2011-09-17

手書きの手紙が喜ばれる理由

手書きの手紙は温かみがある、と評されることはよくある(中学生の場合、だから手書きの手紙を書きなさい、となるわけだが)。手書きの手紙が本当に「温かい」かどうかはさておき、手書きの手紙をもらったほうがメールよりも嬉しいという人もいるのではないだろうか。
なぜ(同じ内容であっても)メールより手書きの手紙をもらったほうが嬉しいと感じるのだろう?
それは、手書きで手紙を書いて封筒に入れて切手を貼ってポストに投函する方が、Gmailでメールを書いて送信ボタンを押すよりもコストが高いからだ。受け手側からすると、「相手が手紙を出してくれるくらい自分のことを大切にしてくれている」ということを意味する。
「相手のことを大切にしている」というシグナルを発するためにコストをかけるのは誰にでもできることではないため、コストをかけると喜ばれるのだ。

2011-07-23

「お金を儲けることに遠慮してしまう」人へのアドバイス



お金を儲ける事に遠慮してしまいます。 - Yahoo!知恵袋
上記のベストアンサーがTwitterで少し話題になっているので、別バージョンを考えてみる。

AさんとBさんがいて、Aさんが300円でチョコレートをつくる。Bさんはそれに500円出してでもほしいと思い、Aさんと交渉すると400円で売ってくれた。
Aさんは作った費用よりも100円得し、Bさんは自分が見出している価値よりも100円安く買えたので100円得している。このとき、2人の富は100+100=200円増えている。

上の例えのように、財の交換によって全体の富が増えるのは確かだが、質問者がより稼ぐことによって損をする人が出てくることはありえる
例えば、コンピューターの登場によって今までに人間が行っていた仕事がコンピューターに取って代わられ、失業した人々のように、質問者が行う仕事によって失業したり給料が減ったりする人が出るかもしれない。
しかし、そのような人がいてもなお、質問者がお金を稼ぐ機会を逃す必要はない。全体の富は増えるのだから、その一部を「失った人々」に渡す仕組み(再分配制度)を作れば、(失った分の補填は完全にはできないかもしれないが)ある程度の「win-win」は達成できる。

全員の富が均等に増える社会は作れなくても、何かを失う人が出る中でも増えた富の一部を再分配する社会は作れる。だから、お金を稼ぐことに対して他人を不幸にするかもしれないと過度に躊躇する必要はない。

2011-06-05

食べきれない量のごちそうを食べる順番

温泉旅館で温泉にゆっくり浸かって部屋に夕食が運ばれてくる。どれもおいしそうだが、到底すべては食べきれそうにない。そんなとき、できるだけ食べる満足感を大きくするにはどうしたらいいだろうか? (フルコースなど食べる順番というものがあるものには使えないかもしれないが)

まず、品ごとに(見た目と直感で)食べる優先順位を付ける。次に、優先順位が高い順に1口ずつ味見していく。もう1度、優先順位を付け直し、「おいしかったもの(もう1口食べたいと思うもの)」と「あまりおいしくないもの(1口でもう要らないもの)」に分ける。
そうしたら、優先順位が高い順にAを全て食べ、次にBを全て食べ、と同じものばかりを食べきっていくのもいいが、それよりも、Aを半分食べ、次にBを半分食べ、Cを半分食べ、そうしたらAに戻り、というように食べていったほうがより満足感が高まる可能性が高い。食べ進めていくとだんだんと満腹に近づいていくため空腹時に比べると1口食べるごとの「限界満足感」が減っていき、同時に同じものを食べていくとそれを食べることによる満足感も減っていくので、ある程度ローテーションを組んで食べたほうが良い。
そして、満腹になった時点で食べるのをきっぱりとやめる。食べ過ぎると逆に満足感が下がるからだ。

以上のようなことを頭の片隅に置きながら、おいしいものを食べるのを十二分に楽しむのが1番だろう。

2011-05-28

iPhoneで中国はアメリカよりも得をしているのか

一般に、iPhoneなど中国で製造された製品を先進国が輸入することで中国が貿易黒字を出し輸入国は貿易赤字を出していると思われていることが多い。しかし、現実はもっと複雑だとティム・ハーフォードが論じている。
The great iPhone trade-off
The Chinese make the iPhones, the Americans buy the iPhones, and the result is an increase in the US’s trade deficit with China: $1.9bn in 2009, according to Yuqing Xing of the National Graduate Institute for Policy Studies in Tokyo, and Neal Detert of the Asian Development Bank.
政策研究大学院大学のYuqing Xingとアジア開発銀行のニール・デタートによると、中国で作られたiPhoneをアメリカ人が買うことによるアメリカの2009年の貿易赤字は19億ドルだったという。
To see why, imagine a world with three trading nations: Narnia, Mordor and Prydain. Narnia makes wine, Mordor makes iron and Prydain makes cloth. But the main demand for wine is in Mordor, where they are intemperate drinkers, while Prydain wants iron and the preening Narnians want cloth. Mordor will run a bilateral trade deficit with Narnia, Prydain will run one with Mordor, and yet every country might find its exports exactly balanced its imports overall.
しかし、A国はB国に物を輸出し、B国はC国に、C国はA国に、としていくと、二国間貿易ではどちらかが赤字になりどちらかが黒字になるが、全体を見れば輸出入のバランスはとれている。
輸出なしの輸入はできないし、輸入なしの輸出もできないので、最終的には一国の輸出入額はほぼ等しくなる。
Xing and Detert, after studying analysis from companies who take phones apart and report on their contents, calculate that the iPhone’s components cost about $172.50. In contrast, the cost of assembling the components in China is around $6.50. Apple declined to comment on these estimates, but they sound reasonable enough: when you’re talking about an iPhone, it’s hardly a surprise that the components are more expensive than the labour cost of screwing them all together.
Xingとデタートは、iPhoneの部品のコストは172.50ドルで、中国で部品を組み立てるコストは6.50ドル程度と試算している。組み立てコストのほうが安いのは妥当なことだろう。
But here’s the point: all these components are imported into China. Some come from the US, some from Germany, and many from Japan, specifically from Toshiba. The Chinese themselves add very little value to the package.
そして、そのiPhoneの部品は中国製ではなく、多くはアメリカやドイツや日本製(特に東芝製)のものだ。中国では部品を組み立てているだけで、iPhoneから得ている利益はそう多くない。
A similar story seems to hold for jobs. Greg Linden, Jason Dedrick and Kenneth Kramer of the University of California, Irvine, look at the jobs created by the old faithful iPod. Their study reckons that the iPod accounted for almost 41,000 jobs worldwide in 2006, and only 30 of those were in manufacturing in the US. But the iPod supported more than 6,000 engineering or other professional jobs in the US – as well as almost 8,000 lower-paid jobs in the likes of retail and distribution. Linden and his colleagues reckon that US workers earned more than two-thirds of all the wages paid to workers in the iPod value chain.
同じようなことは仕事にもいえる。
カリフォルニア大学アーバイン校のグレッグ・リンデン、ジェイソン・デッドリック、ケネス・クラマーによると、iPodによって全世界に4万1000の職が生み出され、そのうちアメリカの製造業で生み出されたのはわずか30に過ぎないが、エンジニアやその他の専門職が6000以上、それよりは低賃金な小売業や流通業でほぼ8000の職を生み出しているという。そして、iPodのバリューチェーンで支払われている賃金の3分の2以上をアメリカ人がもらっている。
It may well be that many US workers have been hurt by the forces of globalisation. But the iPhone and iPod show why the whole business is complex. Products that are made in China may actually be rewarding producers in Japan and California, and, of course, consumers across the world. It’s a curious paradox: the more pervasive globalisation becomes, the less we understand it by looking at trade statistics.
中国製の製品は日本やカリフォルニアの製造業者を潤わせているし、世界中の消費者の利益も増やしている。
グローバル化が進めば進むほど「A国が儲けてB国が損をする」というような単純な図式で貿易を捉えることはできなくなっているのだ。

