2010-10-31

[書評] The Price of Everything


The Price of Everything: A Parable of Possibility and Prosperity by Russell Roberts (@EconTalker)

以前ブログに取り上げた著者の前作「インビジブルハート」を超える面白さと洞察を備えている。本書は前作と同じ小説形式を取っており、経済学の洞察をところどころに紛れ込ませている。

あらすじ:
ある日、カリフォルニア州のベイエリアで地震が起きた。スタンフォード大学の学生で、天才的テニスプレーヤーのラモン・フェルナンデス(Ramon Fernandez)が地震後に備品を買おうとスーパーマーケットのBig Boxに行くと全ての商品の値段が通常の2倍になっていた。ラモンは値上げのせいで赤ん坊のミルクを変えなかったメキシコ人の女性にお金を差し出し、こんな店に憤る。そしてラモンはヘヴィー・ウェザー(Heavy Weather)とともに学内にあるBig Boxに対してデモを行う。
そんな中、スタンフォード大学の経済学教授で副学長のルース・リーバー(Ruth Lieber)はラモンに対して利益と損失のメカニズムが自分たち全てをより良くしてくれるということを教えていく。
Big BoxのCEOであるボブ・バックマン(Bob Bachman)はスタンフォード大学のOBで、大学に多額の寄付をしていた。寄付を止められないために、学長はルースにラモンの卒業スピーチをバックマンを怒らせないような内容にするよう頼む。
果たして、ラモンの卒業スピーチはボブ・バックマンを怒らせてしまうものになるのだろうか…。

本書の中で印象に残った箇所を数ヶ所引用する。

We could have passed legislation one hundred years ago mandating low prices for eggs, a price ceiling. But that wouldn’t have truly made eggs cheaper. That wouldn’t have changed how many people it took to produce one hundred eggs. In fact, by taking the profit out of egg making, a price ceiling on eggs would have discouraged people from producing eggs. So eggs would be cheap, but very few people would be able to buy them. (Ruth Lieber, P.102)
I always tell my students on the last day of class not to choose their first job on the basis of money. But I don’t tell them to take the job that pays the least. Without money and the motivation it provides, we’d have no idea how to serve our fellows. (Ruth Lieber, P.120)
Without the incentives of prices and profit and loss, you have no way of knowing what’s truly valuable. (Ruth Lieber, P.123, 124)
But economics is not about prices and money. Economics is about how to get the most out of life. That’s why I tell my students not to take the job that pays the most money. You should take the job that is most rewarding, where the rewards are monetary and nonmonetary. And to get the most out of life, you have to pay attention to costs and benefits. When you decided to come to Stanford, you ruled out the University of Miami. When you chose tennis, you gave up baseball. Doing homework with Amy is time you can’t spend doing something else together. Everything has a price. Living life without taking account of the costs of what you do―the financial costs and the human costs, the costs you can measure and the costs you can only guess at―leaving those costs out of the picture is a sure way to live a meaningless life. (Ruth Lieber, P.124)
Profits would be a terrible way to decide where to take a vacation or who to marry or how to spend your life. If you only use profits or money as the guideposts for your life, your soul will shrivel and die. What kind of moron marries the richest girl who’ll take him? But an economy without profits or losses as guideposts will create a lot of suffering. (Ruth Lieber, P.137)
When people pay less for eggs, they have more money left over to spend on other things. That unspent money is a prize that hands itself out. That’s why entrepreneurs, creative people, are always trying to come up with new things to claim those prizes. Without cost-savings from eggs and millions of other products that have gotten cheaper, getting something new means giving up something old. When we make things more cheaply through either productivity or trade, that means we can have our cake and eat it too. We can have more eggs and more iPod and more artificial hips and everything else that makes life good. (Ruth Lieber, P.141)
Tell me, what is it you plan to do with your one wild and precious life? Let us honor our parents by living our lives to the fullest, using our gifts in the service of others to make the world a better place. This is the best way to thank our parents for what we owe them. (Ramon Fernandez, P.172)

高校レベルの文法で十分な平易な英語で書かれていて、なにより小説としておもしろいので次々読み進められる。前作とのつながりも少しだけあり、エイミー(Amy)がラモンの恋人など、前作を読んでいるとさらに楽しめるかもしれない。

早く日本語訳も出版されて欲しいものだ。

2010-10-27

Googleの独占


非常に縦長なインフォグラフィックだが面白かったのでご紹介:
Research by Scores.org
Google検索では、例えば'email'を検索すると、Gmailが1番上に表示され、(アメリカ合衆国で)最も高いシェアを誇るYahoo! Mailはその次、MicrosoftのHotmailは4番目に表示されたり、他にも地図の表示はGoogle Mapsのみでその他の地図サービスは一切表示されなかったり、'video'で検索したときもYouTubeやGoogle Videoが優先されるなど、問題が多いという。
そしてその他のかつて(もしくは現在も)独占企業だったMicrosoft、AT&T、US Steel、Standard Oilの4社の例を紹介している。いずれも反トラスト法に違反したとして制裁が下った企業だ。
それぞれの企業については上の図を見てもらうこととして、企業紹介の最後にあるGoogleに関する質問を引用しておこう。
(Microsoftの紹介の後に):
Googleは地図や動画のように広範なカテゴリーを支配するために首位で彼らの製品を売り込めるべきだろうか?
(AT&Tの紹介の後に):
Googleは公益企業として見られうるのだろうか?
(US Steelの紹介の後に):
Googleはその規模に対して注意を引きつけすぎているのだろうか?
Google社外にもっと革新的な競合はいるのだろうか?
(Standard Oilの紹介の後に):
Googleは独占的な方法で支配的なマーケットシェアを使用しているのだろうか?

