっているため、より大きな集団はより大きなタダ乗り問題だということを教えてくれる。(不正確な喩えは以下のようなものだ。少なくともグラスを手にできるならあなたはディナーパーティーに高いワインを持って行くかもしれない。あなたはそれを一口も飲めそうにないホームパーティーには持って行かないだろう。)

中国語版Wikipediaの投稿者は他方では、誰も見ていないときにはやけに無口になる。たくさんのいつもアクセスしている読者がサイトから断たれたときには、投稿を続けることができたたくさんの投稿者がわざわざ投稿するのをやめてしまった。最も社交的な編集者らはこれらの活発なユーザーページでほとんどの場合意気消沈した。

だから今はDear Economistへの投稿に対して少しだけ良い答えがある。人々がビデオをYouTubeに投稿するのは、彼らが本当にあなたにビデオを見てもらいたいからなのだ。

by Tim Harford

9月17日

(原文: Why does anyone bother contributing to Wikipedia?)

2010-09-20

飛行機のマイルは経済に打撃を与えるか


毎週恒例ティム・ハーフォードのお悩み相談コラム:
Do loyalty schemes damage the economy?
Frequent-flyer programmes are very popular here in Australia, where people often travel long distances for work and can subsequently be rewarded with large perks by selecting their preferred airline ahead of cheaper offers from other carriers – and to the detriment of their employers.
オーストラリア(に限らずアメリカその他の国でも)ではFrequent Flyer Programという搭乗した距離に応じた ポイントを集めることで無料航空券がプレゼントされる*、日本での航空マイル制と同じような制度があるそうだ。そして、従業員が出張で航空機を利用するときに自分がポイントを集めている航空会社をもっと安い航空会社より優先するために雇い主に損害を与えているのではないかとのこと。
Are we encouraging an inefficient market by signing up to loyalty programmes?
果たして忠節なプログラム(loyalty program)に加入することで効率的市場を促進しているのだろうか?
ハーフォードの回答:
Frequent flyer programmes also artfully create what economists call “switching costs”, by offering employees an incentive to stick with an individual airline. This is a serious problem, because if Kickback Airways has bribed its customers to stay loyal, then AirBribe has little incentive to compete on price. AirBribe may even raise prices; and this makes it easy for Kickback Airways, too, to raise prices. Even if you have nothing to do with the whole business, you’ll still pay more for your flight. It makes you wonder how airlines ever contrive to lose money.
Frequent Flyer Programはスイッチング・コスト(別会社の製品・サービスに乗り換える際にかかるコスト)を発生させる。そのため、競合他社は価格競争をするインセンティブが薄れ、loyalty programによる顧客の囲い込みに走り、結局のところツケは価格の上昇という形でこのプログラムに加入していない顧客に回ってくるのだ。

*Frequent Flyer Program

[翻訳] 財政支出は繁栄をもたらすのか


財政支出は繁栄をもたらすのか by Russ Roberts - 道草より転載。

財政支出は繁栄をもたらすのだろうか。それについて考えたとき、それは風変わりな考えだということがわかるだろう。財政支出は消費だ。消費は資源を使い果たす。これがどうやって繁栄をもたらすのだろうか? それどころか、因果関係は逆になっている―繁栄が財政支出をもたらすのだ。

ケインジアンのロジックはかなり魅力的だ。高失業率の時は、財政支出は需要を生み出すはずだ。どんな種類の財政支出であっても、だ。だから、もし消費者が支出することを望まなければ、政府が経済を刺激することができる。需要がどこから湧き起こるかに関係なく、需要は職を生み出すはずだろう? その後、これら全てが、普通「定常循環(circular flow)」と呼ばれるものもしくはケインズ乗数としても知られているものを通して経済全体に拡大される。彼らの財政支出は、もっと多くの雇用を生み出す需要をもっと多く生み出す。新たに雇用された労働者は使えるお金をよりたくさん持っている。彼らの支出がもっと多くの雇用を生み出す需要を生み出す。そしてすぐにまた景気が良くなる、と。