2011-04-29

メディアリテラシー教育研究会&オフ会@東京

4/23に1泊2日で東京に行ってきた。
企業教育研究会」というNPOの「メディアリテラシー教育研究会」というものに「講師」(?)として招かれたからだ。
もともと私が1時間講演してその後に質疑応答を1時間、という話だったのだが、それはさすがに難しいということで対談形式で適宜会場からの質問にも答える、という形式をとることとなった。
私の話した内容についてはTwitterでの実況があるので、ここでは感想について書く。
この研究会で最も感じたことは「自分にとって当たり前なことが他人にとっては当たり前でないことがある」というごく当然のことだ。(リアルとネットの違いに対する考え方など)
おそらく私は、たまたま「経済学に興味を持って」「Twitterで情報発信をし始めて」「中学生だった」というだけの存在なのだろうが(実力が私より上の人なら同世代だけでもかなりいると思う)、そんな私にも比較優位はあるわけで、それが何なのかを掴むきっかけになったのではないかと思う。

この研究会が終わったとには、豚組でオフ会を開催させていただいた。
例のごとく人数が多すぎて全ての人と充分に話すことはできなかったが、とても有意義に時間を過ごせた。
幹事をしていただいた川合雅寛(@masahirok_jp)さんによると、普通は同じ場所に集わないようなクラスタが集っていて珍しかったらしい。私のオフ会は人数が多すぎるために、「GkEcといろいろ話す」というより「出会いを提供する」場(@night_in_tunisiさん、誤解してツッコミを入れないでくださいね)になっているのではないかと思う。

次の日の東京観光中にお金を落としてしまうというハプニングもあったが、また東京に行ける機会を頂ければまた行きたい。
メディアリテラシー教育研究会の方々、オフ会の幹事をしてくださった川合さん、参加してくださった方々、その他関係者のみなさん、本当にありがとうございました。


2011-04-22

[翻訳] 課税されることのない男

課税されることのない男 by Steven Landsburg - 道草より転載。


私の仕事をなにか面白いものを書いてしかも100%間違っているジャーナリストよりも簡単にしてくれるものはない。

そういうわけで、エリザベス・レスリー・スティーヴンズ、昨日のBay Citizenのコラムを書いてくれてありがとう。スティーブンズは「有閑階級(idle rich)」に対して課税してほしいと思っていて、その一例として8400万ドルの鍵メーカーSchlageの遺産相続人ロバート・ケンドリックを挙げている。スティーヴンズ氏によれば、ケンドリック氏は1日中4台の車を駐車し続ける以外全く何もしていないように見えるという。彼女が言うには、ケンドリック氏のような人に課税することはアメリカの財政危機の解決策の一部になりうる。

スティーヴンズ氏が見逃していることを挙げよう。事実が彼女の言っているとおりだとすると、ケンドリック氏のような人に課税することで歳入を増やすのは全くもって不可能なのだ。私たちはそれが望ましいかどうか議論してもいいが、それは不可能なので、議論は机上の空論だ。

なぜ不可能なのか説明しよう。政府がより多くのモノとサービスを消費すれば、必然的に他の誰かが消費する分は減る。しかし、ケンドリック氏はスティーブンズ氏の財布で何かを消費しているわけでは決してない。彼はただ1日中車を走らせているだけだ。彼の消費量はこれ以上下がりようがない。

あらそう―スティーヴンズ氏は言う―しかし8400万ドルは未だに銀行にある、と。確かにそれに課税することはできますよね? まさにそこがスティーヴンズ氏が混同しているところなのだ。彼女は緑の札束や銀行のコンピューターの0と1の羅列がどういうわけか政府の現実のモノやサービスへの需要に対する供給を助けると考えている。それはありえない。

もし政府がケンドリック氏の8400万ドルを持っていったら何が起こるだろうか? 答え: 0と1の集合が銀行のコンピューターの中で移る。ケンドリック氏は今まで通り車を走らせる。そして、それ以外は何も変わらない

もちろん、政府が8400万ドルのいくらかを消費すると決めるなら話は別だ。政府がより多くのモノを消費し、ケンドリック氏が消費を減らさなければ、他の誰かの消費する分は減る。他の誰かとは誰だろうか? 答えは取引の詳細に依るが、最もあり得る答えは、ケンドリック氏が税金を払うために8400万ドルを下ろしたときに、銀行はより少ないローンしか組めなくなり、金利は上がり、誰かが休暇をキャンセルしたり、車の購入を延期したり、建設中の工場を放棄したりする、というものだ。誰が税金による負担を被るのか? それは、休暇や車の購入や工場の建設をキャンセルした人々だ。ケンドリック氏ではない。

彼に課税しようとすることはできるが、そのような彼に課税しようとする試みは形を変えて他の誰かが負担することになる。この理由は結局は経済学の法則にはなく、数学の法則の中で見つかる。人間の消費をゼロより低くにすることはできないのだ。

スティーヴンズ氏の大きな間違いはお金と現実の資源を混同していることだ。彼女は政府がケンドリック氏のお金を取り上げるだけでどういうわけか現実の資源を獲得できると思っている。資源は結局どこかからやってこなければならないということに気づかずに。「金持ちに課税する」ことは、金持ちが消費する量を減らさない限りは、役割を果たすことはない

ジャーナリストはこの間違いをたくさんするが、私にはこれ以上わかりやすい例を目にした記憶がない。

by Steven Landsburg

4月18日

(原文: The Man Who Can’t Be Taxed)

2011-04-16

投票率はなぜ低いのか

4月10日に東京都知事選を初めとした統一地方選が行われた。東京都知事選の投票率は57.8%、私の住む大阪府の府議選は46.5%だったそうだ。
これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれだろうが、東京で4割、大阪では半分以上の人が投票に行っていない。なぜ投票する人は有権者の半数に留まるのだろうか?
それは、1票では選挙結果が何も変わらないことがわかっているからだ。
Aさんが投票に行こうと行かまいとAさんの1票の影響力はごくごく小さいので誰かを当選させたり落選させたりすることはない。Aさんが東国原氏に投票したとしても都知事は石原氏になっていただろう。
では1票では何も変わらないのになぜ半分以上の人は投票に行くのかというと、それは投票に行くことで様々な便益を得られるからだ。
投票に行けば、自己満足感を得られるし、投票に行かない後ろめたさを感じずに済むし、Twitterで民主主義の素晴らしさを偉そうに語ることもできる。純粋に自分の道徳感に従って投票に行く人もいるだろう。

