2011-04-29

メディアリテラシー教育研究会&オフ会@東京

4/23に1泊2日で東京に行ってきた。
企業教育研究会」というNPOの「メディアリテラシー教育研究会」というものに「講師」(?)として招かれたからだ。
もともと私が1時間講演してその後に質疑応答を1時間、という話だったのだが、それはさすがに難しいということで対談形式で適宜会場からの質問にも答える、という形式をとることとなった。
私の話した内容についてはTwitterでの実況があるので、ここでは感想について書く。
この研究会で最も感じたことは「自分にとって当たり前なことが他人にとっては当たり前でないことがある」というごく当然のことだ。(リアルとネットの違いに対する考え方など)
おそらく私は、たまたま「経済学に興味を持って」「Twitterで情報発信をし始めて」「中学生だった」というだけの存在なのだろうが(実力が私より上の人なら同世代だけでもかなりいると思う)、そんな私にも比較優位はあるわけで、それが何なのかを掴むきっかけになったのではないかと思う。

この研究会が終わったとには、豚組でオフ会を開催させていただいた。
例のごとく人数が多すぎて全ての人と充分に話すことはできなかったが、とても有意義に時間を過ごせた。
幹事をしていただいた川合雅寛(@masahirok_jp)さんによると、普通は同じ場所に集わないようなクラスタが集っていて珍しかったらしい。私のオフ会は人数が多すぎるために、「GkEcといろいろ話す」というより「出会いを提供する」場(@night_in_tunisiさん、誤解してツッコミを入れないでくださいね)になっているのではないかと思う。

次の日の東京観光中にお金を落としてしまうというハプニングもあったが、また東京に行ける機会を頂ければまた行きたい。
メディアリテラシー教育研究会の方々、オフ会の幹事をしてくださった川合さん、参加してくださった方々、その他関係者のみなさん、本当にありがとうございました。


2011-04-22

[翻訳] 課税されることのない男

課税されることのない男 by Steven Landsburg - 道草より転載。


私の仕事をなにか面白いものを書いてしかも100%間違っているジャーナリストよりも簡単にしてくれるものはない。

そういうわけで、エリザベス・レスリー・スティーヴンズ、昨日のBay Citizenのコラムを書いてくれてありがとう。スティーブンズは「有閑階級(idle rich)」に対して課税してほしいと思っていて、その一例として8400万ドルの鍵メーカーSchlageの遺産相続人ロバート・ケンドリックを挙げている。スティーヴンズ氏によれば、ケンドリック氏は1日中4台の車を駐車し続ける以外全く何もしていないように見えるという。彼女が言うには、ケンドリック氏のような人に課税することはアメリカの財政危機の解決策の一部になりうる。

スティーヴンズ氏が見逃していることを挙げよう。事実が彼女の言っているとおりだとすると、ケンドリック氏のような人に課税することで歳入を増やすのは全くもって不可能なのだ。私たちはそれが望ましいかどうか議論してもいいが、それは不可能なので、議論は机上の空論だ。

なぜ不可能なのか説明しよう。政府がより多くのモノとサービスを消費すれば、必然的に他の誰かが消費する分は減る。しかし、ケンドリック氏はスティーブンズ氏の財布で何かを消費しているわけでは決してない。彼はただ1日中車を走らせているだけだ。彼の消費量はこれ以上下がりようがない。

あらそう―スティーヴンズ氏は言う―しかし8400万ドルは未だに銀行にある、と。確かにそれに課税することはできますよね? まさにそこがスティーヴンズ氏が混同しているところなのだ。彼女は緑の札束や銀行のコンピューターの0と1の羅列がどういうわけか政府の現実のモノやサービスへの需要に対する供給を助けると考えている。それはありえない。

もし政府がケンドリック氏の8400万ドルを持っていったら何が起こるだろうか? 答え: 0と1の集合が銀行のコンピューターの中で移る。ケンドリック氏は今まで通り車を走らせる。そして、それ以外は何も変わらない

もちろん、政府が8400万ドルのいくらかを消費すると決めるなら話は別だ。政府がより多くのモノを消費し、ケンドリック氏が消費を減らさなければ、他の誰かの消費する分は減る。他の誰かとは誰だろうか? 答えは取引の詳細に依るが、最もあり得る答えは、ケンドリック氏が税金を払うために8400万ドルを下ろしたときに、銀行はより少ないローンしか組めなくなり、金利は上がり、誰かが休暇をキャンセルしたり、車の購入を延期したり、建設中の工場を放棄したりする、というものだ。誰が税金による負担を被るのか? それは、休暇や車の購入や工場の建設をキャンセルした人々だ。ケンドリック氏ではない。

彼に課税しようとすることはできるが、そのような彼に課税しようとする試みは形を変えて他の誰かが負担することになる。この理由は結局は経済学の法則にはなく、数学の法則の中で見つかる。人間の消費をゼロより低くにすることはできないのだ。