この話に反対する標準的な反論は、政府支出の財源はどこかからやってこなければならない、というものだ。(私は既にこの主張の自分なりの解釈を提出している) しかし、本質的には、資源はどこかからやってこなければならない、というものなのだ。そして、資源が(10%付近の失業率が物語るように)高い割合で十分に利用されていないとき、この反論は、豊かな時代に比べると説得力がないかもしれない。

しかし、ケインズ体制かつ高失業率の時でさえも、総需要主張はまだ疑わしい―製品の需要の高まりに直面した現実世界でのビジネスは単に現在働いている従業員をもっと働かせてもっと多く生産するか生産を増やすかわりに価格を上げることを決めるかもしれないからだ。失業率が10%であなたも従業員も将来を心配している時なら、両方とも理に適っていて実行可能だ。雇い主はそのような状況で新たに人を雇うことをためらう。従業員は、あまりきつくない仕事を探すよりも少しだけ熱心に働くことを熱望する。

しかし、ケインジアンのポジションに対するもっと良い主張はもっと全体的なものだと思う。経済がめちゃくちゃになっているとき、なぜあなたは支出を増やせば経済が動き出すと思うのだろう? 当面の短期の効果がお金の受け取り手に制限していることを別としても、なぜそれに効果があるのだろうか? なぜそれですべての経済がまた動き出すのだろう?

たくさんの湿った木材があって、火をつけた新聞でそれに火をつけようとするところを想像してほしい。新聞が燃えている間は火があるだろう。しかし1度新聞を使ってしまうと、木材に火は付かないままだ。もっと多くの新聞を燃やしたとしても(もっと大きな刺激策でも)、火が付くほど乾かすには至らない。

そして私たちは経験上の疑問とともに残された。ケインジアンの全ての現代的で数学的な支えとともに語られるケインジアンの説話はただの物語以上の何かなのだろうか? 政府の1ドルの支出は経済活動の1ドルの支出より多くを生み出すのだろうか? つまり、その火は消えそうになっていて、そしてなにより将来についてのより多くの悲観主義を生み出しているのではないだろうか?

どちらのイデオロギーの側から来るかによって経済学者が持ってくるこの質問への答えは随分異なったものになる。彼らがこの質問に答えるためにするのは、さまざまな計量経済学的手法を用いて、政府の持っている他の全てを一定の分使ったときの独立した効果を引き出すことだ。推計結果は全て地図の上にある。

だから、自然の実験を見守るのが当然だろう。ケインジアンにはそれがある。第二次世界大戦だ。以前私が議論したとき、政府の軍事費が軍事部門を刺激するよりも多くのことをしたと考える理由は何もなかった。ケインジアンは当時の上昇したGDPと低い失業率を強調する。しかし、もし全ての男性・女性・子供を政府が購入しその後より多くの徴用労働者で埋めるためのロープを作り巨大な結び目を結ぶために徴用したとすれば、失業率はゼロになり、政府が結び目に高値をつければGDPは上昇し、そして私たちは餓死するだろう。これは繁栄ではない。繁栄の逆だ。

ロバート・ヒッグズが指摘したように、人々に軍で働くよう強制するとGDP(戦車や爆弾、軍の給与すべてを含む)が成長することは、繁栄について何も教えてくれない。あなたは当時人々が消費できたものを見る必要がある。戦車・銃・爆弾の製造の後に残されたものは多くはなかった。時代は、あなたが軍事部門にいれば話は別だが、ひどいものだった。

しかし、1兆ドルが投じられている別の自然実験がある。

対外援助だ。

西側諸国は貧しい国に1兆ドルを送っている。国内刺激ではないこの類のことは資源はどこかからやってこなければならないという批判にさらされない。対外援助では、資源は制度の外側からやってくる。だからこれはケインズ刺激の理想的なテストになるだろう。対外援助の受け取り手の国のほとんどは高失業率だ。だからそこには行動に移されるのを待って寝転がっている多くの余分の資源がある。