ここで必ず出るのが「1人1人の1票の価値は低くてもそれが集まれば政治を変えられる。だから1人1人がしっかり投票に行くことが大切だ。」という意見だ。
確かに、1人1人の票が集まれば政治に影響を及ぼせる。しかしそれは票が組織化された場合に限る。1人1人の意識に頼っているようではいつまで経っても投票率は上がらない。
投票率を上げたいのなら、投票するインセンティブを与えるのが最も良い方法だ。
具体的には、インターネットで選挙活動や投票ができるようにしたり、投票を国民の義務として投票しなかった場合に罰金を課したりする方法が考えられる。(ネット投票は、投票のコストを下げても投票率は上がらないという研究があるので本当に投票率向上に効果的なのかはわからないし、投票義務化も投票は国民の権利であるという思想に反するかもしれないが、やってみる価値はあると思う。)
現状の投票率は別に低いわけではなく、1票の価値を考えればむしろ高いともいえる。投票率を上げて政治をより良くしたいのなら、有権者のインセンティブを考えた政策立案が重要だろう。

関連: 投票の合理性 - Togetter

2011-04-07

[質問] すべてが無料の世界はつくれますか?


すべてが無料の世界はつくれますか?
中山 浩成

そんな世界はつくれない。というより、そんな世界を作れば今よりもずっと貧しくなるだろう。
政府が全てのものを無料にしなければいけない法律を作ったらどうなるだろうか。
企業は生産活動をやめ、人々は自給自足に近い生活を送ることになるだろう。親戚の間で作った野菜を分けあったりするかもしれない。しばらくすると、物々交換が行われるようになるかもしれない。
モノが無料でなかったときよりもモノを手に入れるためのコストは増えるし、手に入れられるモノが減って貧しくなる。モノが無料でなかったときにスーパーで100円で買えた卵を手に入れるために卵農家で卵1個とキャベツ2玉を交換することになるかもしれない。
これでは全く「無料」とは言えないだろう。
さらに、物々交換だと、自分が持っているキャベツに対して、キャベツに卵1個の価値を見出していてしかも卵を持っている人を探さなければならない。
このように、需要と供給が一致しづらくなることによって効率性も著しく悪化する。

昨年、クリス・アンダーソンの「フリー」が話題になった。
Googleが無料でサービスを提供しても利益が上がるのはサービスを提供する人を1人増やすごとにかかる費用(限界費用)が非常に小さいため、無料にしてできるだけ多くの人に使ってもらい広告収入を得たほうが利益が上がるからだ。
しかし、卵の限界費用はGmailの限界費用ほど小さくはない。それが卵に「フリー」モデルを適用できない理由だ。

では政府が全ての生産物を買い取って無料で全国民に提供したら良いのではないか。(買い取るための財源については無視する)
それでも同じことだ。全てのものが無料で手に入るのに誰が働くというのだろう? 生産物を政府に売ってもその金を使うところがないではないか。
かくして、誰も働かなくなり、自分で作ったものを政府に買い取られないように隠し、裏物々交換が行われるようになる。

政府が強制的に人々を働かせ、その生産物を無料で皆に分け与えたらどうか。
それはただの共産主義に過ぎない。ソ連はとっくに崩壊している。

おそらく、全てのものが本当に無料になるのは、コンピューターが人間に取って代わり、働かなくても何でも手に入るようになったときなのだろう。

質問はq@gkec.infoまでどうぞ。

2011-03-26

[質問] これからどこの業界に期待できますか?


すっかり忘れていた「GkEcがあなたの疑問に答えます」コーナーに久々にメールが寄せられた。

僕は、広島県に住む中学二年生です。いきなりですが、これからはどの業界に期待できますか?

結論から言うと、どこの業界がこれから成長していくかなんて誰にもわからない
どんな業界にも「輝く未来」は保障されていない。ある要因によってある業界が急成長することもあるし、逆に業界がまるごと消滅することだってある。
そして、その「ある要因」は誰にも予測できないのだ。
今、「有望」とされている業界が10年後も有望である保証はないし、現在存在しない業界が「有望」とされているかもしれない。その10年後の有望業界だって20年後にあるかはわからない。
ではどうすればいいのか、と訊かれても、少なくとも私には答えられない。安定しているものは1つも存在しない、ということを頭の片隅においておくのが安定への第一歩なのではないだろうか。

もし私に質問したいことがある方はq@gkec.infoまでメールをどうぞ。

2011-03-09

タクシー規制


タクシー規制の是非 - Togetter

先日、規制仕分けに関連して、Twitterで「タクシーの台数規制は全体の効率性を悪化させている」とツイートしたところ、思ったより反響が大きかった。

なぜタクシーに対する台数規制はいけないものなのだろう?
それはタクシーに乗りたい人とタクシーの数が一致しなくなるからだ。
台数と価格が固定されていると、需要が供給を上回る場合に、タクシーに乗りたい人がタクシーを探しに無駄に走りまわらなくてはならなくなる。需要が供給を下回る場合にはタクシーは値段を下げることもできずに客を探しまわらなければならない。

タクシー自由化の反対意見を見てみよう。

「競争の激化によりタクシー運転手の収入が減り、場合によっては失業してしまう」
確かに自由化によって上記のことは起きるだろう。タクシーの運転手というのはそれほど高い技能が必要ないため参入障壁が低く、自由化されると賃金は低く抑えられる(少なくともサービス内容が「人を運ぶ」ことだけで横並びである限りは)。だからといって、雇用保障としてタクシーの運転手だけを保護する理由はどこにもない。タクシー運転手以外にも自由な市場でギリギリの状態で働いている人はたくさんいる。それよりは、市場を自由化した上で、ベーシックインカムなどの手段で所得の再分配を行う方が良いだろう。

「安さだけを追求するタクシーばかりになって安全性やサービスに問題が生じる」
市場を自由化すると、安さだけを追求するタクシーばかりになるわけではない。市場に多様性が生まれ、安さではなく安全性やサービスの質などを売りにするタクシーも出てくるだろう。それに乗りたい人は乗れば良い。もし安さを追求するタクシーばかりになってしまったとしたら、消費者は最初から安さしか求めていなかったというだけのことだ。