2010-10-25

幸福とお金の関係


少し前にTwitterで話題になった気もするが、幸福とお金の関係についてティム・ハーフォードが改めてコラムを書いている:
Happiness rethink
Economists who study the subject have tended to believe that beyond some minimum, absolute income has little effect on happiness. In any given society, the rich tend to be happier than the poor, but citizens of rich countries are not notably happier than citizens of middle-income countries, and while we are richer than our parents were at our age, we are no happier.
幸福について研究している経済学者はお金の絶対的な量と幸福にほとんど相関はないとする傾向がある。親の世代よりも今の世代の方が豊かだが幸福度は増していないというのは一般的な認識に近いかもしれない。
This finding has been called the Easterlin Paradox, after Richard Easterlin, the economist who first observed it back in the 1970s.
これをイースターリンのパラドックスという。
They found that money is correlated with life satisfaction, but beyond an income of about $75,000, it doesn’t improve your mood: so whether or not Easterlin is right depends on what you mean by happiness.
心理学者のダニエル・カーネマンとアンガス・ディートンによると、7万5000ドルまでは収入と幸福に相関があるという。この結果だと、イースターリンのパラドックスは人が幸福をどう定義するかによって正しいときと正しくないときがあるようだ。
Not only is money correlated with life satisfaction, but this is true whether they compare the happiness of two people in the same country, one 10 per cent richer than another; or the average happiness in two countries, one with 10 per cent higher income per capita; or the increase in happiness after a period of economic growth has made a single country 10 per cent richer than it used to be. It is absolute income, not relative income, which matters for happiness. The attractions of living in a rich man’s world are back on the table.
対してウォートンスクールの経済学者ダニエル・サックス、ベッツィ・スティーヴンソン、ジャスティン・ウォルファースによると、経済が成長している期間(全員が豊かになり、自分の相対的な豊かさは変わらない)はそれだけ幸福度も上がるという。
But not everyone is so quick to dismiss Easterlin’s work, which has survived careful scrutiny over the years. Andrew Oswald of Warwick University points out that the Wharton research may not have successfully disentangled income from unemployment, which has long been known to be one of the most depressing of experiences.
しかしまだ論争は続いている。
そもそもこれらすべての調査での「幸福度」はアンケートに基づくものなので、客観性を求めるのは無理があるのかもしれない。

2010-10-24

企業の道義的責任


先日、こんな話を聞いた。とあるアメリカに本社を置く製薬企業がごくごく少数の難病患者向けの開発し、アメリカでの販売を開始した。日本の厚生労働省はその企業に日本でも許認可申請するよう求めた。その企業は始めは許認可申請に前向きな返事をしたが、利益が出ないことがわかると申請をとりやめた。そして厚生労働省はその企業を「道義的責任」に欠けるとして非難したという。

この企業は慈善事業としてこの薬を開発したわけではない。利益があるからこそ開発したのだ。
利益を求めて企業が新薬を開発し、今まで治らなかった病に罹っていた患者が治るようになれば、企業も患者も全員が利益を得る。
そんな社会を豊かにしてくれる企業に道義的責任を求めるのはどうなのか。
もし件の企業に日本の難病患者のために許認可申請をしてもらいたいのなら、道義的責任に欠けるとして非難するより、申請にかかる費用の一部を補助するなどしたほうがよっぽど双方の利益に適うだろう。

2010-10-23

[翻訳] 大波を感じる


大波を感じる by Steven Landsburg - 道草より転載。

ポール・クルーグマンは政府支出の急上昇は今までどこにも無いと言う。私はそれは既に起きていると言う。ポールは証拠としてグラフを提示した。私は同じグラフに4年間の急上昇を見て取った。

数人がコメントで私がポールのポイントを無視していると主張した―そのポイントとは、ブッシュ時代を基準線にすれば、基準線と比べて急上昇は存在しない、というものだ。本当だろうか? 以下のグラフはブッシュ時代に始まって今までつづいている連邦政府の支出額だ。青い線はブッシュ政権下での平均年間支出の増加の延長を表している。縦線はオバマ時代の到来を表している。

(このグラフはセントルイス連邦準備銀行のとても便利なFREDデータベースを基に作成した。)

さて、個人的には、このグラフで私が見て取れる主なことは10年間の連邦政府支出の急上昇だ。しかしブッシュ時代を基準線とすると主張すれば―そうだ、あなたに見えるのは、2009年に始まったオバマの大波だ。急上昇が経済状況によって正当化(もしくは強要)されていると論じたいのならわかるが、私はどうやって存在しているものを否定するのかわからない。

覚えておいてほしいのは、全ての合衆国政府の支出(連邦政府だけではなく)を合わせても、グラフはほとんど同じ(ほんの少しだけ劇的でなくなるけれども)だということだ。

以上、そういうことだ。

by Steven Landsburg

10月13日

(原文: Feeling the Surge)