対外援助によって資金提供された全てのダム・橋・道路・その他の形態のインフラを想像してほしい。

しかし対外援助支出によってそれらの国に繁栄はもたらされたのだろうか? 一般にはそうではない。もしかしたら決してない。金は使われ無くなってしまう。ケインズ乗数は決して実現しない。そしてそれはケインジアンの経済学がおかしいからだ。私たちにあるのはひどい政府だ。彼らには堕落した風習がある。私たちにあるのは停滞した労働市場だ。だから貨幣の流入は繁栄をもたらさない。それは単に政治的支持のためのレントシーキングをもたらす。

オバマ刺激策がお金の無駄だったのか、さらに大きな不況から経済を救ったのか、それとも経済の自然回復を遅らせたのか、人々は永遠に議論し続けるだろう。それがさらに大きな不況から経済を救ったという証拠はどこにもない。それは本当に経済を救ったかもしれないが、証拠はないのだ。壊れた経済への大規模な注射を受けている証拠は、それらが経済全体でほとんど効果が無かったことだ。それらはお金を受け取る人々の役には立ったが壊れたものを直しはしないのだ。

by Russell Roberts

9月13日

(原文: Does spending create prosperity?)

2010-09-19

ベーシック・インカムの賛否


こんにちは、GkEcさんのTweetいつも楽しく拝見しています。
ベーシック・インカム(BI)について質問です。
近年BIについての議論を多方面で見かけるようになりましたが、
GkEcさんはBIに賛成/反対、どちらでしょうか?
また、その理由についてご意見をお聞かせください。

上原達也

こんにちは。
結論から言うと、私はBIに賛成です。
BIの主な利点は、公平性が上がることと行政コストが下がることにあります。
生活保護の受給基準に関するいざこざも無くなりますし、社会保障給付がBIに一元化されることで年金問題ともおさらばです。一元化により面倒な行政手続が要らなくなり、このような業務に携わっていた公務員も他の業務に振り分けることが出来ます。
最大の問題は、よく言われるように、財源です。1人につき1ヶ月5万円配るとすれば年間で5万円×12ヶ月×1億2000万=72兆円必要になってしまいます。
しかし、私はそれについてもあまり心配していません。Wikipediaによると、2006年度の社会保障財源のうち40兆円が公庫負担・資産収入なので、これをそのまま使えば必要なのは残り32兆円です。これは国民1人当たり27万円です。これなら所得税を5~10%上げればなんとかなるでしょう。

日常の疑問・質問はq@gkec.infoに送ってください。私自身についての質問は極力控えていただけるようお願いします。

2010-09-17

部分と全体の混同―中学の体育大会の練習より―


私の通っている中学でも体育大会(運動会、体育祭などとも呼ばれる)の練習の季節になった。
今日は全校生徒での全体練習があり、最後に、生徒指導担当の教師から「今日の練習では、全体がとても良い雰囲気で、ダルそうな雰囲気が無い。でも、照明のスイッチ盤がどんどん壊されている。昨日、壊れてた10個のスイッチ盤を〇〇先生が直したのに、また今日壊されてる。故意にやったとしか思えない。こんなに良い雰囲気で練習できているうちの生徒がスイッチ盤を壊すようなことをストレスのハケ口にしているかと思うと信じられない。」という話をしていた。
これは別に驚くべきことではない。
我が校の生徒は900人以上いる。このうち890人がしっかりしていて、10人がその限りではなかったとしても、全体としての雰囲気は良いものとなるだろう。ここで重要なのは、良い雰囲気を作る生徒とそこから外れる行動をする生徒は別だということだ。「良い雰囲気を作る」生徒がスイッチ盤を壊すわけではない。

まとめ: 全体の雰囲気と一部のその雰囲気から外れる行動は全く別のものだ。全体の傾向に反する一部の行動があったとしても驚くべきことではなく、2つを結びつけてもあまり意味は無い。

2010-09-16

[翻訳] 政府の幻想 vs 現実


政府の幻想 vs 現実 by Russ Roberts - 道草より転載。

デヴィッド・ブルックスはこう書いている:

社会組織はボロボロだ。人的資本は浪費されている。社会はセグメント化している。労働市場は病気だ。賃金は沈滞している。不平等は進んでいる。国家は消費しすぎていて、イノベーションは進んでいない。中国とインドが波のように押し寄せている。これらの挑戦が全て市場の自然治癒力によって対処できるわけではない。

ブルックスは、政府の力を使うことを受け入れる共和党を望んでいるようだ。そこにはただ1つ問題がある。ブルックスがリストしているそれらの挑戦のうち、どれがワシントンの政治家のトップダウンの治癒力で対処できるのだろう? ワシントンが得意なのは、社会組織をボロボロにして労働市場をふいにしてしまうことだ。彼は、(ワシントンのおかげで!)住宅市場がめちゃくちゃになっていて、ワシントンが損益計算を外して損失を出したことがあるので資本市場が最も価値があるものに資本を配分できていないということを忘れている。めちゃくちゃにされた資本市場と壊れた住宅市場は、人的資本が浪費されていて賃金が沈滞している大きな理由となっている。公立学校もそれぞれの問題に寄与している。

ブルックスは、私たちが隷従への道を降りた後の政府の役割は何かという見通しを持つために共和党を望んでいる。ここにそれが1つある。今より小さい政府の世界では、現在政府によって直接的に規制されているか間接的に締め出されている創造的な方法で、お互いのために品物やサービスを作るために協力したり、お互いに面倒をみあったりすることががさらに自由になる。政府を小さくすれば、私たちは、自分たちや他の人に必要とされている自分たちの知識を使うことを選んだ、もっと私的で自発的な対話が持てる。

隷従への道の反対はわがままへの道ではない―自由への道だ。自分たちや他人を助けるために自由になろう。ナンシー・ペロシやジョン・ボナーやハリー・リードやバラク・オバマやミット・ロムニーやサラ・ペイリンが処方したような偽の治癒ではなく、これが本当の治癒なのだ。彼らには私たちを治すことはできない。決してできないし、決してしないだろう。

大きな政府の支持者はいつも、「私たち」が一緒に何ができるかについて語る。しかしそれは幻想に過ぎない。政府は「私たち」ではない。政府はたくさんの政治家と自分たちの職を守ろうとする官僚の塊だ。そう、彼らは人々の声を聞いてはいる。しかし、いくつかの声が他よりも大きいのだ。

政府を小さくすれば、私たちは私たちが本当に一緒にできることをたくさん得るだろう。それはもっとたくさんのもの、もっとたくさんのガジェット、もっとたくさんの物質的な幸福だけではない。確かに私たちはもっとたくさんのものを得て楽しいだろうが、それは人生に深遠な意味を与えてくれるものではない。深遠な意味と真の満足は、私達自身よりも大きい何かで他人と働くことでもたらされる。それは家族を築くことでもたらされる。それは私たちの理解を超える何かに到達しようと努力することでもたらされる。それが、政府が小さくなったときに私たちがもっとたくさん得るものなのだ。

by Russell Roberts

9月14日

(原文: The romance of government vs. the reality)

2010-09-15

[翻訳] モデルは後知恵よりも多くのことを教えてくれる


モデルは後知恵よりも多くのことを教えてくれる by Tim Harford - 道草より転載。

私の尊敬する同僚ギデオン・ラックマンによると、経済学者は彼らの王座を歴史学者に引きずり下ろされるべきだという。経済学者はこれまでずっと権力のレバーを強く握りすぎだったと彼は主張する。経済学者らは自分たちが科学者だと思っている。彼らは自分たちが未来を占えると思っている。彼らは間違っている: 「疑似科学者」であり「見栄えの良い確実性の売り歩き」だ、と。これまでフィナンシャル・タイムズの論説ページのようなひっそりとした場所に追いやられてきた、ギデオンやニーアル・ファーガソン教授のような歴史学者は、ついに少しの注目を浴びるべきだろう。

どう返答するかよくよく考えているうちに、私は急性の見栄えの良い確実性の不足に陥ったようだ。ギデオンは歴史の重要性については確かに正しい。しかしながら、それが経済学となると、見栄えの良い確実性の主な原因はむしろギデオンで、彼は経済モデルが目の前をモデル歩きして来てもそれに気づかないのだ。