「駅前などでタクシーをつかまえる場合は消費者はタクシーを選べない」
これは検討する価値がある。もしタクシーが1台ごとにバラバラなサービスを提供し価格もバラバラで、駅前に並んでいるタクシーを見分けられなければ、大いに問題だろう。
しかし、タクシーも消費者に選んでもらうために様々な工夫をするはずだ。安全性やサービスを売りにするタクシーならiPhoneやAndroidから予約できるようにするだろうし、安さ重視なら窓に値段を示すステッカーを貼るのではないだろうか。
粗悪なタクシーは悪評が広まって淘汰される。
それに、タクシーのほとんどはタクシー会社に属しているため、タクシーごとのそこまで大きなばらつきは認めないだろう(需要量に応じて価格を上下させることが運転手にできるようにはしてほしいが)。消費者が一律料金一律サービスを望むならタクシー会社もそうするはずだ。

「タクシーの台数や価格を自由化すれば地方のタクシーが少なくなり生活に不便するようになる」
タクシーは日常ひんぱんに使うほどとは思えない。タクシーが地方に住む人の足になっているのなら、その社会余剰を外部性補助金という形でタクシーに払うべきかもしれない。

以上で見てきたとおり、一見する限りはタクシーの自由化に反対する強い論拠は見当たらない
ただ、タクシー規制の歴史をたどれば、規制の(少なくともその当時の)合理的理由が見つかるかもしれないので、今度調べてみようかと思う。


2011-02-28

[翻訳] マーク・アンドリーセンの起業ガイド パート1:「ベンチャーなんてやめておけ」


佐藤純(@j_sato)さんがTwitter上で呼びかけ、私を含む複数人でマーク・アンドリーセンのエントリを翻訳した(結局私は最初の数行だけしか翻訳していないが…)。詳しいいきさつは「株式会社フルライフの社長ブログ - マーク・アンドリーセン『ベンチャーなんてやめておけ』: The Pmarca Guide to Startups, part 1: Why not to do a startup の翻訳」をご覧頂きたい。
以下はその翻訳を上記のエントリから引用。


今回のコラムシリーズでは、私自身が複数のハイテク・ベンチャーを創業する中で蓄えてきた知識や経験を、順を追ってご紹介していくことにする。

ちなみに、私はこれまで、仲間たちとともに3つのベンチャーを立ち上げた経験がある。1998年にAOLに42億ドルで売却したネットスケープ、時価総額がおよそ10億ドルに到達した上場ソフトウェア企業・Opsware(旧社名Loudcloud)、そしてまだ創業して間がない一般消費者向けのネット企業・Ningだ。

もっとも、それなりの付き合いをしてきたベンチャーという括りでいえば、その数はもっとずっと増える。1994年にシリコンバレーに来てから、少なくとも40~50社とは、「したり顔」で内情を説明できる程度には深い関わりを持たせてもらってきた。関わり方は、取締役としてだったり、エンジェル投資家だったり、アドバイザーだったり、創業者の友人だったり、ベンチャーキャピタルファンドへの投資家だったり、色々だけれども。

今回のシリーズコラムでご紹介するのは、これまで私が、シリコンバレーで多種多様な規模/業種のベンチャーと関わる中で学んできた教訓だ。従って、ここに書くことが、私自身が立ち上げた特定のベンチャーについて語っているものだとは、くれぐれも思わないでいただきたい。むしろ、(具体的に会社名を挙げることはしないけれども)私が「創業者以外の形」で関わってきたベンチャーで見聞きした経験をもとに話しをしていくつもりだ。

最後に一点。私の視点や考え方は、シリコンバレーとここを取り巻く環境—カルチャーや働く人、ベンチャー・キャピタルの存在などなど—の上に形作られているものであり、全てが他の地域や国で通用するとは、当然思っていない。従って本稿は、「買手責任負担の原則に基づき、読み手の判断で咀嚼していただきたい」と思う。

さて、いろんな前提が片付いたところでさっそく本題に入ろう: 「ベンチャーなんてやめておけ」。

ベンチャーは神秘的な雰囲気で溢れている。ベンチャー企業を立ち上げることがどんなに素晴らしいことか、どんなに楽しいことか、未来を作るとはどういうことか、タダになる食事代、サッカーゲームができる机、などなど、そんな話ばかり目にしてきた。2000年のITバブル崩壊の時でさえもそうだった。

確かに、ベンチャーには素晴らしいことが山ほどある。私の経験によれば、例えばこんなことだ。

何よりもまず、自分自身の運命をコントロールすることができる。成功するのも失敗するのも自分次第であり、あれこれ指示する面倒なやつもいない。これだけでも起業する理由として十分な人もいる。

そしてよく言うあれだ、真っ白な紙の上に「新しい何か」を作れるチャンスというやつ。「無」からある製品を生み出す力―いや、義務というべきか―を、大企業的なしがらみ抜きに得ることができる。

ベンチャーを立ち上げれば、新しいコミュニケーション手段・あるいは情報共有のためのツール・もしくは新たな働き方などなど、「世界をより良い場所にする」ためのあらゆるインパクトを与えるチャンスが得られる。低所得者たちがもっと簡単にお金を借りられるようにしたい?だったら「Prosper」社を立ち上げたらいい。テレビにはもっともっと無限にチャンネルがあるべきだと思う?それならぜひ「Joost」社を。コンピューターはUnixベースのオープンなものであるべきで、知的所有権にガチガチに守られたものであっちゃいけないはずだ?それであれば、「Sun」を立ち上げればいい。

理想的な企業風土を作り、自前で集めた「ドリームチーム」社員たちと働くことだって当然可能だ。楽しむことが大好きで一緒に仕事をしやすいやつらと働きたい?遊びも仕事もめちゃくちゃ頑張るやつらを集めたい?もしくは、革新的なロケットテクノロジーの開発に没頭したい?それとも、起業したその日からグローバルな視野をもって働きたい……?選ぶのは自分だ。好きな風土を自分で作り上げて、それに合う人材を自分で集めてくれば良いわけなんだから。

そして最後に、お金の問題だ。ベンチャー立ち上げをうまくやれば、当然、大儲けすることができる。これは単なる個人の欲望を満たせるってだけの話じゃない。物事がうまく運べば、チームのメンバーや社員の実入りも増えて、彼/彼女らの家族を支え、子どもたちの大学進学費用を捻出し、「夢」を与えることができる…これはものすごくクールなことだ。さらに運に恵まれれば、世界をより良い場所に変えるという、深遠かつ素晴らしい社会貢献をすることだってできるのだ。

ところがだ。「ベンチャーをやるべきじゃない」という方の理由は、これ以上にもっともっとたくさんある。

やるべきじゃない最初の理由(そしてこれが最も重要なポイントでもある)。それは、ベンチャーを始めると、これまでのいかなる経験とも似つかない、「感情のローラーコースター」に乗る羽目になる。

意気揚々と「自分は世界を征服する!」と確信したすぐ翌日に、「この世の終わりが数週間後に迫っている…」と絶望的な気分になったりする。

そんな日々が、何回も、何回も、繰り返される。

しかもこれは、情緒不安定な起業家ではなく、しっかりとした起業家にこそ起こる現象なのだ。

起業家がやる事実上全てのことに、あまりにも大きな不確実性とリスクが存在している。製品は期日までにちゃんと納品されるだろうか?遅すぎと言われないだろうか?大量に不具合が発生したらどうしよう?製品は使いやすいものになっているだろうか?はたして買ってくれる人はいるだろうか?競合相手に勝てるだろうか?マスコミは取り上げてくれるだろうか?投資してくれる人は見つかるだろうか?目を付けているあの敏腕エンジニアは入社してくれるだろうか?大事なユーザーインターフェースデザイナーGoogleに転職しちゃったりしないだろうか?…………などなどなど、とにかく心配事が尽きないのだ。

何もかもが最高にうまく進む日々もあれば、とにかく何一つうまくいかない日々もある。起業家がさらされそういった一時的な状態は、起業家が抱えているストレスによって、さらに信じられないぐらい高いところから信じられないくらい低いところへ、ムチウチになるようなスピードで行ったり来たりすることになるわけだ。

おもしろそうに聞こえるかい?