2010-10-22

[翻訳] 思考実験


思考実験 by Russ Roberts - 道草より転載。

第二次世界大戦について先と同じの頭の良い私の友人* に話しているとき、彼はこう言った。「第二次世界大戦は確かに繁栄をもたらしたよ。働いていなかった人々が戦車工場で職を得て使えるお金を得ることができたんだからね。失業はゼロだった。第二次世界大戦の軍事拡大が経済を改善しなかっただなんて言わないでおくれよ!」と。

以下が私の答えだ。

第二次世界大戦時の連邦政府が戦争をやめるという決定をしたとしよう。完全孤立主義だ。しかしとにかく政府は戦車や航空機や爆弾を作ることを決めた。それらの兵器をヨーロッパや太平洋諸国に投入する代わりに、秘密裏に夜にそれらを爆破し、破壊する。工場で働く人々がそれを知ることはない。政府は絶対にそんなことを告げないのだから。代わりに彼らは戦争の努力に貢献していると考える。戦争で戦っている兵士は制服をもらう(そしてもちろんすべての種類の工場が制服を作り、労働者で溢れている)。彼らは訓練をする。しかし彼らが戦うことは決して無い。政府は単に、他の兵士は前線にいて彼らの番はすぐに来ると言うのみだ。だから全ての兵士に職があり、戦車工場や爆弾工場は、以前は失業していた人で溢れている。

完全雇用だ。雇用率は100%なのだ。それだけではない。この思考実験では、連邦政府は戦車工場の賃金を待機者リストができるくらい高く設定している。他にも、以前は失業していていまは働いている全ての人々だけでなく、多くの人々、例えば女性は、やりがいのある仕事ができる。多くの人々が今までよりも多くの使えるお金を得ている。

では、経済の民間部門では何が起こるのだろう? 成長するのだろうか、それとも縮小するのだろうか? これらの全ての女性は今までは働いていなかった。だから多くが共働き家庭になった。完全雇用なのだから!

しかし繁栄はしないだろう。そして1940年代も繁栄していなかった。ノルマンディーの海辺で実際に戦車が使われたという事実は何の影響も及ぼさない。もしくはそれらの人々はナチスと戦って死んでしまった。本物かみせかけかに関わらず、ものを破壊することが繁栄をもたらしはしないのだ。

もっと良いのは、戦車工場と呼ばれてはいるが戦車を作っていない工場のことを想像してみることだ。工場は人々に戦車を作るふりをすることに対してお金を支払うだけだ。しかし工場は労働者に多額のお金を支払っている。失業はゼロであり、労働力は拡大し、人々は多額のお金を得る。そんな経済が繁栄するのだろうか? 全てが支出であり所得なのだ。確かにそれは繁栄するだろう! しかしそうはならないだろう。戦車を作るふりをする工場に十分な数の人々を配置すれば、経済の残りの部分で買い取れる材料は少なくなる。そしてみんなで貧しくなることだろう。実際に戦車を作るときほどではない。実際の戦闘で死ぬほどでもない。しかし、見せかけの工場でたくさんの人々が働き続ける限り、あなたは貧しいままだろう。

支出は繁栄をもたらしはしないのだ。

by Russell Roberts

10月8日

(原文: A thought experiment)


* [翻訳] 政府支出は職を作り出すのかを参照のこと。

2010-10-21

[翻訳] 政府支出は職を作り出すのか


政府支出は職を作り出すのか - 道草より転載。

先日、私はとても頭の良い友人に政府支出とケインズについて話をしていた。彼は、もちろんインフラへの支出は仕事を作り出すし、生み出さなければならない、というようなことを言った。彼には良い仲間がいる。これはスティーヴン・パールスタインがワシントン・ポストに書いたものだ:

1番最近に教科書をチェックしたとき、彼らはいまだに政府の赤字支出は雇用を増加させ経済を活性化させると書いてあった。それ以外のところを信じることは、1000億ドルの減税と財政支出がともかく見取り図なしに経済から消えたと信じることに等しい。

この見方だと、政府支出による雇用創出の影響は単純に算数的なものということになる。パールスタインの見方―彼は正しく、それは本流の教科書の分析だ―だと、お金を使えば仕事が作り出されることになる。私の友人は正しいのだろうか? 特にインフラにお金を費やしたとき、仕事が作り出されると約束されないのだろうか?

もし政府が大量の橋を造れば、そこには橋を建設する労働者が必要になる、ということに関して彼は正しい。だから、その意味で支出は仕事を作り出す。以前私が指摘したところ、刺激策のごくごく少数パーセントしかインフラと呼ばれるものに費やされていなかった。ジョン・テイラーによると、2010年9月に書いている時点で景気対策のたった24億ドルしかインフラに使われなかったという。しかし、本当に道路や橋を建設するのに使われたドルに焦点を当ててみよう。私の友人は正しいのだろうか? そうだ、そこには雇用された人々の給与支払い名簿がある。しかし、支出は仕事を作り出したのだろうか? 普通、その質問の意味は、新しい仕事、もしくは全体として今まであったよりも多くの仕事だとする。