私はギデオンが経済学について知っているのと同じぐらい歴史について少ししか知らないが、彼が歴史学者の重要な役割の1つは時間と場所の錯綜した特殊性、複雑な社会を正確に記述する全面的な科学的法則を作り出す難しさを強調することだと示しているのが正しいということには疑いの余地はない。経済学者、社会学者、心理学者、人類学者はこれを切実に認めるべきだろう。最良の人はそれをする。たくさんの人はそうはしないし、そして悲しいことに彼らはメディアに現れすぎている。多分、これがギデオンが経済学の課題と方法を誤解している理由なのだろう。

彼は、経済学の建造物がいつも倒れているのに、「物理学の法則に従って建てられた建物は立っているように見える」と論じている。これは妙な言説だ。物理学の法則に従って建てられた建物は倒れる傾向がある。エンジニアでSuccess through Failure(邦題: 失敗学―デザイン工学のパラドクス)の著者であるヘンリ・ペトロスキは、構造エンジニアはこれまで以上に野心的な構造を組み立てることで学ぶ傾向があると言う。それらのうちの1つが落ちたりぐらついたりすると、エンジニアらは彼らのモデルでどこがおかしいのか考え出す。時々結果は惨憺たるものとなる: 革新的なマルパセットダム(Malpasset dam)が不十分な地質学的モデリングのおかげで決壊したとき、400近くの数の人々が死んだ。時々それらは素晴らしいものとなる: 賞を受賞したケンパー競技場が倒れたとき、誰の命も奪わず、24時間前にはアメリカ建築家協会会議が開催された。彼の川辺の高所にある家から、ギデオンはテムズ川にかかっている有名なユラユラ橋を眺めるだけならできるだろう。これは本当に物理学の法則への破滅的な批判なのだろうか?

しかしもちろん、私たちの物理学の法則への理解は責められるものではない。面倒なのは、風雪や断層、ミスをしがちな建築業者が存在する世界の中でそれらをモデル化する難しさなのだ。要するに、経済制度のような建物が立つのは私たちの法則への理解がそれらを理解しているからではなく、複雑な世界での挑戦と失敗のプロセスを生き延びてきたからだ。

経済制度はたいていの建物よりも複雑で特殊だ。進歩がとても難しいことは不思議ではない。しかしギデオンは「モデルと方程式」を却下するのが早すぎた。マクロ経済学のモデルがかなり使えないことを証明してきたことには同意する。経済学者の予測が、歴史学者・社会学者・政治学者・新聞のコラムニストのように、全然当たらないことにも同意する。しかし、ほとんどの理論経済学者が試みを怠っていないし、予測モデルは、経済学者が導いた小さな一切れの数学を表現しているだけなのだ。

例えば、経済学者のスティーヴン・レヴィットと彼の共著者であるジョン・ドノヒューの有名な主張に、アメリカ合衆国での合法化された中絶は約18年後の犯罪率を下げたか、というものがある。これは歴史に関する仮説だが、審判できる程の能力を持っている歴史学者はいない。代わりに、仮説がいくつかの工夫で統計的に分析されている; 統計的モデル自体に異議が唱えられ、細部にわたって検討され、いくつかの点で欠けているところが見つかり、別のデータを使ってダブルチェックを受け、他の国での経験と突き合わせてテストされてきている。論争は続いている。この過程は「科学」なのだろうか? 私にはわからない。しかし、確かに雑談ではない。

経済学者が歴史学者から学べることに疑いの余地はないが、経済学的秩序の探索は放棄されるべきではない。これは伝統的な経済学的アプローチの限界ではない。私たちは、コンピューター科学者のロバート・アクステル、物理学者のシーザー・ヒダルゴ、社会学者のダンカン・ワッツ、ギデオンによると実際の経済では何も起きないコントロールされた実験の類を行う経済学者のエスター・デュフロ(Esther Duflo)、心理学者のダニエル・カーネマンらの業績のおかげで、経済学についてたくさんのことを知っている。彼ら全てがあれらのやっかいな「モデルと方程式」を使っている。本流の経済学者たちはこのような侵略者を受け入れるだけの度量があるだろうか? 一流の人々にはある。多数はそうしようとしないが、それは学会についての事実であって、経済学だけに当てはまるわけではない。