そして2つ目。ベンチャー企業では、全てを自分自身が始めない限り、一切何も始まらない。

創業者もその社員も、だいたいこれに面食らう。

既存の大手企業では、どんなに経営が酷くても、みんなのやる気がなかったとしても、業務は発生する。とにかく放っておいても次々業務が生み出されるのだ。社員は仕事をしに出社してくる。コードが書かれる。ユーザーインターフェースがデザインされる。サーバーがセットアップされる。市場が分析される。プライシングが研究され、決定される。営業電話がかけられる。ゴミ箱は空にされる。などなど。

ところが、こういった既存の企業ならどこでも持っている仕組み・リズム・インフラを、ベンチャー企業は一切持っていない。

ベンチャー企業においては、コードが書かれない、ユーザーインターフェースがデザインされない、社員が出社してこない、どんどんゴミがたまっていく…なんてことが当然のように起きる。

創業者としてのあなたは、会社の基本的な決まりごとからルーティン業務のやり方までをゼロから作り上げて、みんなが実際にボートを漕ぎ出せる環境を作り上げていかなければならない。漕いでいる方向が正しいかなんてことを気にする余裕はないだろう。だってスタート時点では、「まず漕ぎ出す」体制を作るだけでも十分大変な作業なのだから。

結局、あなたがやらない限り、一切何も始まらないというわけだ。

そう、あなた自身が始めない限り。

オフィス中のゴミをひたすら片付ける作業を、ぜひ楽しんでいただきたい。

そして3つ目だ。ベンチャーを立ち上げると、あなたは人から「No」と言われ続ける。しかも、本当に何回も。

よっぽど長く営業の経験がある人じゃない限り、なかなかこれには慣れられないだろう。

Noと言われるのはあまり楽しいことではない。

『あるセールスマンの死』とか『摩天楼を夢みて』なんかを見に行ってみてほしい。

起業とは、おおむね、あんなようなものだ。

従業員候補に始まって、投資家候補、潜在的顧客、パートナー候補、メディアの記者たち、アナリストたちなどから、繰り返し、繰り返し、Noと言われ続けることになるのだ。

例え「Yes」をもらえたとしても、そのうち半分のケースでは、2日後に再度電話がきて回答が「No」に変わる。

作り笑いの練習をしておいた方がいいぞ。

そして4つ目。人を雇うってことは、信じがたいくらいの苦痛を伴うものだ。

採用にあたってどれだけの数の「冷やかし客」を相手にしなきゃいけないかを知ったら、あなたはさぞや驚くことだろう。

起業に参加したいと志す人は少なくないけれども、いざHP社やアップル社での快適な仕事を離れるとなると、尻込みし、結局大企業にとどまることになるのがオチだ。

大企業で働く普通のエンジニアや中間管理職たちにとって、ベンチャー企業の選考プロセスを進んだり、転職に誘われたりすることは、たいそう刺激的なことだ。自分自身では何の苦労もしないで、擬似的にベンチャーのスリルを味わうことができるわけだから。

ベンチャー企業の創業者として仲間を採用しようとすると、こういう現実に、何度も何度も出くわすことになるだろう。

例えばこんな話しがある。ジム・クラークが起業しようと1994年に決断したとき、彼は、私を含めてシリコンバレーで働く10数人もの人たちに参加を呼び掛けた。ちなみにこれがのちにネットスケープになったわけだけれども。

この時ジムの話しに全面的に賛同し、最後まで「イエス」と言い続けたのは私だけだった(当時22歳だったし、イエスと言わない理由が特になかったからね)。

でも、残りの人たちはみな尻込みして、結局誰1人は参加しなかった。

ちなみにこの時ジム・クラークは、自ら創業したシリコン・グラフィックス社を大成功させ、すでに業界内で伝説の人物と崇められていたにも関わらず、だ!

ジム・クラークほどの実績がないあなたの場合、人集めがどれほどの困難な作業になるか、想像に難くないだろう?

さらに、大勢の「冷やかし客」たちの中から何とか数名を採用することができたとしても、結果的にその半分以上が採用としては失敗に終わることになるだろう。例えあなたにどれだけ人を見る目があったとしても、だ。

要はこういうことだ。おそらくあなたが採用した社員のうち半数以上は、思うように機能してくれない。怠け者すぎたり、仕事が遅すぎたり、ストレスに弱すぎたり、過剰に政治的だったり、躁鬱の気があったり、精神病だったりするだろう。

そうしたら今度は、腹を決めてそいつらと生きていくのか、それとも解雇するのかを、あなたが決めなければならない。

どれかおもしろそうに思える点はあるかい?

あなたに神の救いの手が差し伸べられることを祈りながら、5つ目を紹介しよう。ベンチャーを立ち上げたら、どこかの時点で、あなたは経営幹部を雇わなければいけなくなる。

エンジニアリング担当幹部、マーケティング担当幹部、営業担当幹部、人事担当幹部、法務担当責任者、財務担当責任者…こういった幹部を採用しだした途端、あなたは、「社員を採用するのには困難とリスクが伴う」という考えを改めることになるだろう。

6つ目は、労働時間の問題だ。

最近シリコンバレーでは、ワーク・ライフ・バランスについての議論が花盛りだ。一体どうしたら、「ベンチャー起業」と「充実した私生活」を両立できるかについての議論が。

個人的には、この流れには大いに共感している。

私の会社では(いや、少なくとも最近立ち上げた2社では、というべきかな)、あまりに多い業務量と労働時間によって社員たちが押しつぶされて床のシミになってしまうような事態を避けるため、できる限りのことはしているつもりだ。

ただ、これを実現するのは、実に難しい。

そもそもベンチャー企業においては、仕事の密度が信じられないくらい濃いし、どんなに最高の環境があったとしても社員たちは疲弊していくものだ。

そして、あなたがどれだけ社員のワーク・ライフ・バランスを大事にしたいと思っていたとしても、その理念を実現するのはそうそう簡単じゃない。だって、手元のキャッシュがなくなりかけていたり、製品がまだ出荷されていなかったり、出資を受けているベンチャー・キャピタルからこっぴどく怒られたり、社員の平均年齢が19歳のライバルベンチャーにすっかりやられっぱなしになったりしている時に、そんなことを言っていられる余裕はないからね。