その質問に答えるためには労働者がどこから来るのかを見る必要がある。彼らは、橋を建設するために雇われる前は失業していたのだろうか? もし彼らが離職することが彼らのいた会社での求人を生み出すのだとすれば、それは失業している労働者のための求人なのだろうか? もし橋を建設する技術がやや専門的なものであれば、新しい橋に支出することの効果は、それらの技術を持つ労働者への需要を喚起することだ。それは次々に同様の技術を持つ労働者の賃金を上昇させ、それらの魅力を減少させ、橋の建設に従事する労働者の増加をやや相殺するだろう。そしてそこには橋を造るのに使われる原材料がある。それらの材料への需要の増加は、それらの材料の価格も同時に上昇させ、それらの材料の使用を控えさせ、よそでは雇用が減少するかもしれず、新しい橋を建設するのに雇われた労働者を部分的に相殺するだろう。だから仕事の純数に与える全ての影響はどうなのか言うことは難しい。そして答えは橋を建設する資金がどこからやってくるのかによる。税金か? 借入か? お金を刷るか? これらの全てが経済のどこかで何かしらの影響がある。しかし私は、その質問に答えるより深遠な方法は、新しい仕事 vs 全体としての仕事の数に焦点を合わせることではなく、仕事のことを考えることにほかならないと思う。

政府が人々を穴を掘ってそれを埋めさせるために雇うことを想像してみてほしい。私は2つの理由でこの例を選んだ。1つ目は、ケインズがこの論拠を2回「一般理論」において用いているからだ。*1

いま、大蔵省が古瓶に紙幣をいっぱい詰めて廃坑の適当な適当な深さのところに埋め、その穴を町のごみ屑で地表まで塞いでおくとする。そして百戦錬磨の自由放任の原理にのっとる民間企業に紙幣をふたたび掘り起こさせるものとしよう(もちろん採掘権は紙幣産出区域の賃借権を入札に掛けることによって獲得される)。そうすればこれ以上の失業は起こらなくてすむし、またそのおかげで、社会の実質所得と、そしてまたその資本という富は、おそらくいまよりかなり大きくなっているだろう。なるほど、住宅等を建設するほうがもっと理にかなっている。しかしこのような手段に政治的、現実的に困難があるならば、上述したことは何もしないよりはまだましである。

そして16章にも再度:

貯蓄を用いて「地中に穴を掘ること」にお金を費やすなら、雇用を増加させるばかりか、有用な財・サーヴィスからなる実質国民分配分をも増加させるであろう。だが、ひとたび有効需要を左右する要因をわがものとした日には、分別ある社会が場当たり的でしばしば浪費的でさえあるこのような緩和策に甘んじて依存し続ける理由はない。

2つ目の理由は、ジョセフ・スティグリッツが国会議員に訊ねられたとき真面目な顔でこれに同意していると聞いたからだ。(動画はここにある。もし誰かが辛抱強く質疑応答を印をつけて書き写してくれれば、多大な感謝をする。) ケインズとスティグリッツのどちらともがそれが生産的な何かをするのにより良くなるだろうと言っていたが、それどころか非生産的な労働は財政支出の結果なのだ。

私は違う意見を持っただろう。もし政府が人々に愚かで非生産的なことをすることにお金を支払うのなら、それらは本当の仕事ではない。「給与」を受け取る「労働者」は、失業補償や福祉が化粧直しをしたというだけだ。穴掘りは税金であり、罰であり、政府から小切手をもらうためにくぐり抜けなければならない輪に過ぎない。それをすることに対して誰もお金を払わないだろう。そこに充分に生産的なものは無い。その業務は政府のプログラムが終わるとすぐに終わるだろう。だから、政府が仕事を作り出すことにどんな意味があるのだろうか。失業手当をもらった人全員をとたんに「労働者」と呼び、そのように失業をなくすことは簡単だろう。

私は非常に単純なポイントを本当に用意しているだけだ。連邦政府の給与支払い名簿が―橋の建設や穴掘りやそれなら戦争で戦ったりしてもいい―膨張していけば、全体としての仕事は作られるかもしれないし作られないかもしれない。そして、あなたがそれらの従業員を経済に吸収もしくは何か生産的なものに使ったと考える理由はどこにもない。それは彼らに何をさせたかによる。彼らに何もさせないこと―仕事が非生産的なものかただ単に無条件に小切手を与えるかのどちらかだ―は、それ自身の中で、およびそれ自身で、小切手を受け取っている人以外の人のための繁栄をもたらすことはない。しかしケインズ乗数はどうだろう? これらの人々が次々に彼らのもらった小切手を使って他のものを買いに行く支出はどうなのだろうか。それは次々に新しい雇用を生み出さないのだろうか? ありえただろう。もしくは無かったかもしれない。以前私がこのことについて書いたとき、生産物の増加なしに価格が上昇することはありえただろう。もしくは生産物がより多くの人々が働く代わりに生産性の向上―人々がより懸命に働けば―により増えることもありえただろう。