少なくともカーネマンは彼の努力が報いられてノーベル経済学賞を受賞した。(またはギデオンが言うように「偽ノーベル賞」。ダイナマイト長者が死んでからずっと後、1968年にノーベル経済学賞は創設され、ヘンリー・キッシンジャーにとても科学的なノーベル平和賞が授与されたりレフ・トルストイにとても科学的なノーベル文学賞が授与されなかったりするのとは同じではないという。)

私の指導教官ポール・クレンペラーはおそらくギデオンが軽蔑するような経済学者だ: 数学的モデルで世界を理解しようとするゲーム理論家なのだ。なんと古風で傲慢なのか。しかし私がポールの教育ではっきりと覚えているのは、ゲーム理論の予測を覆し、モデルには何か重要なものが欠けている可能性に学生の心を開かせるように計算された一連の教室内デモストレーションだった。

ポールはそれらのモデルをイギリス政府が225億ポンド(約2兆9000万円)を調達するオークションを設計するのを手伝うのに使い、その後イングランド銀行(イギリス中央銀行)が流動性を銀行に注入して銀行を助けるオークションを設計するのを手伝った。ポールは未来を予測することは出来ないが、他のたくさんの建物と同じように、これまでのオークションはうまくいっている。

歴史学者は後知恵を取り扱う。それは素晴らしいものだ。しかしそれはただ1つのものではない。ニーアル・ファーガソンやヘロドトスという酒に酔っているギデオンはそれを忘れてしまっているのだろうか。

by Tim Harford

9月11日

(原文: Models tell us more than hindsight)

2010-09-13

GkEcがあなたの疑問に答えます


自分のブログで、読者からメールで寄せられた質問に答えるという試みをやってみようかな。そんな技量は無い気もするけど…。8:32 PM Sep 13th via Chromed Bird


ということで私が読者のみなさんからの質問に答えるという企画を始めます。経済学的アプローチで読者からの相談に答える本家本元のDear Economistには到底かないそうもありませんが、自分の貧弱な経済学的知識で精一杯みなさんの疑問・質問・相談に答えていきたいと思っています。
質問は、q@gkec.info宛に送ってください。

追記: みなさんからのメールの内容は転載します。

2010-09-12

株式の配当でエコ?


おなじみティム・ハーフォードの相談コラム:
Is the stock market the way to go green?
I have considered donating money to Greenpeace. Then I had a better idea. Why don’t we donate shares of polluting companies to Greenpeace? By doing so, at least some part of these companies’ profits could be directed to environmental organisations through dividends. In some extreme cases, Greenpeace could acquire enough shares to push the companies to transform into a more “environmentally friendly” corporation.
香港で経済学を学んだという相談者には、(日本では過激な捕鯨反対運動で有名な)グリーンピースにお金を寄付するよりも良い考えがあるという。それは、グリーンピースに環境汚染企業の株式を寄付するというものだ。少なくともその利益を配当という形で環境に良いことに使えるし、一部の極端なケースではグリーンピースが企業を「環境に優しい」企業に変えることができるだろうと相談者は言う。
この主張のどこがおかしいか。それは次のハーフォードの回答が示している。
You say polluters will pay for their damage, but this is not true. Dividends are payments related to profits, not to environmental pollution. Regulation and tradeable pollution permits discourage pollution; buying shares does not. Worse, if your idea caught on, it would lower the cost of capital of polluting companies and enable them to invest in more marginally profitable projects, although I suspect this effect would be tiny.
汚染者はその害に対してお金を払わなければならないというのは正しくない配当は利益に応じて支払われるものであって環境汚染に応じてではない規制や取引可能な汚染許可(二酸化炭素の排出権など)は汚染・公害を抑えるが、株式を買うことはそうではない。そして、このアイディアが流行ると、汚染企業の資本の費用が下がり、企業が少しだけ収益性の高いプロジェクトに投資できるようになるのではないかということだ。(ハーフォードはこの効果は小さいと見ているようだが)
But most shareholders seem to have little influence on the decisions corporate managers take. I suspect campaigning organisations are more effective outside companies than in.
企業の姿勢を変えさせるのが目的なら、企業の中よりも外で活動したほうが効果的だろう。