ちなみに、ベンチャーにおいては、「そんな余裕がある」時期はほとんどないと思っていた方が賢明だ。

さらに、万が一社員たちのワーク・ライフ・バランスを守れたとしても、創業者であるあなた自身がそれを得るのは、到底無理だろう。

(ところで、敢えて付け加えておくけど、ストレスは長い労働時間によって増幅されるものだ)

7つ目に進もう。ベンチャーの企業風土というものは、実に簡単に変わってしまう。

この点は、このコラムで既に述べた、1つ目と2つ目のポイントとも関係してくるものだ。

先ほど紹介した「感情のローラーコースター」ってやつは、あなただけでなく、あなたの会社全体をもめちゃめちゃにしてしまう。

初めて顔を合わせたメンバーたちとの間で、自分たちの会社は一体何を重視するのか、困難や逆境にどう立ち向かっていくかについての共通認識を作り上げ、企業風土をある程度「固める」ためには、それ相応の時間がかかるものだ。

この作業が最高にうまくいけば、社員たちは驚くほどダイナミックに協力しながらお互いを支え合い、夢へ向かって一丸となって懸命に働いてくれることだろう。

でも最悪の場合は、社員たちの間に恨みや幻滅、シニシズム、士気の低下、経営への不満、そしてうつ状態が自己増殖してどんどん広がって行ってしまうことになる。

そして、こうなってしまったときに経営者たるあなたができることは、想像以上に少ないものなのだ。

通常ベンチャーがどちらの方向に進むことが多いについては、ご想像にお任せしておくが。

そして8つ目だ。ベンチャーをやっていると、突然現れた思いもよらない「ファクターX」によって、何一つ成す術なく完全に打ちのめされるってことが、かなり良くある。

例えば、株式市場の暴落。

テロリストによる攻撃。

自然災害。

資金面でも経験面でもハードワークぶりでも到底かなわないライバルベンチャーが、予想もしてなかったところからステルス機のように現れて、狙っていたマーケットを根こそぎ持って行った上に、あとには雑草ほどのチャンスも残されない、なんてことだってざらに起こる。

こういう「ファクターX」が現れた場合、かなり楽観的に見たとしても、資金調達の道が閉ざされたり、顧客が購入を延期したりキャンセルしたりといった憂き目をみることになる。そして最悪の場合は、会社そのものをたたむことになる。

ロシアのギャングがあなたの提供するサービスを使って何百万ドルものマネーロンダリングを行ったという理由で、クレジットカード業界に会社をつぶされるなんてことだってあり得るしね。

まさかそんなバカな、と思ってたりするかな?

OK。笑えるのは、私がここまで、一体どんな商品を作ればいいのかとか、製造や流通はどんな仕組みでやるべきなのかとか、ライバルたちに勝つためにはどうすれば良いのかとかって話しを、まだ1つもしていないってことだ。

ここまでの話しはまだまだほんの序の口。次回ポストからは、ベンチャーにおいて本当のコアな業務を始めた時に一体どれほどのリスクが待ち受けているのかについて論じていくことにしよう。

by Marc Andreessen

2009年10月12日

(原文: The Pmarca Guide to Startups, part 1: Why not to do a startup)

2011-02-15

因果と相関の違い―成功と学歴の関係から―


よく間違われやすい因果と相関の違いについてとても良い例があったのでこれを例にとって説明してみよう。

個別では微妙ですが学歴いい集合と学歴普通集合の平均成功度を数値化するとやはり前者が勝る気がします。 日本では。 RT @masanork: 必死だなあ。世の中そんなに学歴で人生が決まるかな / 「論理的に考えられる人が好きなんです」 http://htn.to/SwQt7V10:47 PM Feb 12th via Echofon


Tehu(@tehutehuapple)の言っていることはおそらく正しい。
しかし、名門大学を卒業して成功する人は「名門大学を卒業したから」成功するわけではない。成功する人には高い能力があり、名門大学を卒業というのはその能力を示したに過ぎない。名門大学を卒業できるほどの能力があるほうがそのような能力が無いより成功しやすいというだけのことだ。

気温が上がると(それが原因で)アイスクリームがよく売れるようになる、というような関係を「(正の)因果がある」という。
対して、上の学歴のように高学歴に伴って成功確率が上がる、というのは「(正の)相関がある」という。
ややこしいようだが、アイスクリームがよく売れるから気温が上がるわけではないのは誰でも知っている。それが学歴の場合は異なる。学歴や成功確率はその人の能力・運などの要素が絡みあった結果であり、特定の原因は見つけることができない。相関はあくまで「Xが上がるとYも上がる(もしくはXが上がるとYは下がる)」ということを示しているに過ぎない。
ここを勘違いすると、「成功する」ために東大になんとしてでも入ろうとする人が出てくる。
成功するために大事なのは、高学歴を取得できるほどの能力と努力であって、東大に入ることではないのだ。

追記: 学校に通うことによって能力自体が向上する面もあるので、一概に「学歴と成功には因果関係がない」とは言い切れないが、絶対に東大に入らなければ、というほど大きいわけではないのは確かだろう。


2011-02-10

[翻訳] エジプトの自由・繁栄・未来


エジプトの自由・繁栄・未来 by Steven Landsburg - 道草より転載。

エジプトや他の中東諸国で今にも起こるかもしれない政権交代と、民主主義と政治的自由を求める大合唱は、政治的自由が望ましいものだとしても、繁栄を保証するものではないことを私たちに思い出させてくれる。繁栄のためには資本主義が必要なのだ。

私の同僚アラン・ストックマンと私は、10年ほど前にこの疑問を研究した。あれからデータを更新していないが、それがほとんど同じ物語をまだ語ってくれると思っている。1つ目に、下のグラフは1人当たりGDPに対しての政治的権利(Freedom Houseによって定義され計測される)を描いている。値が低いほど政治的に自由(自由で公平な選挙の存在、組織権、野党の存在、軍による統治や宗教的ヒエラルキーや経済的独占の不在、開かれていて透明な政府運営、少数民族や宗教的・文化的マイノリティーに対して政治的権利の全てが認められているか、が含まれる判断基準によって定義される)であることを示す。政治的自由と繁栄の間には少しだけ正の相関があるが、最も自由な国の多くが未だに貧しい。そして、1人当たりGDPと政治的自由度が2から7の間にランクされた国の間にはほとんど違いはなかった。

次のグラフは、人権(これもFreedom Houseによって計測される)と1人当たりGDPの、やや強いがまだ小さい正の相関を示している。より人権がある国は平均してより豊かだが、相関は弱い。(人権の判断基準には、表現・宗教・組織の自由、法支配、恐怖政治の不在、男女平等、機会均等、経済的搾取の不在が含まれる)