これは本当に筋が通っているのだろうか? より多くの仕事を得ることなしにすべての種類の貨幣を経済に注入することは本当に可能なのだろうか? 私たちは、より多くの支出なしにすべての種類の仕事を作り出せることを知っているのと同じようにそのことを知っている。もっとも単純な言い方をすると、経済が健康なときに職を作り出すために外部からお金を支出する必要はない。そして経済が不健康なときには、世界のすべての支出は職を増やさないだろう。後者の場合、ジンバブエ、紙幣を刷りすぎてしまった国を考えてみるといい。もしくは私が以前書いた*2 、貧困緩和のために設計された対外援助についてでもいいだろう。お金は経済の外側からやって来る。しかし、貧困を終わらせるよう設計された対外援助を受け取っている国々は豊かになっていない。それらの国々は貧しいままだ。それらの国々の人々に金を恵むことは仕事を作り出さない。そこでは必要な制度や文化がただ単にうまく機能しない。そして裏を返せば、政府支出が崩壊しかけている時代に第二次世界大戦から帰ってきた兵士のことを想像してみてほしい。彼らはどうやって職を何とか見つけ出したのだろうか? それは簡単だった。経済が健康だったのだから。 ケインジアンは破滅を予言し、それは間違っていた。過去50年以上にわたって増え続けている働く女性を見てみてもいい。彼女らはどうやって職を見つけ出したのだろうか。彼女らの仕事は経済のどこからか現れた。硬直的な賃金と需要創出を心配する必要はなかった。経済は健康だったのだ。

今日、経済は健康ではない。何かが壊れている。全てではない。失業率は25%ではない。9.6%だ。しかし回復の夏は過ぎ去ってしまった。そんなに回復はしなかった、少なくとも職の面では。ケインジアンは、刺激は効いたが十分に行っていなかっただけだ、と言うだろう。私の見立ては、景気対策が壊れたものを直すなんてことはほとんどない、というものだ。

そして、何がまさに壊れているものなのだろうか? 何が不健康なのだろうか? 消費者は記録的な水準でまた消費をし始めているというのに。もっとも簡単な答えは、ビジネスは投資ではない、というものだ。投資はいまだに非常に低い水準だ。どうやって多くの借金である政府支出がビジネスの投資を促しているのかという事実を聞いてきてほしい。そのような事実を作るのは難しいだろう。借金での政府支出、特に非生産的な材料では、ビジネスの投資を妨げているように私には見える。しかし、これがそれについて考える正しい方法なのか私にはわからない。ビジネスの投資における用心や自制が労働市場がこんなにも平凡な理由なのかははっきりしない。アーノルド・クリングは再計算と「専門化と取引の持続可能なパターン」について話してくれる。彼は私が何が起きているのかについて考えるのを手伝ってくれた。しかしそこにはそれより多くのことがある。第二次世界大戦後やいままでより多くの女性が労働市場に参入してきたほとんどの時代など、取引と専門化の新しいパターンを再計算したり創ったりするのが時に簡単なのはなぜだろう。それは私たちが完全には理解出来ない謎だ。しかし、自分がきちんと理解していると思っていることは、政府支出と仕事の間の関係は多くの人が考えているよりも必然的なものではない、ということなのだ。

by Russell Roberts

10月21日

(原文: Does government spending create jobs?)


*1 ここでは「雇用、利子および貨幣の一般理論〈上〉」(間宮陽介訳, 岩波文庫, 2008年)より引用した。
*2
[翻訳] 財政支出は繁栄をもたらすのか
を参照のこと。

2010-10-18

[翻訳] 緊縮財政か繁栄か


緊縮財政か繁栄か by Russ Roberts - 道草より転載。

ケインジアンにどうやって政府の財政支出が繁栄をもたらすのかの実証的な証拠を求めたとき、彼らの1番良くて頻繁に返される答えは、どうやって第二次世界大戦が恐慌を終わらせたのか、というものだ―そう、大規模な赤字財政の政府支出の増加が終わらせたのだ、と。しかし、ロバート・ヒッグズが指摘しているように、失業の激減はケインズ乗数の魔法によるものというよりむしろ徴兵制によるものだ―アメリカ人は軍隊に入れさせられたのだから。ヒッグズは、GDPの上昇は政府の生産性の価値を測るという問題(請け負っている政府の下で依頼された戦車の価格は車の価格を意味するものなのだろうか?)と価格統制(いくつかのものは安かったが自由には買えなかった)によって歪められていると主張する。

私はより逸話に富んでいるが多分より説得力のある論拠を用いる。戦時中、アメリカにもイギリスにもドイツにも繁栄は存在しなかった。その時代を駆け巡った人でその時代を経済活動が急成長していた時代として回想する人はどこにもいない。その時代は、あなたが戦車や爆弾や銃弾を作ることに従事していない限り、苦難と困窮の時代だった。そこにケインズ乗数は無かった。戦車に費やした1ドルは、民間経済を「刺激」などしなかった。1ドルの政府支出は1.52ドルの経済生産性を生み出しはしなかった。より多くの戦車は、鉄や労働者がより高価になるため、より少ない自動車を意味した。そして民間が使える資源はより少なかった。

私がこのことについて私の協力者であるジョン・パポラに話したとき、彼は私の主張を軽くいなしているポール・クルーグマンのこの記事を指し示した。先の記事でクルーグマンは、第二次世界大戦でのGDPの上昇はざっと財政支出額と同じ程度だという私と似た見解を展開している、ボブ・ホールとスーザン・ウッドワードのこの記事に反応していた。そこに刺激的な効果は無かった。ホールとウッドワードはマイナスの効果があると主張しているわけではない―測定に関するヒッグズの主張との関連もある。しかし、彼らは、経済の残りの部分にプラスの効果など決して無かったと主張しているのだ。

