2010-11-01

[翻訳] 世界をより良い場所にする


世界をより良い場所にする by Russ Roberts - 道草より転載。

今、子どもが泣いている。目の見えない女性が交差点で助けを求めてニューヨークの路上を歩き回っている。乞食が物乞いをしている。教室に溢れんばかりの大勢の生徒が教師を待っている。心が折れてしまった人がいる。友人の妻は入院していて、彼自身も様々な理由から参っている。

あなたを必要としている人がいる。あなたは助けるだろうか? 見て見ぬふりをするだろうか? 助けるとしたら、どのように助けるだろう? 全身全霊を注いでだろうか? それともあなたはつらかったり、退屈だったり、気が散っているだろうか? あなたの電話は鳴っているだろうか? それとも友人の悩みを聞いている間にEメールをチェックしているだろうか? 簡単なことやあなたにとって最良のことをする理由を見つけられるだろうか? 結局あなたは助けるだろうか?

これらは私たちが日々下している決断だ。私たちが何をするか、それをどのようにするかということは私たちの生活と私たちの周りの生活、家族や友人や見知らぬ人の生活の質を形作っている。それは友人や家族や見知らぬ人への哀れみや情熱を越えている。それは私たちがどう仕事をこなすかであり、私たちがする全てのこと―仕事、遊び、そして家族―義務と責任の全体に持ち込んでいる精神なのだ。

これらの毎日の出会いに関するデータは無い。仕事の数は数えられているが、仕事への情熱は数えられていない。どれだけの労働者が顧客のために余分に歩いたのか、どれだけの従業員がたとえ昨夜十分に睡眠を取れなかったとしても辛抱強く迷惑な顧客に付き合っているかを数えられてもいない。どれだけの人々が孤独なホームレスに微笑みかけているか数えられていないし、病気の人や死にゆく人を慰めに病院へ行く人の数も数えられていないのだ。

2010年の方が1910年よりも情熱に満ち溢れているかどうかはわからない。カリフォルニアの方がニューヨークよりも情熱に満ち溢れているのかもわからない。しかしそれらが重要であることは知っている。経済分析局や労働統計局に計測されないからといって、それらがささいなものだったりはかないものだとは決して言わなかっただろう。

数週間前、トーマス・フリードマンがティーパーティー運動についての記事を書いていて、それをティーケトル*運動であるとして嘲っている。

すべての注意、非組織者、政府と赤字の成長への自己生成された抗議を惹きつけているティーパーティーは、「ティーケトル運動」とでも呼べるものだ―すべての活動は蒸気を放出することなのだから。

その背後にあるエネルギーは本物ではない(それははっきりしている)、もしくはそれは選挙的に影響を与えないだろう(それははっきりしているかもしれない)、と言っているのではない。しかし、選挙に影響を与えることとアメリカの未来に影響を与えることは別物だ。この動きで聞いたすべてを基にすると、すべてが蒸気でエンジンが無いように感じる。それはアメリカの偉大さを取り戻すための計画を持っていない。

アメリカの偉大さを取り戻すための計画は無い。トーマス・フリードマンはどこに偉大さがあるのか知らないのだろう。偉大さは私たちの身の回り全てなのだ。それはワシントンから出てくるわけではない。それはあなたやわたしや私たちがどのように人生を過ごすか、から出てくるのだ。私たちは、新しい公営企業を擁護することによってではなく、私たちの周りの人々への情熱や愛や忍耐や優しさを通じて世界をより良い場所にするのだ。私たちは1分毎、1人ずつ世界をより良い場所にしているのだ。

by Russell Roberts

10月29日

(原文: Making the world a better place)


* 訳注: Tea Kettle=やかん

0 件のコメント:

コメントを投稿