他方で、経済的自由(政治的自由とは別物の)に対しての1人当たり所得を描くと、繁栄との相関は非常に強くなる。経済的自由の度合いはフレイザー研究所のEconomic Freedom of the Worldプロジェクトによる。判断基準には、外貨を所有したり海外に銀行口座を保持する自由、ビジネスを始めて競争する自由、少ない税金、少ない政府支出、法の下の平等な扱いが含まれる。最新のレポートは140ヶ国中、香港を総合評価9.05点(満点は10)で世界一自由な国とし、アメリカは7.96点で6位、エジプトは6.68点で80位だった(訳注: 日本は7.46点で24位)。以下はストックマンと私が10年前にこれらのデータから描いたグラフだ。

最近になって、ホースト・フェルドマンが、一方の経済的自由の様々な尺度と他方の失業率の間にかなりの負の相関があることを発見した。(彼の結果は最新の Economic Freedom of the Worldのレポートの5章に載っている)

政治的自由や人権は良いものだ。私はそれらを支持する。しかし、人類の幸福に関する限り、資本主義はより良いものなのだ。私たちが中東諸国や他の国をより良い方向に仕向けようとするなら、これは覚えておくべきだ。

by Steven E. Landsburg

2月1日

(原文: Freedom, Prosperity, and the Future of Egypt)


2011-02-01

[書評] ゆるく考えよう


ゆるく考えよう ちきりん(@InsideCHIKIRIN)著

自分がTwitterを始める前からファンだった「Chikirinの日記」が本になった。
本書は、著者のブログから選りすぐったエントリを再構成したものだ。
本書のメッセージを一言で表すと、「そんなに高みを目指さなくてもいいよね」ということになる。みんながみんな高い目標を掲げて達成しようと躍起にならなくてもいい、というのはその通りかもしれない。

P.74「自分に近いものにこだわりすぎるのはやめよう!」が単にバイアスによって客観的な判断ができない、という話だったり、P.137「『逆バリ』と『先読み』」が競争相手が少なく需要が多い分野を狙うべき、というようなある意味当たり前のことも多数だが、それをわかりやすく説明しているがポイント。

皮肉ったエントリにもきちんと補足が入っていたり、「ちきりん初心者」でも楽しめるようになっている。

つっこみどころも多いが、他人の考えを受け入れる余裕を持った上で「こういう考え方もあるのか」と「ゆるく」読んでみるのが良いだろう。


2011-01-26

[書評] 孤独の科学


孤独の科学 ジョン・T・カシオポ、ウィリアム・パトリック共著

本書は「社会神経科学」の創始者の1人によって書かれた、「社会的つながりがいかに重要か」を説く。
孤独感とはいかなるものなのか、孤独感がいかに有害か、孤独感を抱くのはなぜなのか、そして孤独感を克服するにはどうすれば良いのか。

この本のポイントは「科学的な裏付けがある」ということにある。
著者は、実験室で学生にいろいろな課題をこなしてもらったり脳波を測定したりする「横断調査」と、シカゴ市内の中高年の孤独感を測定し健康状態などを調べる「縦断調査」を組み合わせ、主観的な孤独感がいかに身体的な健康を蝕み、自己調節機能を奪いさらに他者と関わることが難しくなることをつきとめたという。
人間は独りでは生きていけず、群れていなければ生きていけない生き物だと著者は主張する。群れていたほうが生存確率が高まったので「群れていなければならない」個体が生き残った、という進化論的説明をしている。そう、孤独感は悪者ではなく、身の危険に警笛を鳴らしてくれるものなのだ、と。
では「孤独」を感じないためにはどうすれば良いのだろうか?
それは「他者に手を差し伸べる」ことだという。それも、手を差し伸べるだけは不十分で、相手が自分を「うまく利用する」相手ではないか人間に備わっている能力で見極めることも重要だ。

著者の主張に対しては賛否が分かれそうだが、非常に興味深い。孤独かどうかに関わらず、「人間同士の関わり」に関心を持っている人は1度読んでみると良いのではないだろうか。


2011-01-22

期待効用理論を恋愛に応用する


経済学には「期待効用理論」と呼ばれるものがある。
これは高校の数学で習う「期待値」を使ったもので、合理的な人は期待値(期待効用)が最大になる選択をする、というものだ。
期待値の復習をしよう。1万円を10%の確率で得られるが90%の確率で1円ももらえないのと、必ず500円をもらえるのではどちらが得だろうか? 正解は前者だ。1万円を10%で得られる場合の期待値は1万円×0.1で1000円だ。必ず500円がもらえる場合の期待値は500円×1なので前者のほうが得となる。

A君はBさんが好きだが、BさんはA君のことをどう思っているかわからない。A君はBさんに告白するべきだろうか?
それは、成功した場合の便益と失敗した場合の費用の差及び成功確率による。
どうすれば期待効用を計算できるだろう?
ここでは「告白する」と「告白しない」のどちらの期待効用のほうが大きいかだけ分かれば良い。
成功した場合の便益>失敗した場合の費用、と仮定すると、成功確率が50%以上あれば必ず「告白する」ほうの期待効用が「告白しない」場合の期待効用を上回る。
つまり、ざっくりとした成功確率(五分五分よりも高い確率であれば良い)さえわかれば良いのだ。
ティム・ハーフォードの『まっとうな経済学者の「お悩み相談室」』から、「親友を好きになってしまったが、告白することによって関係を壊すのは避けたい」という相談者へのハーフォードの回答から一部引用する。

すべてを失うリスクは避けながら、ことの真偽を明らかにする必要があるので、ここはストレートに彼女の友人に聞いてもらえばいいでしょう。
その好きな子から近い筋に確かめてもらえば「確率が五分五分を超えるかどうか」くらいはわかるだろう。

ちなみに、男性のほうが女性よりも恋愛対象とする範囲が2倍広く、男性から女性に告白する場合の成功確率は女性から男性の2分の1だそうだ。


2011-01-16

農業補助金によって安くなった野菜は消費者の利益になるのか


食料自給率が低いことは問題なのかへのコメントにこんなものがあった:

去年のタコもいい例ですがヨーロッパ圏で食べられるようになった事から大幅に値上がりしました。すぐ変動すると消費者にモロに当たります。
足りない時にどうしよう より最低でも準備をしておかないと間にあわないと思います。
輸入が減り国内需要が高まったとしても価格に影響が直に受けます。
農業だけ儲かっても会社の業績が落ち込んでしまいます。そして働いている人に影響が出るわけですからこれは雪だるま式になると思います。