それでもクルーグマンはケインズ乗数はまだまだ健在だと主張したいようだ。彼はホールとウッドワード(そして恐らく私の主張にも同様に)に2語(原文)で返答している:

ふむ、配給かい?
それからアメリカの歴史のウェブサイトから引用している:
第二次世界大戦が始まると、おびただしい数の挑戦がアメリカの人々の前に立ちはだかった。政府は戦時の間、食料、ガソリン、服までも配給する必要性を見出した。アメリカ人は全てのものを大切にするよう要請された。戦争の影響を受けないものは誰一人としておらず、配給は全てを犠牲にすることを意味した。

ここにいるみんなを助けてやってくれ。私や他の2人は第二次世界大戦での政府支出―債務によって賄われた政府支出の巨大なスパイク波形だ―は繁栄や景気回復をもたらしはしなかったと主張している。爆弾は食べられないし、戦車は着れないし、銃弾でコーヒーを甘くすることもできないので、それは苦難をもたらすだけだった。そしてクルーグマン、ノーベル賞をもらい、しっかりと訓練された経済学者が、私たちは間違っていると主張する。それはケインズ乗数の失敗では無かった、と。私たちが間違っている理由は、アメリカ政府が配給という政府のプログラムによって人々に少ないけれども十分な量を手に入れるよう強制したとしていることにあるという。クルーグマンは、それがもし配給のためでなかったとしたらそのすべての栄光の中にケインズ乗数を見ることができただろうという主張をしているように見える。一体彼は何について話しているというんだ? 彼は配給が欠乏への反応というより欠乏を生み出したと考えているのだろうか?

ケインズ乗数のもっとも愚かな面の1つは1.52のように不変なものとして扱うことにある。それは不変ではありえないし、意味のある方法でもない。もし政府がアメリカの人口の半分を1日中穴を掘らせることに従事させ、もう半分にそれを埋めさせ、全員それぞれに日給として10億ドルを支払い、掘って埋めた穴を1兆ドルと評価すれば、GDPは非常に、非常に高くなり、失業はゼロになるだろう。しかしそこに刺激的な効果は無く、私たちはすぐに餓死するだろう。(人々を働かせる際の配置についてはここでは無視する。)

第二次世界大戦が民間部門を刺激しなかったという事実は、ケインズ主義がいつも失敗するということを証明するものではない。もしかしたらより小さい軍隊とより少ない戦車なら違ったかもしれない。しかしそれは間違いなくケインズ主義の成功を証明するものでもない。ケインズ主義は成功しなかった。ケインズ主義は民間部門を刺激しなかった。ケインズ乗数は、政府の契約の受け取り手として、元々の支出に50セントや2ドルを上乗せしたり、労働者が使えるお金を増やすことはなかった。ケインズ乗数は民間部門を餓死させた。それはケインズ刺激の例としては失敗だったのだ。

by Russell Roberts

10月7日

(原文: Austerity or prosperity?)

2010-10-14

学校の掃除とケインジアン


私のクラスでは、教室掃除のときに担任がシュレッダーのゴミを撒く。そうすると生徒がよく掃除をするようになるかららしい。当然生徒は毎回文句を言っている。
これはポール・クルーグマンを始めとするケインジアンとラッセル・ロバーツを始めとするハイエキアン(というより反ケインジアン?)の論争に似ているのではないかと思う。
この論争はマクロ経済学(の政府の市場介入)に関するものだが、これを教室での掃除に例えてみよう。
「ゴミを撒けばしっかり掃除をするようになり教室はきれいになる」というのがケインジアンの言い分だ。それに対して「そんなことはありえない」とするのがハイエキアンだ。
ケインジアンは「きれいになっている証拠にしっかりととれるゴミの量が増えているじゃないか」と主張する。ハイエキアンは「そのほとんどはシュレッダーのごみでその他のゴミはむしろ減っている」と反論する。

この「ケインジアン vs ハイエキアン(反ケインジアン)」論争に興味を持たれた読者の方は、night_in_tunisia(@night_in_tunisi)さんの主催するブログ「道草」を読んでみて欲しい。これは英米の経済学者のブログや論文を翻訳しているブログで、私も参加している(私の翻訳一覧)。
どちらが本当に正しいのだろうか。(ちなみに私はラッセル・ロバーツ(ハイエキアン)寄りの立場だ)

2010-10-11

「教育」を論じるときには論点を絞ろう


うめけん(@umeken)氏のTogetter:
【まとめ】教育こそが日本を変える。真の次世代投資・育成を。byうめけん
うめけん氏が言いたいのは要するに、「このままでは世界の流れに取り残されるからもっとすばやく時代の流れに合わせて教育内容を変更していこう」ということらしい。
これ自体はとてもまっとうな主張だろう。
しかし、予算も限られている中では学校教育で行えることにも限界がある。現在の制度に不備や不満があるのは当然のことだ。
「現在の教育を変えなければいけない」という主張にほとんど意味は無い。どんな教育制度を持つ国でも教育改革の必要性は叫ばれていることだろう。
「変える必要性があるかどうか」よりも重要なのは「どう変えるのか」ということだ。