追記: @erickqchanさんの指摘を受けて「4つの反論」としていたところを1つにまとめました。

2010-09-10

学校の掃除の経済学


学校で掃除を丁寧にやらせるには - Togetter

学校での掃除では、真面目にやる生徒がいる陰で、ほとんど必ずサボっている生徒がいる。
このように「掃除への取り組み度」に差があることがなぜダメなのだろう?
なぜなら、ある人が掃除をしないことによるツケを全員で払わされるからだ。例えば、トイレ掃除担当の生徒が掃除をサボると、その汚いトイレを使わなければならないのはそのサボった本人だけでなく全員になる。
どうしたらもっとみんなに真面目かつ丁寧に掃除に取り組んでもらえるだろうか。
掃除に取り組むインセンティブを与える方法には、「掃除をする便益を高くする」「掃除をしない費用を高くする」の2つがある。
掃除をする便益を上げるには、掃除を丁寧にしたことに対して報酬を与えるのが効果的だ。例えば、1ヶ月に1度、担当場所を1番丁寧に掃除したグループを担当の委員が学年全体から1つ選び、パン購買で紙パックのカフェオレを配る、というのなんかが良さそうだ。
この制度の問題は、「掃除をするのが当たり前」の状態で無くなってしまうことだ。この制度が続いている間はほとんどの生徒が懸命に掃除するだろうが、この制度がひとたび無くなればすぐに汚くなるだろう。この制度を実施すると、「掃除をしなければならない」という道徳的インセンティブが失われる恐れがある。
では、掃除をしない費用を高くするのはどうか。
グループの連帯責任というのはあまり好ましくない。なぜなら、ひとたび誰かがサボる方向に振れると、「どうせ怒られるからやらなくていいや」となってしまうからだ。
個人ごとにサボったことによる罰を与えるには、監視を強化する必要が出てくる。
誰が監視するのか? それは生徒全員が掃除をしている以上教師しかいない。
ただでさえ忙しい教師が生徒の掃除の監視体制も強化するとなると、失われるものはかなり多いと予想される。Twitterでは「監視カメラを設置」という意見も出たが、掃除が丁寧になって学校全体がきれいになることの便益が数十万円から数百万円もあるとは到底思えない
もしかしたら、掃除への取り組み度にばらつきがあるのはある程度効率的な状態かもしれない。しかし個人的には「掃除報酬制」を導入してみたいところだ。

2010-09-07

奨学金と教育ローン


9/6にNHKで放送された「クローズアップ現代」の奨学金特集が少し話題になっている。
自分は最初の5分しか見ていないのでわからないのだが、どうやら「奨学金に返済義務があるなんておかしい」という論調だったらしい。(もし見ていた方はどういった内容だったのか教えていただければ幸いです)
この話題の問題点は、返済義務のある奨学金では無く、奨学金の種類が少ないことと奨学金の取得基準だ。
教育の機会均等とはでも書いたように、奨学金は成績に応じて出されるべきものだ。しかし、日本学生支援機構の国内大学の奨学金について書いてあるページを見ると、ここにあるのは返済義務がある「教育ローン」を「奨学金」と称しているだけのもので、学力基準も大雑把だ。
もっと基準が細かく、成績が良ければ返済義務の無い奨学金を受け取れる奨学金基金の創設や、返済義務があるものは「教育ローン」と呼んで「奨学金」と明確に区別することが必要だろう。