スティーヴンズ氏の大きな間違いはお金と現実の資源を混同していることだ。彼女は政府がケンドリック氏のお金を取り上げるだけでどういうわけか現実の資源を獲得できると思っている。資源は結局どこかからやってこなければならないということに気づかずに。「金持ちに課税する」ことは、金持ちが消費する量を減らさない限りは、役割を果たすことはない

ジャーナリストはこの間違いをたくさんするが、私にはこれ以上わかりやすい例を目にした記憶がない。

by Steven Landsburg

4月18日

(原文: The Man Who Can’t Be Taxed)

2011-04-16

投票率はなぜ低いのか

4月10日に東京都知事選を初めとした統一地方選が行われた。東京都知事選の投票率は57.8%、私の住む大阪府の府議選は46.5%だったそうだ。
これを高いと見るか低いと見るかは人それぞれだろうが、東京で4割、大阪では半分以上の人が投票に行っていない。なぜ投票する人は有権者の半数に留まるのだろうか?
それは、1票では選挙結果が何も変わらないことがわかっているからだ。
Aさんが投票に行こうと行かまいとAさんの1票の影響力はごくごく小さいので誰かを当選させたり落選させたりすることはない。Aさんが東国原氏に投票したとしても都知事は石原氏になっていただろう。
では1票では何も変わらないのになぜ半分以上の人は投票に行くのかというと、それは投票に行くことで様々な便益を得られるからだ。
投票に行けば、自己満足感を得られるし、投票に行かない後ろめたさを感じずに済むし、Twitterで民主主義の素晴らしさを偉そうに語ることもできる。純粋に自分の道徳感に従って投票に行く人もいるだろう。

ここで必ず出るのが「1人1人の1票の価値は低くてもそれが集まれば政治を変えられる。だから1人1人がしっかり投票に行くことが大切だ。」という意見だ。
確かに、1人1人の票が集まれば政治に影響を及ぼせる。しかしそれは票が組織化された場合に限る。1人1人の意識に頼っているようではいつまで経っても投票率は上がらない。
投票率を上げたいのなら、投票するインセンティブを与えるのが最も良い方法だ。
具体的には、インターネットで選挙活動や投票ができるようにしたり、投票を国民の義務として投票しなかった場合に罰金を課したりする方法が考えられる。(ネット投票は、投票のコストを下げても投票率は上がらないという研究があるので本当に投票率向上に効果的なのかはわからないし、投票義務化も投票は国民の権利であるという思想に反するかもしれないが、やってみる価値はあると思う。)
現状の投票率は別に低いわけではなく、1票の価値を考えればむしろ高いともいえる。投票率を上げて政治をより良くしたいのなら、有権者のインセンティブを考えた政策立案が重要だろう。

関連: 投票の合理性 - Togetter

2011-04-07

[質問] すべてが無料の世界はつくれますか?


すべてが無料の世界はつくれますか?
中山 浩成

そんな世界はつくれない。というより、そんな世界を作れば今よりもずっと貧しくなるだろう。
政府が全てのものを無料にしなければいけない法律を作ったらどうなるだろうか。
企業は生産活動をやめ、人々は自給自足に近い生活を送ることになるだろう。親戚の間で作った野菜を分けあったりするかもしれない。しばらくすると、物々交換が行われるようになるかもしれない。
モノが無料でなかったときよりもモノを手に入れるためのコストは増えるし、手に入れられるモノが減って貧しくなる。モノが無料でなかったときにスーパーで100円で買えた卵を手に入れるために卵農家で卵1個とキャベツ2玉を交換することになるかもしれない。
これでは全く「無料」とは言えないだろう。
さらに、物々交換だと、自分が持っているキャベツに対して、キャベツに卵1個の価値を見出していてしかも卵を持っている人を探さなければならない。
このように、需要と供給が一致しづらくなることによって効率性も著しく悪化する。

昨年、クリス・アンダーソンの「フリー」が話題になった。
Googleが無料でサービスを提供しても利益が上がるのはサービスを提供する人を1人増やすごとにかかる費用(限界費用)が非常に小さいため、無料にしてできるだけ多くの人に使ってもらい広告収入を得たほうが利益が上がるからだ。
しかし、卵の限界費用はGmailの限界費用ほど小さくはない。それが卵に「フリー」モデルを適用できない理由だ。

では政府が全ての生産物を買い取って無料で全国民に提供したら良いのではないか。(買い取るための財源については無視する)
それでも同じことだ。全てのものが無料で手に入るのに誰が働くというのだろう? 生産物を政府に売ってもその金を使うところがないではないか。
かくして、誰も働かなくなり、自分で作ったものを政府に買い取られないように隠し、裏物々交換が行われるようになる。

政府が強制的に人々を働かせ、その生産物を無料で皆に分け与えたらどうか。
それはただの共産主義に過ぎない。ソ連はとっくに崩壊している。

おそらく、全てのものが本当に無料になるのは、コンピューターが人間に取って代わり、働かなくても何でも手に入るようになったときなのだろう。

質問はq@gkec.infoまでどうぞ。