その場合には論点を絞って個別に議論するべきだ。
教育についてまとめて論じようとすると「このような教育がベスト」というある種の固定観念を主張するだけになってしまいがちだ。個別に論じることによって「これを導入(この制度をこう変更)することは生徒の効用を高めるか」という観点からデータを交えて冷静に論じることができるだろう。

まとめ: 教育について議論するときには、イデオロギーを主張しあうのではなく、個別の案件について「生徒の効用を高めるか」という視点でデータで検証しながら論じよう。

おまけ: 65歳以上の人はすでに定年していることが多く、教育について真剣に考えるインセンティブがほとんど無いので、もし教育制度を変えたいのなら65歳以上には教育に対して口出しできないような制度作りが必要かもしれない。(それより下の世代はどうかというと、学生は自分の競争力、経営者は自社の競争力がかかっているので教育に対して高い意識を持っていると考えられる。採用権を持たない労働者はここでは無視する。)

※細かいことを言うと、上に挙げたTogetterは「教育」ではなく「学校教育」について論じている。

今朝 @umeken さんが教育についての議論をしてたみたいだけど、教育は広いテーマだから論点絞らないとイデオロギーを主張しあうだけになっちゃうよね…。4:37 PM Oct 8th via HootSuite

2010-10-07

[翻訳] 成長のモデル


成長のモデル by Tim Harford - 道草より転載。

世界はPlay-Doh*1のようなものなのだろうか? それともレゴのようなものなのだろうか? こんなことを経済学者に訊ねるのはおかしいかもしれないが、最近、オックスフォード大学、LSE*2 、英国国際開発省の間で設立された新しいジョイントベンチャーによってLSEで開催された「Growth Week」に刺激的な人物が出席していた。

Growth Weekは開発経済学者と開発途上国の政策立案者を集めていて、私の注意はポール・ローマー、リカード・ハウスマン、ジョン・サットンに奪われていた。3人とも、経済学の改革者なのだ。

ローマーは内生的成長理論を生み出した―そしてマイケル・ヘーゼルタインにアイディアが「ブラウンのものではない―ボールズだ!」*3 と言ったことで印象深い。彼は学界の一線を退き、成功しているオンライン教育企業を設立し、今は現代版香港とも言える「自治都市」の創設を推進するために世界中を飛び回っている。彼については今後のコラムでもっと言及する。

Play-Dohとレゴについて訊ねたのは、かつてはベネズエラの大臣で今はハーバード大学の教授であるハウスマンだった。ハウスマンは、物理学者シーザー・ヒダルゴと共同で(彼らの業績については以前書いている*4 )、国内経済の複雑化とそれが作り出す生産物の種類の間の関係を解き明かそうとしている。

経済学者は経済をPlay-Dohのようなものとして見る傾向があった。生産物は、資本と労働と呼ばれる、数種類の未分化な「材料」の投入によって生産されている。もっと洗練された計算だと、土地、教育(「人的資本」)、制度(「社会資本」)も計算に入れるかもしれない。それでも、これらはたかだか5種類の材料に過ぎず、経済成長とはより多くの材料を集めてそれをより効率的に使うというだけのことだ。

ハウスマンは、これは洗練された生産物やサービスを生み出すのに必要な能力について考えるには役に立たない方法だと説得力たっぷりに論じている。例えばAmazonは、インターネットへの広範囲なアクセス、クレジットカード、物理的な住所、信用できる郵便局を必要とするサービスを提供している。ランの花のビジネスは、正しい種類の土地、水、電気と共に輸送するための適切な不文律が必要だ。いくつかの国ではインターネットショッピングが許可されているという前提条件が必要かもしれないし、他はランの生産のための肥沃な地域かもしれない。必要とされているものは「より多くの人的資本」では無く、むしろそれよりも明確で時には緻密な必要条件だ。それは違う形をしたレゴブロックであってPlay-Dohの塊ではない。

ハウスマンのレゴの比喩はおそらく楽観的すぎる。むしろ、これらのつかみどころのない経済的性質はおそらくコンピューターの部品(キーボード、マウス、スクリーン、インターネットへの接続、CPU)に近いものだろう。あなたは様々な方法でそれらを組み立てることができるが、数個の部品を取り外しただけで使い物にならなくなってしまうし、CPUなどのいくつかの部品は必要不可欠だ。ハウスマンは、国が能力の臨界点を持つに至るまで、より多くを得る必要がなくなる地点があるのではないかと心配している。ソフトウェアがなければキーボードをわざわざ手に入れる必要はない。

LSEのジョン・サットンは、企業がどうやってその能力を得ているのかということを解き明かそうとしている。彼の調査で、例えばエチオピアで主要な製造業の企業の多くが小規模製造業者としてではなく商業者として始まっている、ということが明らかになっている。彼らは50人の組織を動かすノウハウや市場についての本当の専門知識を持っている。ある不幸なマッチ箱の製造業者は輸送費を含めて5分の1の価格の中国からの輸入品によって競争に負けてしまった。あるしたたかな貿易業者は、中国のサプライチェーンを理解していてどうやって競争したらいいのか知っていたので、鉄線の製造に参入した。