追記: 本エントリで「日本育英会」としていたところを「日本学生支援機構」に訂正しました。

2010-09-05

大麻の値段が変わらないワケ


Why is a bag of weed always $10 (man)?
I have been a client of weed dealers in North America since the mid-1980s and no matter who the vendor, the price has remained $10 a gramme. I don’t think anything in 25 years has stayed fixed in price like weed has.
相談者は北米で25年間大麻を買い続けていて(!)、売人が変わってもずっと値段が10ドルのままだったそうだ。なぜ大麻の値段は同じままだったのか。
ハーフォードの回答:
And I confess, I am perplexed. My own research, which has been purely academic, suggests that prices vary between £20 and £250 an ounce in the UK, roughly £1 to £10 a gramme. Since the price stability you describe is not matched in other markets, could it be purely fortuitous?
ハーフォードの独自調査によればイギリスでは大麻の価格が1ポンドから10ポンドの間で変動しているようだ。そして、相談者の言うような価格の安定性は他の市場では観察されていないという。どうやら単なる偶然のようだ。

追記: Ryuji Yamamoto(@Human_Report)さんの指摘を受け一部訂正しました。

2010-09-04

[書評] ゲーム理論の思考法


ゲーム理論の思考法
3月の後半に買ってからずっと放置していたのをようやく読み終えた。
ゲーム理論とは、2人以上の当事者(プレーヤー)がお互いに影響しあうときにどのような行動をとるのかを研究する数学の1分野だ。経済学との親和性も高いため、ゲーム理論を研究している経済学者も多い。
本書に話を戻そう。
  • おなじみの「囚人のジレンマ」
  • 「何かのきっかけでみんなが一斉に行動を変えることでトレンドが生まれる」というコーディネーションゲーム
  • 問題が起きたときにゲームのルールを変えることによって問題を解決する
  • 時間軸を取り入れた「繰り返しゲーム」の場合にはナッシュ均衡が変わる
  • 時間の流れによってナッシュ均衡が変わる場合は消去法によって相手の行動を予測
  • 行動経済学を取り入れたゲーム理論
などの内容がゲーム理論を全く知らなくても理解できるように書かれている。
ゲーム理論を日常生活(ビジネス)に応用するという形式を採りながらゲーム理論の基礎が学べる1冊だ。

2010-09-01

死刑と終身刑の費用


少し話題になっている記事:
死刑の是非 » 経済学101
本エントリでは、死刑と終身刑の費用に焦点を当ててみる。
前提条件:
命の価値を10億円*1とし、上に挙げた記事に基づき死刑・終身刑の抑止効果は無いものとする。
戦後死刑判決を受けたのは820人、そのうち4人は無罪釈放*2されたので冤罪率は約0.5%。再審請求の厳しさなどを考慮してここでは2%とする。
刑務所の受刑者1人当たり年間約55万円の費用がかかる*3。死刑囚は拘置所に収監されているそうだが、良いデータが見つからなかったのでこの2倍の110万円とする。死刑執行にかかる費用についてもデータが見つからなかったのでとりあえず20万円とする。
無期懲役刑の受刑者の平均年齢が54歳で受刑期間30年未満の者が96%*4を占めることを考慮して、終身刑の場合30歳で入所し、70歳で死亡するものとする。
殺人者の命の価値をゼロとする。

死刑の場合: 命の価値に冤罪率を掛けて(10億円×0.02)2000万円。収監費用が110万円×5年で550万円。死刑執行費用が20万円。合計2000万+550万+20万=2570万円
終身刑の場合: 55万円×40年=2200万円
ここでの計算では死刑の方が(命を含めた)費用が高いという結果が出た。もちろん、推測の数値も多いし、全体的に雑な数値が多いため、この結果が正しいとは限らない。
そのような問題はあるものの、簡単で良いから1度数値を探して計算してみることには価値があるだろう

*1 ランズバーグ先生の型破りな知恵の「500万ドルから1000万ドル」という推定に基づく。
*2 死刑執行・判決推移
*3 刑務所に1人(一年)いれておくのにどのくらい費用がかかっているのでしょうか? のid:I11さんの回答を参照。
*4 無期懲役刑に関して