では、外国からの輸入を制限して国内の農家に補助金を出したほうが、野菜は安くなり、消費者に優しくなるのだろうか?
例えば、今じゃがいもが1個50円だとする。これが何かの原因で70円になってしまった。これを知った消費者思いの官僚がじゃがいもの栽培に補助金を出して価格を30円まで下げようとした。
これは消費者にとってはありがたい話にも思える。これのどこがいけないのだろう?
問題は、農業への補助金は消費者の税金から出されている、ということにある。そして、これによって消費者の利益はプラスマイナスゼロどころかはっきりマイナスになるのだ。
ここにAさんとBさんとCさんの3人がいる。
Aさんはじゃがいも1個から80円、Bさんは60円、Cさんは40円の便益を得る。
じゃがいもの価格を市場に任せる世界では、Aさんは10円(80-70)の便益を得て、他の2人は得る便益よりも価格のほうが高いので買わないために得る便益は0円だ。
じゃがいもの栽培に補助金を出す世界だとどうなるか。3人には等しく40円(70円-30円)の税金がかかる。税金はじゃがいもを買うか否かに関わらず払わなければならないので、個々の「じゃがいもを買うかどうか」という意思決定には影響を及ぼさない。
次に3人がじゃがいもから得る便益を見てみよう。Aさんは50円(80円-30円)、Bさんは30円(60円-30円)、Cさんは10円(40円-30円)の便益を得る。
3人は70円のじゃがいもを買うよりも得をしただろうか?
3人は安くなったじゃがいもを買うことで合計90円(50円+30円+10円)の便益を得たが、補助金がなければ払わなくて済んだ税金120円(40円×3)が費用となるので、結局は30円の損となる。

以上を見ると、農家が農業補助金の撤廃に頑なに反対する理由も見えてくる。
農家が1個当たりのじゃがいもから得る収益は補助金の有無に関わらず70円だ。しかし、補助金がある(そしてその財源が税金という形で徴収される)ことによって、消費者のインセンティブが変わり、需要が増える。1個当たりの収益が変わらないのであれば多く売れたほうが農家の利益は増える。

現実には上記で行った計算よりも考慮すべき要因は多いが、こうして簡略化することによって多くのことが見えてくるのだ。

2011-01-06

学校の掃除の経済学 2


学校の掃除って必要なの? - Togetter
学校の掃除って必要なの? 2 - Togetter

学校掃除の目的を「学校をきれいにすること」とした場合にもっとも問題となるのは予算だ。業者に頼む便益が費用を上回るなら頼むべきだ。業者に頼む費用は簡単に分かるが、便益とはなんだろうか。業者に頼む便益とは、生徒が掃除していた時間及び生徒が掃除するよりもきれいな学校だ。その時間を他のことに充てた場合に生徒に身につくものと得られるきれいさが費用を上回っていれば良いということになる。(Twitter上で「なんでそんなものに税金を使わなきゃいけないんだ」といった反応があったが、問題なのは税金を投入するかどうかではなく、税金を投入するだけの価値があるかどうかだ。)
では具体的にその時間を何に充て、何が生徒に身につくもののだろうか。
それは、何を目的とするかによって異なる。
最もわかりやすいのは掃除の時間を勉強に充てた場合に向上する生徒の生産性だろう。もちろん、これ以外に「ある能力を身につけるために学校掃除より望ましい」ものなら何でも良いだろう。(計測は難しいだろうが)
そうして便益が費用を上回ることがわかれば業者に頼めば良いということになる。
次に問題となるのは、便益が費用を上回らない場合だ。その場合にも、現状の制度を追認してもいいということにはならない。できるだけ効率的な運用をするべきだ。
具体的には、@night_in_tunisiさんが提唱するような「掃除権オークション」なんかが良いのではないだろうか。
これなら掃除をする費用が最も小さい人がそれに見合ったお金をもらい、費用が大きい人がお金を払うことで全員が得をする。学校にお金を持ち込んではいけないというのなら別のものを貨幣として使用しても良いかもしれない。

次にその他の「学校掃除の意義」について考えてみよう。
「学校掃除がないと掃除の仕方を学ぶ場が無い」
基本的に掃除の仕方は家で学ぶものだろう(そして学校を卒業してから掃除するのも大半の人にとっては家であるため、家でやったほうが応用が利く)。学校で学ぶものだとしても、毎日やる必要はなく、週に1度程度家庭科の時間に教えてはどうだろうか。
「掃除ができない人間は社会に出ても使えない」
これは完全に経験則に過ぎない。経験則が役に立たないと言うつもりはないが、経験則に基づいて「だからお前らもつべこべ言ってないで掃除しろ」と全員に押し付けてもあまり効果は上がらない。そう思う親は子供に家の掃除をさせたら良いだろう。
「掃除したことによって後から何かしら学んだことに気づく」
これは何も語っていない。どんなことからだって学ぼうと思えば学べるだろう。しかし時間などの資源は有限なのでできるだけ「有意義」なことに使うべきだ。しかし掃除が本当に「有意義」な資源の使い道なのか実証の余地があるだろう。
「税金で無料で学ばせてもらってるのだから自分たちで掃除くらいして当たり前」
これは生徒の生み出す将来的な価値を考慮していない。生徒は学校で勉強することにより生産性が上がり、学校に行かない場合よりも多くを生み出せるようになる。そうして学校を卒業してから、生み出した一部を税金として納める。学校教育は生徒への投資であり、決して道楽ではない。
「自分で使ったところは自分で片付ける(掃除する)という意識を植え付けさせるため」
そういう人はきっと自分で歩いた道路を毎日掃除しているのだろう。その意識を植え付けさせるためにわざわざ生徒全員に掃除を強制する必要はない。

(生産的な)目的をはっきりさせた上であえて生徒に掃除をさせるのであればそれはそれで良いかもしれないが、目的意識なしに「とりあえず生徒にさせとけ」というのでは何も生み出すことなどできない(思考停止して服従する能力は身につくかもしれないが)。
税金で運用されているからこそ、目的をはっきりと定めた上で最も効率的で有意義な資源の使い方をするべきだろう。


2011-01-01

謹賀新年


あけましておめでとうございます。

昨年7月から12月までのPVトップ10:

  1. 子供を増やし虐待を減らすには
  2. 食料自給率が低いことは問題なのか
  3. 自分が将来を楽観する理由
  4. なぜ学校のトイレは汚いのか
  5. 価格はなぜ必要か
  6. [書評] 新書がベスト
  7. 対談@阪大
  8. テスト勉強なんてめんどいもんをやったほうがいい理由
  9. こんにゃくゼリー規制
  10. 学校の掃除の経済学

昨年7月から12月までの累計PVは17万5000を越え、訪問者のブラウザはFirefox 27%、Chrome 24%、Internet Explorer 20%、Safari 13%、モバイル 11%、Opera 1%、その他 4%で、OSはWindows 64%、Mac 16%、iOS 14%、その他 6%、国別だと日本 90%、アメリカ 6%、その他 4%でした。

アクセスランクに入っていないエントリの中でのお薦めは、誤解されやすい比較優位と絶対優位の違いを説明した「比較優位と絶対優位」、トイレを効率的に利用するための方法を書いた「トイレのダブルブッキングを回避する」、オーストラリアの経済学者ジョシュア・ガンズも似たような手法を提案している子どもをしつける方法「子どもに規則正しい生活を身につけさせるには」、教育の機会均等について論じた「教育の機会均等とは」です。

今年もできるだけ本ブログの更新頻度を維持しつつ質も上げていきますので、今後とも愛読よろしくお願いします。

お知らせ: 本日の日経新聞特集「跳べニッポン人」の「市場に活気を 経済救う知を伝授」に私の取材が掲載されています!