サットンとハウスマンは全く異なる戦略を持っているが、共有している問いがある。「能力」が経済成長のレゴブロックだとしたら、それらはどこから湧き起こり、どうしたらもっと作ることができるのだろうか?

by Tim Harford

10月1日

(原文: Models for growth)


*1 アメリカ生まれの子供用造形粘土。
*2 London School of Economicsの略。ロンドン政治経済大学。
*3 1994年から1999年の間、エド・ボールズは経済学のアドバイザーとしてゴードン・ブラウンの下で働き、その間大臣のシャドウ・ライターとして「ポスト新古典派の内生的成長理論」というフレーズを使って大臣のスピーチを書いていた。これは保守党の高官であるマイケル・ヘーゼルタインを怒らせ、彼は「それはブラウンのものではない。ボールズだ。」と言い返した。
*4 Why getting complicated increases the wealth of nations

2010-10-06

病院食が栄養に乏しい理由


Why is hospital food so nutritionally bad?

Why is hospital cafeteria food so poor from a nutritional point of view? Fried chicken, preservative-filled cold cuts, cheese everywhere, etc. Keep in mind I am not talking about the food served patients who may have appetite problems. It is food they serve everyone else including doctors and nurses, many of whom know better.
日本ではどうなのかわからないが、医師や看護師を含む病院関係者が利用する病院内の食堂では不健康な食事が出されているそうだ。それはなぜなのか。
Few people choose a hospital on the basis of the food or on the basis of the food their visitors can enjoy. Furthermore the median American has bad taste in food and the elderly are less likely to enjoy ethnic food or trendy food. You can't serve sushi. They are likely to use the same food service contract for the patients and the visitors.
1つ目は、病院食で病院を選ぶような人がほとんどおらず、お年寄りがエスニックフードや流行りの食べ物を好まないということ。
For the patients, some of the food is designed for the rapid injection of protein and carbohydrates. For a terminally ill patient who is losing weight and wasting away, this may have some benefits. Since healthier people tend to have very brief hospital stays, they can undo the effects of the fried chicken once they get out. Many of the sicker patients in for longer stays have trouble tasting food properly at all.
2つ目は、末期患者は既に大きく健康を損なっているので、不健康だけれどもおいしい食べ物を食べるほうが良いかもしれず、健康な短期患者はすぐに退院するので影響がほとんどない。
Taxing hospital visitors is one way of capturing back some of the rents reaped by patients on third-party payment schemes.
3つ目は、不健康な食事を出すことで病院にまた来るように仕向けて収益を上げる方法になる、というもの。
I would be interested to know more about the insurance reimbursement rates for hospital food, but at the very least I suspect there is no higher reimbursement allowed for higher quality. Combine third party payment with a flat price for rising quality and see what you get. Furthermore, low quality food is another way the hospital raises its prices to inelastic demanders, again circumventing relatively sticky reimbursement rates from the third party financiers. It's one sign that the net pressures are still in inflationary directions.
4つ目は、質の高い病院食を出しても病院側に金銭的なメリットがなく、質を下げても病院に来る患者がそう減るわけではないため、実質的な値上げの方法に使われるということ。
You can take the quality of the food as one indicator of the quality of other, harder-to-evaluate processes in the hospital.
5つ目は、病院の場合、食の質で病院全体の質を推し量ることが難しいということだ。

病院食の質を上げるには病院のサービスと病院食を切り離すことが必要かもしれない。

追記: @kmiyazawaさんの指摘によると、5つ目は「病院食で病院全体の質を推し量れる」と結ばれている模様です。

2010-10-04

[翻訳] マクロ教


マクロ教 by Tyler Cowen - 道草より転載。

総需要・総供給のほとんど全てのフレームワークは、労働供給は名目賃金に対して大きく弾力的で、労働需要は実質賃金に対してある程度弾力的であるという仮説に基づいている。企業のとる行動に不思議な点は何1つとしてない―企業がうまく労働者達により低い実質賃金を受け入れさせることが出来れば雇用は増加するのだ。

これはアーノルド・クリングの文章で、ここで全文を見られる。多くのケインジアンは、リアルビジネスサイクル理論や合理的期待仮説の不況による失業を「自発的な休暇」をとっているとして、揶揄するのが好きだ。しかしケインズ理論も負けず劣らず深刻な問題、すなわち労働者は不況の間「間抜けな自発的休暇」をとっていて、それは彼らの名目賃金カットに対する頑固さのせいだとする問題を抱えている。リフレは(もし行われたらの話だが)、労働者にとって、最初にアメリカ政府に泣きついて賃金カットを受け入れるのと変わらない。

失業のコストについてあなたが語る物語が悲惨であればあるほど、問題は実証的な側面でより難しくなる。

総需要のマクロ経済学は多くのケースに紛れ込んでいるし、マクロ指標が破滅的な方向へと向かっているとき、マクロ経済学はほとんど「機能している」(うまく予言している)。なぜそれが少しでも機能するのか私たちにはさっぱりわからないし、それがいつも機能するのかもわからないが、それでも私たちはそれへの確信の大きな熱狂と懐疑派の悪魔化がわかっている。

by Tyler Cowen

9月29日

(原文: Macroeconomic faith)