2010-09-21

[翻訳] なぜ誰かがわざわざWikipediaに投稿するのか?


かつて「Dear Economist」へ、なぜ人々は彼らに何も良いことは無いように見えるのにYouTubeに古典的コメディのビデオクリップを投稿したりわざわざオンラインレビューを書いたりするのか、という投稿が寄せられた。教科書に載っている経済モデルなら、人々はそんなことをするはずがないと言うだろうが、実際にはオンラインレビューを投稿したりYouTubeに投稿したりしている。私の答えは、要するに人々はそんなことはしていない、というものだった。はるかに多くの人々が、レビューを書くよりも多くの本を読み、YouTubeに投稿するよりも多くのビデオを見ている。合理的経済人への明らかな擁護としては、私の答えはそう悪いものではないだろう。しかし、オンラインのボランティアを理解する方法としては役に立たない。

経済理論もまた、全く助けにならない。「公共財供給」とは、地球のためにソーラー・ホット・ウォーター・システム(太陽光のエネルギーを使うテクノロジー)を導入したり図書館に寄付したりWikpediaで1パラグラフの文章を書いたりすることに対して経済学者が付けた名称だ。問題点は、このような貢献に対して経済学が何の説明も持たないことではなく、ありすぎることなのだ。おそらく人々は純粋な利他主義者で、他人の楽しみによって動機づけられているのだろう。おそらく彼らは貢献の過程を楽しんでいて、実際に価値があるかどうかは二の次なのだろう。もしくは、おそらく彼らは善い行いをしていると認められることで得られる良い評判に喜んでいるのだろう。

今まで、この問いへの私たちの理解のほとんどは実験室での実験に根差すものだった。与えられた社会的コンテキストの重要性では、これらの実験は誤った問いに対して的確な答えを与えることがある。

しかし、2人の経済学者、Xiaoquan ZhangとFeng Zhuによる新しい研究はこの問題に光を落としている。ZhangとZhuは中国語版Wikipediaを見た。Wikipediaは、編集がなされたとき、すべての登録ユーザーがサイトに施した変更と彼らがしたことを全て記録している。Wikipeidiaはまた、ユーザーページを提供していて、個々のユーザーがそれぞれに話しかけ合ったり彼らが行った変更について議論できる。

中国政府はWikipediaへのアクセスをしばしばブロックしている。ZhangとZhuは中国本土の投稿者がサイトにアクセスできなかったがその外からの投稿者ならアクセスできた2005年10月の特殊な事例を研究している。

研究員は、苦労しながらWikipediaが中国本土でブロックされていた間にアクセスした1707人の投稿者を抽出した。ほとんどの場合、それらの投稿者がブロックされていなかったという証拠は彼らが本土のユーザーがアクセス出来ない間に最低1度はサイトに変更を加えていた、というものだ。彼ら2人は、ブロックが施行されている間、それらのブロックされていなかったユーザーからの投稿が40%以上も急減したということを発見した。

この発見は、いくつかの公共財供給の経済モデルを対比し、個々の投稿は多くの人々に広がっているため、より大きな集団はより大きなタダ乗り問題だということを教えてくれる。(不正確な喩えは以下のようなものだ。少なくともグラスを手にできるならあなたはディナーパーティーに高いワインを持って行くかもしれない。あなたはそれを一口も飲めそうにないホームパーティーには持って行かないだろう。)

中国語版Wikipediaの投稿者は他方では、誰も見ていないときにはやけに無口になる。たくさんのいつもアクセスしている読者がサイトから断たれたときには、投稿を続けることができたたくさんの投稿者がわざわざ投稿するのをやめてしまった。最も社交的な編集者らはこれらの活発なユーザーページでほとんどの場合意気消沈した。

だから今はDear Economistへの投稿に対して少しだけ良い答えがある。人々がビデオをYouTubeに投稿するのは、彼らが本当にあなたにビデオを見てもらいたいからなのだ。

by Tim Harford

9月17日

(原文: Why does anyone bother contributing to Wikipedia?)

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